第23話 TS転生おじさん、揺れ動く。
「え? 親方にお見合いのお話が?」
「ああ。といっても断る前提だがな」
朝食の席で突如投下された爆弾に、私は一瞬口に運びかけたスプーンを落としてしまいそうになった。
「たまに来るんだよ。いつもは断ってんだが、たまに断りきれん筋からの斡旋が入るから厄介なんだよな」
貴族相手だろうと臆さず自分の信念を貫く親方がそこまで言うからには、きっとよっぽどのお話なのだろう。
「いいんですか? お相手、美人さんかもしれませんよ?」
「露骨にハニートラップ丸出しの若い女ばかりだぞ? そんな見え見えの餌に食いつく馬鹿がいるかよ。こんなドワーフのジジイに人間だのエルフだの、異種族の若い女をあてがおうとする連中の魂胆なんぞ、碌なもんじゃねえや」
「なるほど、それは確かにウンザリしてしまいそうですね」
人間の若い女、という単語にチクリと胸が痛んだ気もするが、恐らく気のせいだろう。とはいえ、親方だって健康な男だ。溜まるものは溜まるだろうし、密かに発散したい時もあるだろう。
それなのに、私は親方がその手のお店に出かける姿を見たことがない。私がいるせいで、家の中で独り致すのも難しいだろう。その点に関しては、同じ男として申し訳なく思う。
「お前さんの方こそ、構わんのか? 儂が結婚したら、かみさんと同居するはめになるんだぞ? 子供でも産まれようもんなら、きっと肩身が狭いぜ?」
「!」
今度こそ、私は動揺してしまった。だが、それを気取られないように、つとめて冷静を装う。
「それは、そう、かもしれませんね。ああ。そしたら、親方の家を出て行かないと」
「……」
「はは。元から厚かましく格安の家賃で下宿させて頂いていた身ですし、いつまでも迷惑はかけられません、よね。ごめんなさい」
「いや、儂はそんなつもりじゃ」
「はい、大丈夫です。お邪魔ならすぐに出て行きますから」
「邪魔なんかじゃねえ!」
「!」
「ワフ!?」
ドン! と親方がテーブルに拳を叩き付ける。テーブルの下で餌を食べていたディアン爺が、驚いて飛び上がった。彼はそのまま、私たちの顔を交互に見やる。
「あ!? す、すまねえ!」
「いえ、私の方こそすみません」
なんとも気まずい朝食になってしまった。私は親方のお茶碗からこぼれたスープを拭くために、台拭きに手を伸ばす。が、同じように手を伸ばした親方の手と重なってしまった。台拭きを掴んだ私の手を、親方の大きな手が包み込む。
「わわ!? すまん!」
「あ、いえ、大丈夫、です!」
「……」
「……」
「ワン!」
非常に気まずい沈黙を破ったのは、ディアン爺の鳴き声だった。我に返った私は、慌てて台拭きでこぼれたスープを拭き取る。
「えっと、それで? いつなんですか? そのお見合いは」
「あ、ああ。来週の土曜だ。といっても、本当に顔出して断ってくるだけだから、すぐに終わるぞ。儂は誰とも結婚なんぞせんからな!」
「!」
一体私の情緒はどうなってしまったのだろうか。まるで自分が自分でなくなってしまったみたいに、一喜一憂する複雑な乙女心。いや違う! 私は乙女なんかじゃない! 乙女なんかでは、ない!
「……お見合い用のスーツ、クリーニングに出しておきますから。後でタンスから出しておいてくださいね。それと、散髪にも言った方がいいと思いますよ。お髭の手入れもしてもらわないと」
「だから、どうせ断るんだから必要ねえって」
「だからこそ、です。どうせ断るからといい加減にするのではなく、断るからこそ、きちんと礼儀を尽くさないと」
ご馳走様でした、と私は逃げるように朝食を終えた。いや、逃げたのだ。気まずい雰囲気から。親方の物言いたげな視線から。何より、自分自身の本心から。
――
「ヌエちゃんよお、そりゃあイカルガの野郎、ショックだったと思うぜ?」
「何がですか?」
午前中。大鍋で職人さんたちに振る舞うためのトマトシチューを作るべく、大量のトマトと玉ねぎを刻んでいた私は、玉ねぎが目に沁みて涙が滲んだ顔を上げて、とても背の高いパトリオットさんの横顔を見上げた。
大量の鶏肉をぶつ切りにしたものを、大鍋で手際よく炒めてくれているパトリオットさんは、その白髪混じりの虎の顔になんとも言えない表情を浮かべながら、私を横目に見下ろす。
「あいつはほら、ヌエちゃんのことすげえ大事に想ってるからよ」
「……人一倍面倒見がよくて義理堅い人ですもんね」
「うーん、俺が言っちまっていいもんか。いや、確かにあいつの言い方も悪かったけどよお」
ボロボロと涙をこぼしながら、私は玉ねぎを刻んでいく。分厚い伊達眼鏡をかけていても、今日の玉ねぎは目に沁みた。きっとさぞ新鮮であるに違いない。
「ま、まあ! 別にいいんじゃねえの? ヌエちゃんだって一生誰とも結婚しねえって言ってたんだろ? だったら独身同士、飽きるまであいつと仲よく暮らせばよ!」
「いえ、さすがにそんな厚かましいこと、赦されるわけが。そもそも、親方には親方の人生があるのに、私なんかが」
「許されたらいいのか?」
「?」
「許されるんだったら、いいのかよ?」
真剣な眼差しだった。パトリオットさんは、イカルガ親方の古い友人であるという。昔馴染みの親友を案じる真摯な瞳に睨まれ、私は言葉を詰まらせる。
「……」
「……判りません。私には、判らないんです。まだ」
しばしの沈黙を破ったのは、私の震えるような回答と、鶏肉の焦げる臭い。パトリオットさんが火を止める。
「そっか」
「はい」
「なら、いいんじゃねえの?」
「いいんでしょうか?」
「いいと思うぜ。答えを出せずにグズグズしてんのは、あのバカも一緒だからな」
「それは、どういう?」
「教えてやんねえ!」
臆病者同士お似合いなんじゃねえの、と。パトリオットさんは優しく笑った。それは慈愛に満ちた、本当に優しい笑顔だった。
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