第20話 おじさんの娘、悪い顔をする。
貴族絡みの事件は人知れずひっそりと闇に葬られることが多い。あまり大々的に知られてしまうと後々面倒なことになるため、たとえば粛清されたの一言を『病気療養のため田舎に』とか『家督を譲って引退』などといった回りくどい表現で誤魔化すのだ。
だから原作ゲームにおけるマンダリンのような、公衆の面前で大々的に婚約破棄、みたいな制裁はほとんど起こり得ない。あれはあくまでゲーム上の演出であり、プレイヤーにわかりやすいカタルシスを与えるための手段なのだ。
「随分とご機嫌斜めのようだね、愛しいリンリン」
「フォルテ様。いえ、そのようなことはございませんわ」
ハルモニア国立音楽学院にはいくつかのサロンが存在する。フォルテ王子主催のもの、公爵令嬢マンダリン、即ちわたくしが主催するもの、わたくし主催のものでありながら、参加者が女生徒に限られるもの。いわゆる女子会である。
集まった目的も集められた理由も大小様々なお茶会がそこかしこで開かれ、若き貴族の跡取りたちはそこで入学前に必死に学んだ駆け引きを思い出しながら人脈を広げ、情報を交換し、それぞれの描く未来への布石を打つのだ。
私たちが今参加しているサロンは、フォルテ王子とその婚約者である私が合同で執り行うごく少数の集まり。参加者はフォルテ王子と私、それからメッゾ様とソプラ様の4人だけ。来年には義弟であるアルトがここに加わる予定だ。
「最近の君は学外にできた新しいお友達に随分とご執心のようだ。僕としては少しだけ妬けてしまうのだけれど、さりとて妻の交友関係に口を挟む狭小な夫にはなりたくない」
「では、嫉妬するいとまもないぐらい、わたくしのことを信用して頂けるよう、より一層努めなければなりませんわね」
「君は誰よりも頑張っている。それは誰もが認めるところさ」
「あなた様も?」
「もちろん。婚約者である僕を差し置いて、僕以上に君のことを理解している男がいるだなんて思いたくもないね」
ヌエ様に一喝されて目が覚めて以後。私は周囲への認識を改めることができた。私は誰からも疎まれる嫌われ者の悪役令嬢マンダリンではなく、本当は皆から好かれていることをようやく認めることができたのだ。
幼い頃から破滅を回避すべく頑張ってきた結果、フォルテ王子との仲は極めて良好。原作では愛想笑いの裏でため息ばかりついていた彼は口を開けば甘い囁きを連発し、頬や手の甲への口付けさえ人前で頻繁にする。
貴族の勝手な都合に振り回されたせいで人間不信になってしまったはずの義弟のアルトもお父様や私を恨んでいる気配はないし、メッゾ様やソプラ様からの印象もかなりいい感じである。
入学するまでほとんど接点のなかった風紀委員長(といってもまだ1年生なので、厳密には委員長ではなく風紀委員なのだが)や、こくわえ煙草で生徒の手当てをするような不良保険医からも、嫌われるどころか好かれている。
悪いことを何もせず、きちんと常識的な振る舞いを心がけてきたのだから、当然と言えば当然だ。逆にゲームが始まった途端、それらの努力がいっぺんに無駄になるような修正力のようなものが働かなくて本当によかった。
「こんな言い方は彼女に申し訳ないかもしれないが、少しばかり安心したよ。完璧超人の君にも少し人間らしい一面があったのだな、とね」
誰がやねん。
「それこそ、まさかですわ。わたくしは未来の王妃に相応しくあろうと、必死に外面を取り繕うことに必死になっていただけの小娘にすぎません」
「そんな君の、強さの裏に隠された弱さに気付くことができずに、劣等感すら刺激されていた僕は、なんて愚かだったのだろう、と今になって思うよ」
「買い被りすぎですわ。わたくしたちは、お互いにまだ未熟な子供だった。そういうことにしておきません?」
「ああ、そうだね。君の言う通りだ」
話が横道に逸れたが、今回、ある貴族の子女ら3名が捜査線上に浮かび上がってきた。ララ・ランダマイザ。リリ・リリエンタール。ルル・ルーベンス。投げやりなネーミングセンスが際立つ3人組は、原作だと悪役令嬢マンダリンの取り巻きだった少女たちだ。
才能に乏しくB組に配属されてしまった彼女たちを、マンダリンは言葉巧みに利用した。家柄も微妙、才能もない、と劣等感を抱えた彼女たちを公爵家の威光を利用して自らの手駒に仕立て上げ、主人公への嫌がらせに利用したのである。
今更説明するまでもなく、悪役令嬢には手となり足となり働く優秀な取り巻きの存在が必要不可欠だ。程々に無能で、いい感じに小悪党で、適度に小心者の、空気の読めるようで読めない、ちょっとだけ読める取り巻きが。
本来であれば物語に欠かせない名脇役たちなのだが、今回私が悪役令嬢としての役割を放棄したことで、彼女たちをまとめる頭がいなくなってしまった。その結果、B組でくすぶっていた3人は私の与り知らぬところで独自のヒエラルキーを形成したらしい。
(墓穴を掘るってああいうことなのね)
クレレのヴァイオリンの弦切断事件を引き起こしたのもどうせ彼女たちだろうと周囲から思われる程度には、彼女たちは常日頃から身分を振りかざして周囲を小バカにする発言を繰り返していたため、随分嫌われていたらしい。
『あーらまあ嫌ですわ! 伝統ある春の演奏会でクラスの出し物を台無しにした戦犯が、よくもまあのうのうと顔を出せたものですわね! 一体どういう神経してるのかしらあ?』
『あんな大恥をさらしておいて、よくもまあ! わたくしであれば恥ずかしすぎて今頃とてもじゃないけれど生きていられなかったでしょうに! 田舎者は面の皮の厚さが違うのねえ!』
『これ以上醜態をさらす前に、とっとと荷物をまとめて田舎に引っ込んだらどう? あら、勘違いしないで頂戴ね! これはあなたのためを思って善意で忠告してあげているのよ!』
あの演奏会の後で、3人組からここぞとばかりに嫌味を言われたクレレは、逆に『あ、こいつらの仕業だったんだ』と確信したらしい。口は禍の元と言うか、墓穴を掘ると言うか。黙って知らん顔してればいずれ沈静化していただろうに。
逆にわざわざクレレにネチネチと嫌味を言いに来るわ、折に触れ事件のことを執拗にほじくり返すわで、あれでは自分たちがやりましたと周囲にアピールしているようなものだ。
主人公であるメヌエットが消えたことで空いたいじめられっ子の穴にクレレが収まったように、悪役令嬢が抜けたことで空いた穴を埋めるべく彼女たちがその座に繰り上がったのか、或いはただのバカなのか。
それともマンダリンという頭がいたからたまたま原作では上手くやれていただけで、原作の頃から実はああだったのか。真相は闇の中である。
――
「え!? 取引が停止!?」
「え!? 婚約を解消!?」
「え!? お爺様が逮捕!?」
公爵家の密偵は優秀である。クレレのヴァイオリンの弦切断事件のみならず、ヌエ様誘拐事件の黒幕が彼女たちであることもしっかりと証拠付きで突き止めてくれた。
いじめられっ子であったクレレにしてやられた上に、逆に恥をかかされた原因が部外者であるヌエ様の仕業であると知った彼女たちは、ヌエ様を恨んで柄の悪い男たちに金を握らせ、彼女を襲うように仕向けたのだ。
曲がりなりにも貴族であるが故、表立ってその罪を断罪することはできないが、それならそれでやりようはいくらでもある。むしろ、世間様には知られないところで煮るなり焼くなりするのは貴族の得意分野だ。
「どどどどうしましょう!?」
「知らないわよ! うちだって大変なんだから!」
「どうしていきなりこんな急なことに!」
「知らないわよ! 私の方が知りたいわ!」
昼休みの屋上。1階にある職員室の方から聞こえてくる会話に耳をすませながら、私とクレレはお弁当を食べていた。全ての悪事を表沙汰にして、彼女たちのしでかしたことを暴露すれば、学院の看板にはそれこそ大きな瑕がつく。
だから私たちは、お父様やイカルガ親方と話し合った末に、今回の事件を彼女たちの将来ごと闇に葬ることに決めたのだ。いわゆる経済制裁である。
それぞれの家が潰れることはないだろうが、それでもしばらくの間は結構な苦労を余儀なくされるだろう。なにせ、公爵家の逆鱗に触れたのだから。
何故、という部分は意図的にぼかしてあるものの、少し調べればすぐに思い当たるだろう。経済的にも社交的にも大打撃を受けた原因がそれぞれのバカ娘たちにあると知れれば、各家の当主がどのような判断を下すかは想像だに難くない。
その上で更に逆恨みをするような連中であれば、今度こそ完膚なきまでに叩き潰せばいいだけの話だ。もちろん、ヌエ様には危害が及ばないように細心の注意を払って。
「いい気味。少しは傷付けられる痛みを知ればいいのよ」
「同感ですわ。ああ、それと。しばらくは学内外を問わず、単独行動は避けてくださいね。逆上したあの3人組が何をしでかすか、バカの考えることはわたくしには分かりませんので」
「言われなくともそのつもり。リンリン様も、くれぐれも気を付けてね。それと、協力してくれてありがとう」
「いえ。今回のことは、わたくしも相当頭に来ておりますもの。あの3人がやらかしたことは、学院の看板に泥を塗るどころの騒ぎではありませんでしたから」
勘違い娘どもに大切な友達を傷付けられて、泣き寝入りできるほど私は人間ができていない。折角お金持ちのお嬢様に生まれ変わったのだから、使える権力はなんでも使わせてもらう。
あちらが親に泣き付くのならば、私も親に泣き付こう。あちらが貴族の権力で警察の邪魔をするのならば、私も貴族の権力で警察を支援してやろう。私は悪役令嬢なのだから、悪い手を使って何が悪い。
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