第21話 人間国宝、頭を下げる。

「この度は色々と手を尽くして頂き、面目ございません。この借りはいつか必ずお返しします」


「何、構わないさ。あなたには先代の頃から随分とお世話になっているし、あの子にも大きな借りがある。少しでも恩を返せたのなら、父上も草葉の陰から喜んでくれるだろう」


 公爵邸に呼び出された儂は、ソニック公爵と彼の書斎で酒を飲んでいた。儂が手土産に持参した酒は、この国では滅多に手に入らないドワーフの秘蔵酒だ。


 今回の誘拐事件を解決に導いたのはディアンだが、その後の後始末に手を貸してくれたのは他ならぬ公爵家である。ヌエのことを友人と呼んでくれるマンダリンお嬢様の口添えもあり、随分とお世話になってしまった。


「それで? いかがかな、お嬢さんの様子は」


「ああ。ありがてえことに精神的ショックはそこまで大きくなかったみたいだ。男性恐怖症になっちまってもおかしくねえぐらいの事件だったが、儂ら職人どもに囲まれてもピンピンしてやがる。無理して我慢してる様子もねえし」


「そうかい。それは何よりだ。芯の強い気丈な娘さんだと思ったが、どうやらその通りだったみたいだね」


 下着の前を突っ張らせた下劣な卑劣漢に3人がかりで襲われかけたのだ。13歳の少女にはさぞ怖ろしく、辛い経験だっただろう。今でもあの時の光景を思い出すだけで、儂ははらわたが煮えくり返りそうになる。


 困ったことと言えば、そんな辛い経験をしたというのに、今でもヌエの奴が女として無防備なところだった。相変わらず風呂上がりには裸でウロウロしやがるし、薄着で家の中で過ごしやがる。


 ちったあ恥じらいを持て、と言ってやりたいところだったが、自分が『女』であることを意識させちまうと事件のトラウマがフラッシュバックするんじゃないかって考えると、どうにも口出しし辛い問題だった。


「年頃の娘を持つ父親の気持ちがよおっく分かりましたよ。ありゃあ確かに、うちのタフなバカ職人(むすこ)どもとは大違いだ」


「それは結構。難しい年頃の娘を持つ父親同士、これからも仲よくしようじゃありませんか」


 ドワーフの秘蔵酒は人間の作る酒に比べ、度数が高い。ロックで飲んでた儂らは、あっという間に顔が赤くなっていく。


「可愛いのは今のうちだけだ、などとみんな口を揃えて言うがね。幸い、お互い娘に恵まれたようで何よりだ」


「ああ。もう何年もすれば結婚してどっかに行っちまうのかと思うと、寂しいもんだぜ。マンダリンお嬢様の挙式は卒業後のご予定なんで?」


「ああ。可愛い娘が王妃になるんだ。父親としては誇らしくもあり、寂しくもある。いつまでもうちにいてくれればいいのに、とね」


「うちのヌエは、結婚なんかせずに一生独身でいるつもりだ、なんて言ってますがね。それはそれでどうかと思いません?」


「何、そんなのは口先だけだよ。リンリンも幼い頃は絶対王子様と結婚なんかしない、お父様とずっと一緒にいる、と殿下との婚約を嫌がって泣いたものさ」


「まあ、結婚しようが行き遅れになろうが、元気でいてくれるならそれだけでいいと今回思い知りましたよ。儂より先に死なれるなんぞ、耐えられませんぜ」


「その通りだ。私もリンリンの護衛の数を3倍に増やしてしまった。本人には内緒でだがね」


 万が一にも散々辱められた後で、その死体を川にでも棄てられようものなら儂は自分がどうなっちまうのかなんざ想像もしたくなかった。それこそ発狂して報復に走る復讐の鬼になってたかもしれねえ。あいつを喪わずに済んで本当によかった。本当に、本当に!


「可愛い娘たちの明るい未来に」


「乾杯」


 ヌエを誘拐するよう指示した黒幕は、ある貴族のバカ娘だった。例の事件で、後ろ暗い行為を嗅ぎ付けられそうになって焦った連中は、共謀して腹いせに走ったのだ。イカルガ楽器工房の看板も随分舐められたもんだ。


 とはいえ腐っても相手は貴族。公爵家の力添えなしではどこまでやれたかも分からん。とことんまでやるつもりではあったが、上手くやれたのは公爵家のお陰だ。


 あくまで一介の楽器工房にすぎないうちに取れない手を、公爵家であれば取れる。逆に公爵家では取れない手段を、儂らであれば取ることができる。そうやって、持ちつ持たれつの助け合いだ。もう二度と舐め腐った真似ができねえように。


――


「おい、んなとこで寝てっと風邪引くぞ」


「ん・・・…あ、お帰りなさい親方」


「ったく、何がお帰りだ。ほれ、上着羽織れ」


 公爵家の馬車に送ってもらい、千鳥足で帰宅すると、ヌエがリビングのテーブルに突っ伏して寝ていた。またこいつは薄着で。のど元すぎれば熱さを忘れると言うが、信用されているにしたって心配になっちまう。


「随分と飲まれたようですね。お水はいりますか?」


「ああ、くれ」


「分かりました」


「ワン!」


「おう、ただいま爺さん」


 ヌエの足元でうつ伏せに寝そべっていた老犬が、呆れたように吠える。こいつは完全にうちの看板犬になって、今じゃれっきとした飼い犬だ。俺としても異論はない。なんせヌエの命の恩人だからな。今度高いステーキ肉でも買ってきてやるか。


「それにしても、随分お早いお帰りでしたね。てっきりもっと遅くまで飲んでくるものとばかり」


「公爵も引き留めてくれたんだが、あんま家を空けてるのも不安でな」


「ご心配をおかけしてしまってすみません。私のことは本当に大丈夫ですから、どうかお気になさらず」


「別にいいさ。あんま飲みすぎても明日に響くしな。それより飯、残ってるか?」


「野菜スープを使った雑炊でよければ」


「んじゃ頼む」


「はい。すぐに温め直しますね」


「いや、自分でやるから平気だ」


「そう言って前にも温めながら居眠りしちゃって、お鍋焦がしちゃったでしょう。火事になったら大変ですから、座っててください」


 喪いかけて初めて分かる、なんでもない日常の尊さ。儂は椅子に腰かけ、ヌエが汲んでくれたコップの水を飲みながら、鍋を温めるヌエの背中を見つめる。


 こいつが今も変わらずにそうしてここにいてくれることのありがたみを噛み締めながら、いつまでも、いつまでも、その背中を眺めていた。

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