第4話 おじさんの娘、頭を抱える。
「先程は大変失礼致しました」
「いえ」
「ところでメヌエットさん。あなた、どうして楽器工房で働いていらっしゃるのかしら?」
「賃金がよかったもので」
「国立音楽学院の入試にいらっしゃらなかったのは何故?」
「学費が高かったので」
「でも! あなた程の歌声があれば特待生になれたでしょう!?」
「なれたかもしれませんし、なれなかったかもしれません。いずれにせよ、挑戦することすらしなかった私にその権利はありませんでしょう?」
それに、と私は首を傾げる。
「失礼ながら、初対面のお嬢様にそこまで仰って頂く理由もございませんよね?」
「それはその……噂で! 下町に凄く歌の上手い子がいるって!」
「恐らくそれは、私以外の娘でしょう。工房と孤児院以外で歌を披露したことは一度もありませんから」
お義父様とイカルガ様が話し合いをしている間、客間で紅茶とお茶請けのビスケットを頂いていた私は酷く混乱していた。何故? 何故乙女ゲームの主人公であるはずの彼女が楽器屋で働いてるの?
入試に来なかった理由は判ったが、そうなった理由がまるで理解できない。風が吹けば桶屋が儲かると言うが、私というイレギュラーな風が彼女の運命を変えてしまったのだろうか?
原作通りであれば彼女は『有名になればいつか本当のパパとママにも私の歌声が届くかもしれない! 本当のパパとママに会いたい!』という夢を抱いて国立音楽学院の門を叩くはずだったのに。
完全調和は平和な乙女ゲーだ。別に主人公がバッドエンドを迎えようが死ぬことはないし、魔王が蘇って世界を滅ぼすとか隣の国が攻めてくるといったハラハラドキドキの展開は皆無である。
そういう意味では彼女がイケメンたちとの恋愛よりも楽器職人になる道を選んだところで誰も困りはしないのだけれど、曲がりなりにもこのゲームのファンだった身としてはあまりに衝撃が大きすぎる!
「それに、特待生に選ばれるには入試で主席になることが必須条件だと聞き及んでおります。あなた様が主席の座に選ばれた以上、いずれにしろ私が特待生になることは不可能だったでしょう」
「私!? 私のせいなの!?」
「いえ、それは違います。そもそもの前提として、私が入学試験を受けないことを私の意思で決めた以上、何を語ろうともしもの話にすぎません」
ガン! と頭を殴られたような気分になった。確かに彼女の言う通り、因果関係が逆だ。私が主席になったから彼女が落ちたのではなく、彼女が受験に来なかったから私が親の七光りで主席になれただけ。
であればなおさら理解できない。運命のいたずらか、はたまた神の見えざる手が介入したのか。
「あの、つかぬことを伺いますが!」
「なんでしょう?」
「……いえ! なんでもありませんわ!」
言えない! 『ひょっとしてあなたも転生者だったりします?』なんて、訊けるわけがない! もし違っていたらとんだ赤っ恥だし、本当に転生者だったとしても主人公である彼女が悪役令嬢である私を知らないわけがない。
初対面の時からずっと彼女は私を見て変なリアクションをすることはなかった。すっとぼけている風でもないし、本当に私のことを知らないのだろう。今も困惑しながら接客してくるその態度に、嘘はなさそうだ。
「終わったぞ、リンリン」
「え!? あ、そうですかお父様! えっと、その!」
「……何か?」
「……なんでもないです!」
結局何も分からなかった。あまりしつこく彼女の事情を探ろうとすれば彼女の気分を害してしまう可能性もあるし、何より金持ちお嬢様の嫌味と取られても困る。
見方を変えれば今の私は『わたくしはパパのお金で悠々と通わせてもらっているのだけれど、あなたは? 貧乏だから通えないの? 可哀想! だったら特待生になればよかったのに!』と煽ってるように見えなくもない。
私は主人公に喧嘩を売りたいわけではないのだ。むしろ仲よくしたかったとさえ思う。だって大好きなゲームの主人公なんだよ? 友達になれたら嬉しいじゃん!
『リンリン、一体どうしたというのだ。彼女は知り合いか?』
『いいえ! 知り合いというわけではないのですが、あの、その……!』
実際、お父様にも不審に思われてしまった。力ずくで店の外に連れ出され、上手く理由を説明できなくてしどろもどろになりながら口ごもる娘に、深々とため息を吐いたお父様の表情は忘れられない。
『リンリン、イカルガ殿にあまり失礼のないようにな。彼はいざとなれば公爵家からの依頼さえも蹴る男だ』
『あっはい、そうなんですね! 分かりました気を付けます!』
楽器職人のイカルガなんて原作ゲームにチラっと名前が出てくる程度のモブキャラだったのに、どうやらお父様は彼のことをとても高く評価しているらしい。
実際頑固職人として有名な人間国宝に楽器作りを断られたなんてことになったら公爵家の恥なので、世間の物笑いになるのはこちら側である以上、お父様の顔に私が泥を塗るわけにはいかない。
(……どうしよう!)
これから先、私は主人公抜きで3年間の乙女ゲーム生活を送るはめになる。愛想はいいが内心私を嫌っているフォルテ王子。お父様と公爵一家を恨んでいる義弟のアルト。宮廷楽団長の息子という肩書に押し潰されそうなソプラ様。
将軍の息子であるメッゾ様の持病問題。他にもまだ登場していない攻略キャラは何人もいる。それら全ての問題を、主人公の手を借りることなく悪役令嬢である私が解決しなければならないのだ! たった独りで!
(やばい、挫けそう! 泣きそう!)
いや、そもそもの前提として、彼らは悪役令嬢である私なんかが尽力して手を差し伸べたところでそれを受け入れてくれるだろうか。
お前なんかに言われたかない! と手を払われるのがオチではなかろうか。考えれば考えるほど、私の気分はズッシリと沈んで重たくなっていく。大好きなゲームのキャラには全員幸せになってもらいたい。でもそのためのハードルが高すぎる!
「どうした? 浮かない顔をしているな、リンリン」
「いいえ、そんなことはございませんわ、お父様」
楽器工房を後にして、公爵家の馬車に乗り込む。途中、工房の前で1匹の野良犬がひなたぼっこをしているのが見えた。あれは原作ゲームにもちょっとだけ登場する老犬のディアン爺だ。
主人公であるメヌエットが孤児院暮らしの頃から可愛がっていた野良犬で、原作キャラと一緒に孤児院に帰省した際に犬の散歩をするイベントがあるのだが、どうやら原作通りメヌエットに懐いているらしい。
変なところだけゲームに忠実なんだな、と思いながらお父様の手を借りて公爵家の馬車に乗り込んだ。これからのことを思うと、どうにも気分が晴れない。
「もしやとは思うが、彼女に何か言われたのか?」
「違います! ……違います。ただその、わたくしにも思うところがあるというだけで。年頃の娘の乙女心は複雑なのですわ、お父様」
「そうか。ならば深くは突っ込むまいが、何か困ったことがあれば遠慮なく言いなさい。私たちは君の味方なのだからね」
「ありがとうございます、お父様」
もし原作ゲームが始まったら、世界の修正力とか運命力みたいなものが働いて、なんにも悪いことしてないのに主人公にざまあされて破滅させられたりしたらどうしよう、と不安になっていたのがバカみたいだ。
そもそもが主人公が学院に入学しないのだから、もう原作の筋書きはメチャクチャである。できるだろうか、私に。主人公の助けなしに、悩める推しキャラたちを救うことが。いや、できるできないではない。やらなければ。頑張れ私。
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