第44話 お出かけは、着衣。

 デートだった。

 女の子と二人で出かけるのは三日連続で、しかも毎回相手が違うというのだから、頭がおかしくなりそうだった。


 散々、ありえないと否定した黒沢くろさらの話が、全く笑えなくなっている。


 ――え、俺、正真正銘クズになっている!?


 今日は土曜日で、出かける相手は同じ家に住んでいる。

 だから待ち合わせの必要もないのだが、しかし隣り駅で集合しようと言われて、俺は反論せずに頷いた。


 集合場所、駅の改札を出て少し行ったところにある書店。

 俺の妹、佐志路部さしろべ波実香はみかがいた。相変わらず可愛い、全世界に自慢したくなる美少女である。


 妹は俺より早く出たので、まあ仕方ないのだが、待たせてしまった。

 事前に家を出る順番も決められていたので、俺にはどうすることもできなかったのだが、「待たせたな」と一応軽く頭を下げた。


「ううん、本眺めながらなら、二時間でも待てるから」

「波実香はずっと本好きだな」


 思えば、もともと本好きで、今も本好きな妹がなぜバスケ部に入ったのかは少しだけ不思議だった。「やってみたくなったから」というのは聞いて、俺も「ふぅん、そうかそうか。俺を手本に頑張ってくれ」と深くは考えなかった。


 妹はなんでも俺に話してくれるから、言わないってことは特にたいした理由もないんだろう。

 そう思っていたわけだが、しかしどうだ。

 全裸になった妹も、「特に理由なんてないけど」って態度だが俺は納得していない。

 もしかしたら本好きの妹がバスケを始めた理由も、俺には説明しなかっただけで本当はもっとなにかあったのかもしれない。


 俺は、妹のことを考えているようで、実は全然考えていなかったんじゃないか。

 妹の裸を見て、初めて気づかされた。


 ――って違う違う、今の妹はちゃんと服を着ているし!


「気になる本あったら、まだ見てていいからな」

「ありがとう、でも大丈夫」


 服を着ている妹は、手に取っていた本を棚に戻した。

 女子の服装のことはよくわからなくて、それでも妹には「あたしってどんな服が似合うかな? お兄ちゃんはどういう服好きなの?」とよく相談されてきたから、なんとなくそれっぽいことはわかる。一時期女性ファッション誌を読みあさって勉強した時期もある。


 俺は熱を入れて褒めた。

 お出かけしたら、女性の服を褒めるのは当然。これは親父の教えだったし、妹の服はお世辞抜きに可愛かった。


「本当に可愛い。最高だ。ファッションショーが始まった。その服は波実香はみかに着られるべくして生まれてきた。服を着てくれていてありがとう」


 妹の視線が、なにか気にかかった。

 もしかして俺、暗に最近全裸だった妹を責めるような言い回しになっている!? 違うんだ、そりゃ妹が服を着ているのにほっとしているのは間違いない。全裸と着衣の妹、どっちと一緒にいて気が休まるか。そんなの、着衣に決まっているじゃないか。


「うん、ありがと」


 俺は言葉に詰まっていたけれど、妹が嬉しそうに笑った。


「ね、行こ。ほら」


 そう言って俺の手をつかむと、そのまま引っ張るようにずかずか歩いて行く。

 行き先は聞いていない。妹と二人で出かけるなら、よく行くような場所はいくつかあって――それこそ本屋も選択肢の一つだったけれど、今日は妹の方に当てがあるらしい。


 ただ妹と出かけるだけなら、なんの問題もない。

 むしろ大歓迎だ。俺は妹のことが大好きだ。生涯をかけて妹と仲良しな兄貴でいることは、俺の目標の一つだ。


 ――でも昨日のことは、いや、ここしばらくの俺と妹との間にあったことを考えれば、手放しで仲のいい兄妹が一緒に出かけるだけ……とは喜べなかった。


 断るべきだと思った。そもそも、妹と付き合うというのは。


『買い物付き合ってよ、お兄ちゃん』


 そういう話なら、良かった。

 そういう話では、ないんだろう。



   ◆◇◆◇◆◇



 ついたのは、女性服のお店だった。

 小洒落たお店で、妹がよく買っているブランドのものらしい。まだ中学生の妹だ。そんなに高いブランドではないけれど、子供っぽい感じはない。


「これとか似合うんじゃないか! なあ、こっちも可愛いぞ。試着するか? これとか良いんじゃないかな。ほら、波実香部活頑張ってるし、この前もテストの点良かったよな。プレゼントとか」

「……お兄ちゃん、服見に来るといつもあたしよりテンション高いよね」

「えっ!? いやそんなことは……」

「お兄ちゃんってやっぱりあたしより服のことが好きなんじゃ……」


 さっきと同じ視線だ。

 俺が服ばかり褒めているように、服を着ている人間ばかり肯定的に扱うから――妹がすねている!?

 やっぱり服を着ていない人間も平等に褒める必要があるのではないか。いやでも、服は……。


「へへ、でもお兄ちゃんが服のこと詳しくなったのって、あたしが服の相談するようになってからだよね」

「え? あ、ああ……」

「嬉しいけど、お兄ちゃんがあたしよりオシャレだとなんか……負けた気もする……」

「え、あ、そっち?」


 妹と服を比べたわけではなく、俺と妹どちらが服好きかを比べていたのか。

 ――よかった。そうだよな、別に俺は服を着ていない人間を不当に評価しないわけじゃないが、うん、よかった。


 遠慮する妹を押し切って、俺は新しいカーディガンをプレゼントした。

 これで、妹がもう少し衣類に目を向け直して欲しい。そう思った。


 それから、近くのカフェで休憩した。俺は元々運動部で最近また鍛え直しているし、妹は現役バリバリのバスケ部だから、別にこれくらいで疲れてはいない。ただ店先に貼られたパフェのポスターを妹が見ていてのに気づき、


「のど渇いたし、なんか飲むか」


 と入ることにした。


 妹はまた遠慮していたけれど、俺は「いいからいいから」とパフェを頼んだ。ただ驚いたことに、パフェはさっきかったカーディガンの半分くらいの値段だった。

 え、おかしくない? 食べたら三十分くらいでなくなるデザートと、洋服一着が同じ値段って。


「美味しい、お兄ちゃんも食べる?」

「……ああ、じゃあ」


 二千円超えの味は気になった。

 ひとすくい、クリームとフルーツとあとなにかが乗ったスプーンを、妹に差し伸べられる。俺はそれを口で受け止めると、そういえば妹相手だからなにも考えなかったけれど、これがクラスの女子だったらけっこうな事だったと思う。


「美味しいな」

「でしょ?」


 値段が頭をよぎったけれど、でも美味しいのは間違いなかった。果物があれだな、本物だ。そう、果物って高級品だから。


 それからゲーセンに行って、妹にねだられるままぬいぐるみを一つ取った。さっきまで遠慮がちだったくせに、こういう時はちゃっかりというか、甘えてくる。

 ただ俺は、こういうのが得意だった。中学生になってすぐ、小学生の妹と初めてゲーセンに来たとき、同じようにぬいぐるみを取って欲しいと頼まれたのだ。その時、初心者でお小遣いを全部費やしても結局取れず、泣きそうになっている妹を見かねた店員さんに助けてもらって、お情けみたいなぬいぐるみを手に入れたことがあった。

 兄貴として、恥ずべき思い出である。俺は翌日から、研究に研究を、練習に練習を重ねた。次に妹がなにか欲しがったら、俺の実力で勝ち取ってみせる。


 工事現場でクレーンを操作するおっさんにまで教えを請いに行ったのも、今じゃなつかしい思い出だ。


 そのおかげもあって、今回はすんなりとよくわからない熊か猫のぬいぐるみをあっさりと手に入れる。


「これなに? ……なんかすごい顔してないか?」

「えーお兄ちゃん、知らないの? 流行ってるんだよ」


 なんていうか、すごく普通に妹とお出かけだった。

 身構えていたのが嘘みたいだったが、よく考えれば外では妹は服を着ているし、こうやって出かければ、いつでも前みたいに妹と話せたんだと気づく。


 夕方になって、一緒に最寄り駅まで一駅分だけ電車に乗る。


「帰るかー。親父が牛乳買ってきてくれって」


 俺は近くのスーパーに寄ろうとした時、妹が急に涙を流し始めた。


「えっ!? ど、どうした波実香!? お腹か!? お腹痛くなったのか!?」

「……なんで、なんでそんな普通なの」

「普通って」

「……あたしと二人っきりで出かけて……でも前までのお兄ちゃんと変わらない……全然。……お兄ちゃんのままだよ……」


 ――どういう意味だ? 俺は、お兄ちゃんだけど。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る