第28話 蓮華院①
自分の家が裕福であることはわかっていた。
けれど、同じように裕福な家庭の子供達と話すのは好きになれなかった。彼らも自分がそうであることを自覚していて、お互いの家はどちらが格上なのかを探りながら振る舞う。
十歳にもならない子供が家柄で人を判断するようなこと――しかし、彼らは生まれながら将来を約束されていて、その代償として物心ついた時から無知であることも自由であることも許されない。
私も、そうだ。
おそらく世間的には幸運なことに、蓮華院家は日本でも有数の由緒ある名家で大企業の経営も成功している。
周囲の家――その子供たちは、みんな私を蓮華院家の子供と見るから、私はなにもしていないのにまるで人生の勝者のように扱われた。
息苦しい。
それが嫌で、中学は公立校に進学させてもらった。親は、特に反対もしなかった。
だけど私は、浅はかだった。
今まで家の名前で見られていることが当たり前で、それを煩わしいと思っていたのに、いざなくなってみれば――。
(あれ……私……どうしたらいいんだろ……)
思えば、一番家柄の良い私は、自分から誰かに話しかけるなんて事がほとんどなかった。
願って入った公立の中学校で、入学して最初の教室。
私はどうしていいかわからなくなっていた。
クラスメイトたちは、私を余所に交流が始まっていた。小学校からの知り合い同士、既に友人なのかもしれない。そうなると、私も話に入れてくれとは言いにくい。第一、私は髪色も含めて多少目立つ。一向に話しかけては来ないのに、先ほどからチラチラと見られている気がした。
私から、声をかけるチャンスなのだろうか。
しかしなにか変なことを言ってしまわないか心配になってくる。それに、この目線も好意的なものではないような気がしてきた。
(…………)
逡巡しながら、時間だけが過ぎた。
「……人を殴るのが好きだったりする?」
そんな中、突然意味のわからない言葉をかけられた。
私が、人を殴るような人間に見えるということなのか。
けれど呆気に取られたおかげで、さっきまでの構えた重たい気持ちが急に軽くなった。
声をかけてきた男子生徒は
いろいろ差し引いても、今までに関わったことのないタイプの人間のように思える。
まず距離感が近い。あと会話の節々に妹の話題があって、妹がとても好きなのだろうというのはよくわかるが、その合間みたいに私のことも褒めてくる。
合間と言うが、妹の話題が多すぎるだけで、私のことだってかなりの頻度で褒めている。
――よくわからないが、話していて不快感はない。
なにより、彼と話している内に他のクラスメイトたちと話すことへ身構えていた気持ちも薄れた。多少失敗しても、彼に話せば笑い話で済む。
そう思って自分から話しかけるようになると、すんなり友人ができて、やっと私は望んでいた学生生活を――友人というものをつくれた。
もちろん、一人目の友人は――。
「蓮華院、すっかり人気者みたいだな。俺も安心だよ」
「……えっと、誰だっけ?」
「恩人になんてことを言うんだっ!? ぼっちだった蓮華院を影ながら支えたのは俺だぞ!?」
「……そんな記憶ないけど」
軽い冗談の言い合いができるようになったのも、彼のおかげだ。
「友達ね。佐志路部は友達って感じしないから」
「……親友? 照れるな」
「私そろそろ友達と話すから、またね」
「くっ、調子に乗ってぼっちに戻ったらまた俺が相手してやるんだからなっ!!」
新しくできた友人の大半が同性――女子だと言うこともあるのだろうが、やはり彼は他の友人とは別だ。
彼自身が特殊な人間と言うこともあるが、それだけでなく――。
親には、自分で公立校の進学を選んだ手前もあって、学校での様子を度々報告するようにしていた。
もし佐志路部がいなかったらと思うと、私はどんな話を親にしていたのだろうか。
とても聞かせられるような内容ではなかっただろう。言葉少なに、「順調です」と言う私が目に浮かぶ。
ただ友人もできて、嘘偽りなく学校生活を楽しめていた。だから少しだけいい気になっていたのかもしれない。
「なるほど、楽しそうでなによりだ。特に、佐志路部君だな。よく
「そういうわけでは」
父の言葉に、私は自分がどんな話をしていたのか思い返す。たしかに、彼のことばかり話していた。
「その……本当に……」
「娘の初恋か。花澄なら間違いなくものにするだろう。そうなると、私の息子にもなり……ゆくゆくは蓮華院家を継いでもらうことになる」
「お父様?」
「心配するな。私には蓮華院家を発展させてきたこの先見の明がある。花澄の将来のために、間違いない選択をしてみせよう」
父は尊敬している。元からあった家と企業の地盤や財を存分に使いこなして、さらに蓮華院家の名を高めている。資本や地位があるのだからと言う声もあるが、だからといって安全な思考だけでなく挑戦する道を選んで成功しているのだ。
娘としても、すごい人だとは思うのだが。
その先見の明とやらは、かなり先まで見すぎていないだろうか。
まだ中学生だ。私も、彼も。
それに、私だってなにも――そんな、息子になるって、蓮華院家を継って、それはつまり。
もしかすると、私にも父の先見の明が遺伝しているのかもしれない。
薄らと、彼の横で白いドレスを着る私の姿が浮かんだ。
しかし、しかし、なにを間違えたのだろうか。
佐志路部と話そうとした父は、なにを間違えたのか――使用人に彼を歓迎するように言ったのが、ねじり曲がって伝わったのだろう。
『お嬢様を拐かすネズミを一匹、歓迎しろと言われておりましたが……失敗してしまいました』
頭を下げる使用人の一人に、父と私は困惑した。失敗はいい。否、もしかすると成功していれば、謝罪も訂正の機会もいくらでもあったのではないか。
しかし、彼なら笑って許してくれる。私はそう思った。だから父にも、これ以上余計なことはしないてほしいと頼んだ。父も謝罪して、私に任すと約束してくれた。
――人生で二度目の早計だった。
彼との間に生まれた溝は埋まらないまま、何ヶ月も、何年も過ぎてしまう。
こうなったら手段は選ばない。どんな機会も逃さずに、彼との誤解を解いて――以前の仲に、否、それ以上の仲になるのだ。
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