第七話 犠牲者が彷徨う館

屋敷の地下室に戻ると、ジョンは大人しく、さっきの場所に膝を抱えて座り込んでいた。何か言いたげな表情でこちらを見上げている。私は大きく溜息を吐いた。


「……逃げられたわ」


「奥様、気を落とさないで下せえ……」


ジョンはおずおずと前に出てきた。


「それより奥様。この屋敷にいる幽霊はワシだけじゃねえんです。

この屋敷で、あと二人、シェアリアに殺された者がおります」


「……はあ!!??」


私は驚きに目を見張る。鳩尾の痛みなど、すぐに吹っ飛んだ。

あの女、一体どこまで……


「だ、誰と誰?」


「一人はスレア家の家令だったジェームス様です。

もう一人はメイドのアニー。

二人とも、この屋敷にの亡霊のまんま、留まってるんです」


「アニー!?」


ジェームスという人は知らなかったが、アニーには何度か会っていた。

私がこの家に嫁いできたばかりの頃、唯一まともな食事を運んでくれたメイドだ。

温かいスープと、柔らかなパン。時には良い頃合いに火が通った肉の切れ端や、野菜が添えられてくることもあった。


『こんな物しかなくて、申し訳ありません』


眉をわずかに八の字に下げた笑顔で、そう言いながら。


ある時から、パッタリ姿を見せなくなり、心配していたけれど、そんな事になっていたなんて。

ありったけ流して、空っぽになったと思った涙が、まだ滲み出てきた。

どうして彼女がそんな目に……


それに会ったことはないけれど、伯爵家の財政を握る家令が殺されているのも気になった。


「ねえ、ジョン。二人と話はできるかしら?」


「へい、二人とも出没する場所は大体決まってるんで、そこに行けば……」




***




私達は辺りを伺いながら、そっと地下室のドアを開けた。

足音が立たないように注意を向けながら、一階を歩き回るが、辺りに人影は見当たらない。


「どうやら、皆、逃げちまったようですね」


殺人事件に関わった貴族の家など、使用人にとっては沈む泥船だ。

しかも『医者殺し』となれば、どれだけの厳罰が下るか、知れたものではない。


パッと見に、家具や美術品などは持ち去られていない。取り潰される貴族の持ち物は王国の管轄となる。

うっかり持ち出して、足が付けば即刻打ち首だから、さすがに置いていったようだ。


厨房と使用人の寮を見回ったジョンが戻ってきた。


「アニーは今、いませんね。人がバタバタしてたから、どっかに隠れたのかも知れねえです」


「仕方がないわね……だったら、ジェームスさんはどこ?」


「二階にある家令専用の執務室辺りでよく見かけます」




人気が失せた階段ホールに、私の足音だけが響く。

おそらく使用人の中では一番良い位置にあるであろう部屋を、私はつい癖でノックした。


コン、コン……


「どうぞ」


男性の低く、落ち着いた響きの声が聞こえた。

遠慮なくドアを開けると、誰の姿も見えない。


「私はマリーゼ。スレア現伯爵夫人です。あなたがジェームス?」


「はい、私はジェームス・アンバーと申します。奥様、あなたのことは大体存じておりますよ」


彼はゆっくりと、半透明の姿を現した。

年の頃は四十代後半だろうか。細身の長身で、彫りの深い整った顔立ちには、冷静さが宿る。

青い瞳で左眼にはモノクルを掛け、黒い髪をピシッとオールバックにして、黒い燕尾服、ペンシルストライプのズボンを纏っていた。


「しかし、あなたは私をご存じないでしょう。まずは、自己紹介から始めましょうか。


……私は父の後を継ぎ、二十年以上スレア伯爵家に仕えて参りました。この家は、屋敷こそ立派なものを受け継いでおりますが、たまたま先祖に商才のある者が一部存在しただけであり、その子孫は大した能力を持ち合わせておりません。領地からの税金で何とか成り立たせている状態でした。


しかし派手好きで自己主張の強い性格、他者への威圧感を持ち合わせた容姿は一貫しており、それは先代の伯爵様も、ハリー様も受け継いでおります。


それを何とか宥めすかして、伯爵家としての体裁を保っていたのですが……

ハリー様が、あの、シェアリアと名乗る平民女性にうつつを抜かすようになり、全ては破綻しました。


私は早急に彼女の身元調査をしましたが、どこからも情報が得られず、これは只者ではないと察し、ハリー様に忠言申し上げた数日後……


私は深夜、私室に忍び込んだあの娘に、毒物を注射されました。おそらく心臓発作に見せかける毒物です」


私は無言で聞いていた。


「私がいなくなった後、先代は依存性のある薬を与えられて別荘に籠りきりになり、ハリー様は色仕掛けでシェアリアの言うなりになって、あなたは虐げられることになってしまいました。私の後任はスレア家の縁戚から連れてきた無能な者でしたからね。


あの娘があなたに保険を掛けたのは、伯爵家の経済力がさほどでもないと知ったからでしょう。

この家はもう終わりです。私がもっと慎重に動いていればと、今も悔やみきれません」


表情には出さねど、ジェームスが静かに震えながら握りしめた拳には怒りが漲っていた。


「ジェームスさん、私はシェアリアを許したくない。絶対に罰を下したいの。他に殺された人の分も。

手伝ってくれますか?」


「もちろん。はなからそのつもりです。それから、私のことはジェームスとお呼びください。

今日からあなたがご主人様です」


ジェームスは、胸に右手を当て、主に対するように私に礼を取った。


「私はここに待機しております。何かございましたら、いつでもご相談ください」

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