第2話 キュウリをカッパが好むワケ


「キュウリを畑から奪うときにさ、どうして遠心力でキュウリが吹っ飛ばないの?」新吉少年が尋ねた。曲げた両膝の上に顎を乗せて、無邪気な好奇心に目を輝かせている。「それに皿の円周から放射状に伸びた針って、回転していたらキュウリに刺さりづらい気がするんだけど」


 与七は新吉の疑問に応える義務などないといわんばかりに貯水タンク内部の暗がりを気ままに泳ぎ続けている。黒い水面に夏の陽射しの反射がせわしなくきめ細かに揺らいでいる。


 新吉はそれで構わない。プールバッグから取り出したキュウリを投げ込むと、与七は落ちた方へ泳ぎに行って、キュウリをつかむと嬉しそうにアヒルそっくりな鳴き声を上げた。


「へえ、きみは髪の毛の針を自在にコントロールできるんだね。針の向きも、その形状も、硬さも。針がキュウリに突き刺さるときは、針はキュウリに直角に生えていて、釣り針みたいなかえしがあるんだね・・・なになに、皿が頭から離れている間は意識がないだって? すると頭の皿がきみの本体ってわけかい。たまげたなあ・・・あ、キュウリもう食べたんだ。ほら、もっと食いなって」


と、新吉は与七の言葉を独自解釈して納得。追加のキュウリを与七の少し前方に落とす。

(新吉を笑ってはいけない。私やあなたが他者と交わす会話だって独りよがりではないと誰が言い切れるでしょう?)


 与七は水中に沈みかけたキュウリを、滑らかに泳いで追いかけ捕まえて、再び顔を出すと新吉に見せびらかすように両手で掴んだキュウリを頭上に掲げた。キュウリの色は与七の水かきの色より濃くて、肌の色より薄い。まるで緑色のあらゆるバリエーションを見せられているよう。


 やがて黄色いクチバシで齧りだす。

 歯はないようだが硬そうなクチバシと顎の力でキュウリが砂の造形物のようにぼろぼろ壊れていく。

 新吉は与七がキュウリを食べる様を満足げに見つめた。クチバシの脇から大量にキュウリの破片がこぼれ落ちていく。

 与七は、一旦こぼれ落ちた破片は食物と認めないらしく、二度と見向きもしない。キュウリ一本与えても、胃袋に入るのはせいぜいその三分の一程度に思えた。


 新吉は与七にとって唯一の人間の知り合いである。与七という名前も新吉が一方的に名付けたに過ぎない。


 新吉にとって、与七はまだまだ謎だらけの存在であった。

 いま、新吉の頭にまた新たな疑問が浮かんだ。『キュウリって色合いといい、形といい、もしやカッパのポコチンにそっくりなんじゃ・・・? 与七は本来の欲求を満たせないからキュウリで代用しているとか・・・?』


 与七が食い散らかしたキュウリの残片が、水面の黒と陽光の反射のきらめきの間の色合いで汚らしく揺れている。

 新吉の心情は、水面そっくりに落ち着きなく揺らいで、次第にしずまった。『でもまあ、人間も人間のポコチンそっくりなソーセージが大好きだもんな。生き物なんてそんなもんよ』

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