第45話 逃げるのは、着衣

 泣き出す妹に、俺は戸惑った。

 さっきまで普通だったのに。服も着ているのに。


 泣き止まない妹を周囲の人達が気にし始める。駅前で人通りも多かったから、段々目立ってきた。


「ま、まず家に帰らないか? な、ゆっくり話聞くから」

「帰りたくない……だって帰ったらお父さんいるし……服脱げないし……お兄ちゃんはお兄ちゃんじゃんっ!!」

「……どういうこと!?」


 どれ一つも、悪いことのように思えない。

 えっと、親父が家にいるのが問題なのか。そうだ、思春期の女の子ってのは父親が苦手になるものだからな。

 それはともかくとして、あと二つはどうなんだ。服は脱がないのが普通だし、俺は俺で、つまりそれは妹にとって兄であるということだ。


 ――親父は家に居ない方がいいし、服は脱ぎたいし、俺は兄じゃない方がいい!?


 反抗期だ。親父と俺を邪険にして服も着ない。とんだ反抗期だ!

 親父のことはともかくとして、俺の方は嫌われても仕方なかった。昨日、ほとんどすべてここ数日の俺がしでかしたことを告白した。

 妹からどう思われてもしょうがない。


 だから、今日出かけたのも……あれか、死刑囚に最後の晩餐は好きなものを何でも食べさせてやろう、みたいなことだったのか!?

 明日から俺は妹に無視されて、兄でも何でもない知らない男として扱われる、そうなのか!?


 ずっと兄貴として挽回したいと頑張ってきたが、思えば俺がしてきた事って――クラスメイトの女子の下着姿を見たくらい!?


 これは、まあ、妹から見放されてもおかしくない。


「ごめん……本当に俺は兄貴失格だ……」

「そうじゃないもん……お兄ちゃんがお兄ちゃんじゃなかったらよかったのに」

「そ、そうだよな……俺みたいのが、兄貴なんて嫌だよな……」

「違うっ!! 違うもんっ! 嫌じゃない……あたしは、お兄ちゃんがっ――お兄ちゃんが」


 泣きじゃくる妹が大きな声を出すから、どんどん周囲の目線が集まってくる。

 近所で妹を泣かせる最低の兄貴として評判になるかもしれない。


 しかし、それも仕方ない。妹の気持ちがそれで少しでも晴れるなら、俺はどんなそしりも受けるつもりだ。通行中のみなさん、迷惑おかけします。ただ悪いのは俺なんです。妹は本当に良い子で、普段はこんな感じじゃなくて……えっとまあ、服は着てない時もありますが、品行方正でして。


波実香はみか? 話なら家に帰ってからで……」

「お兄ちゃんが好きっ!!」

「へ? ……それは、ありがとう。俺も波実香が大好きだぞ」

「お兄ちゃんとしてじゃなくて、好きなのっ!! 男として好きーっ!! 大好きーっ!!」


 今までで一番大きな声だった。

 さっきまで通りざまにチラチラと見られるくらいだったのが、驚い立ち止まる人達。


「波実香? えっと……」

「抱いてほしいのーっ!! バカーっ!! お兄ちゃんがお兄ちゃんじゃなかったらよかったのにーっ!!」


 とんでもないことを言って、俺が呆気に取られている間に、


「あたしの裸みてもっと興奮しろバカーっ!!」


 さらにとんでもないことをダメ押しして、妹は走り去った。


「ええぇ……」


 取り残される俺、周囲からの刺さるような視線。

 しかし、俺にすべきことは明らかだった。「あー、ちょっとした冗談みたいなもので」とか言いながらヘラヘラ笑って誤魔化すこと――ではもちろんなく、


「波実香っ!! 待ってくれ!!」


 俺は全力で、妹を追いかけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る