第2話 悩んでいるのは、裸

 いつもより三十分ほど早く家を出て、そのまま時間を潰す場所もないから登校して、朝の教室でボーッとしていた。

 暇だ。

 しかし、朝起きて妹と顔を合わせると――昨日の艶めかしい裸体が脳裏をよぎって、とても素面しらふでいられなかったのだ。


 幸い、妹は寝るときには以前同様しっかりパジャマを着ていたようだし、朝食を終えて一度部屋に戻ってから出てきた姿は登校準備を済ませて制服姿だった。


 裸ではない。

 だけれど、昨日見たばかりの全裸がどうしても忘れられなかった。


 いたたまれず、まだ眠そうな顔の妹を残して、俺は先に家を出た。


「お、佐志路部さしろべ。今日は早いな」


 ツンツン頭のスポーツ刈りをしたイケメン野郎が、朝っぱらから愉快そうな顔で近づいて来た。まぶしい。


「黒沢、目にしみるから光度下げてくれ」

「光度? なんだそれ」


 そう言いながらも、爽やかな笑顔のまま「おはよう」と言う。俺は最近クールなキャラでやっていこうと思っているので「あぁ……」とだけ返す。ただそれだけだと冷たいと思われるかもしれない。黒沢はムカつくほどイケメンだが、俺に取っては数少ない友人である。

 口惜しいことに、顔が良いやつというのは大抵俺みたいなクラスのあぶれ者にも優しい。なんでだろうな。


「……お兄ちゃんって大変だよな」

「ん? そうか? オレは姉貴しかいないからわからんけど、そういうもんか」


 素っ気ない返しなのは、俺が悩みを抱えているからという説明。

 加えて、悩んでいるから聞いてほしいというアピールだったのだが、この鈍感系イケメンには通じなかったらしい。


「はぁ、いいよな美人の姉さんがいて」

「佐志路部の妹ちゃんも美少女だろ」

「へへへ……はぁ」


 妹を褒められて満更でもないながらも、妹のことを思うとまたため息が出てしまう。さすがにため息を連発したせいで、黒沢も俺をいぶかしんできた。


「さっきからどうしたんだよ。……妹ちゃんのことでなんかあったのか? わかった、反抗期が来て冷たくされたんだろ?」

「反抗期……なのかな……」

「ま、妹ちゃんが佐志路部のこと嫌うなんてないだろうけどな。でももう中三だろ? 来年には高校生だ。それくらい歳ってのはオレらもそうだけど、急に心身変わっていくからよ。難しい年頃ってやつだから」

「まあ、そうだよな」


 黒沢は、顔ばかり目立つけれど、実のところ内面もしっかりした良いやつだ。

 俺の悩みを察すると、それらしい助言をくれる。確かに、そうだ。妹は、俺と一緒で中高一貫校に通っている。高校受験みたいな大きなイベントはないけれど、それでも普通に生きていたって十五歳にもなると悩みなんていくらでもわいてくる。


波実香はみかのやつ、なにか思い悩んで……それで裸族になったのかな……)


「佐志路部はちょっとデリカシーないところとかなりうっかりしたところあるしな。事故だろうとは思うけど、着替えでものぞいたんだろ?」

「いや、それは……」

「あのなー、いくら仲良いからってダメだぞ! 妹ちゃんだって、もう歴とした女子、女性なんだ! 家族だからって、兄妹だからって、着替えを見られたら普通怒るもんだ」

「着替えじゃなくて……」


 どうも、さしもの黒沢も俺の身に起きた異常事態を察しかねたようだ。

 点で見当外れの方向へ話題が進んでいる。


「なんだ、着替えじゃないって……まさか風呂か? それはダメだろ。ちゃんと確認しろって、というか、誰か入ってたら普通わかるだろ」

「風呂じゃなくて……」

「あのなぁ。裸なんて見られたら、怒ってなくたってもうしばらくは口も聞いてくれなくなってもおかしくないからな。中学生なんだから、家族に肌を見られるのなんて羞恥しかないぞ」

「そ、そうだよな……」


 俺の感覚は間違っていなかったらしい。

 だが俺が頷いたせいで、黒沢の誤解は膨らんでしまう。


「思春期にもなると、兄妹でも距離感ってのが大事になってくるんだ。わかるよな。いつまでもべったり仲良し兄妹ってわけにはいかない。でも安心しろ、妹ちゃんは佐志路部のことしっかり好きだから。あの子のお兄ちゃん好きはオレから見てもよくわかる。そこは多分ずっと変わらないだろうから安心して――」

「あのさ、黒沢」

「お? なんだ、オレの姉貴の話も参考に聞きたいか?」


 黒沢のお姉さん。

 実は数回だけ顔を合わせたことがあって、黒沢そっくりの美形、美女だった。女子大生という、高校生男子の羨望を一手に担うような属性もさることながら、純粋にイケメン黒沢の姉として納得の美貌で、俺のような初心でモテない男子は危うく手玉に取られるところだったろう。


(もしあのお姉さんも裸族だったら……正直俺は堪えられる気がしない……けれど)


「向こうは置いておいて……黒沢はお姉さんの裸見たら、どう思うんだ?」

「はい? 悪いけど、オレは佐志路部ほどうっかりしてないから、姉貴の風呂に突撃したことはないし、着替えだって……まあ、多少リビングで薄着のところを見かけることはあるが」

「仮に、だ! 想像してみてくれよ、どう思う!?」

「どうって言われても……想像か、想像もしたくないんだが……まあ、姉貴の裸か。なんも思わないか、なんつうか嫌なもん見たなって気分だろうな」


 黒沢は眉をしかめながらも俺のおかしな質問に答えてくれる。


「……それだけか? だって黒沢のお姉さん、美人だろ。胸だって……いや、悪い、お前のお姉さんにこんなこと言うの失礼だよな」

「それはいいけど。いや、姉貴だぞ。他の誰かならともかくなぁー姉貴の裸に思うところなんてないって」

「……そ、そうか」


 やはりそういうものなのかと、俺は肩をすくめてしまった。

 すると先ほどまで逸れていた黒沢の推測が、またピタリと当たってしまう。


「お前……妹ちゃんの裸見ただけじゃなくて……それで……」

「ま、待ってくれ! 違っ……違うんだっ! 違うというか……その、これはっ……」


 マズい。妹の裸に思うところがあったなどと知られれば、妹から慕われ敬われる健全な兄から落伍者となってしまう。


「佐志路部……ついにお前も、女子に興味を持ったのか」

「え? はい?」

「オレはお前の友として、親友として嬉しいぞ。やっとお前とも普通に同性の、男同士との会話ができるようになるんだな」

「いやいや、できたよね? 前からできてたよね? だいたい俺普通に――」


 女子には興味があったし、もちろん性欲だってある。

 あるけれど、まあ、他のクラスの男子と比べると確かに薄かったかもしれない。


「でもな、妹ちゃん相手ってのは良くないな。とはいえ、佐志路部はクレイジーだが、そういう倫理観に欠如したやつというわけではないのは知っているから……ふむ、やはりそうか」

「あの、黒沢? なんか話勝手に進んでいるけど……」

「思うに、今までお前は好きな女子の一人もいなかったからだ」

「え、いたって……ほら……」


 反論するつもりで、誰か名前を上げようとしたが、薄らと幼少期に憧れのお姉さんみたいのが数名居たくらいで、他に特定の異性へ好意を持ったことはなかった。


「佐志路部は男子高校生にしてやっと女子を意識し始めた、いわば異性ビギナーだ」

「なんだその言葉」

「要するに、女慣れしていない」

「……ま、まあそうだけど」


 バレンタインデーに教室の外で女子が列をつくって、チョコ受け渡し会場を開いちゃうような黒沢に言われると反論できない。いや、誰に言われても反論はできないか。彼女とか、いたことないし。なんだったら、女子の友達も、はっきりと友達と言い切れるほど仲の良い相手もいない。


「よし、佐志路部よ。お前も早く彼女をつくれ! なに、お前ならその気になれば直ぐだ。一人や二人……いやまあ、ビギナーだから一人にして置くべきだが」

「お、おい、なんか変な話になっていないか? 俺はちょっと妹とのことで悩みを聞いて……相談に乗ってほしかっただけなんだが」


 なぜ妹が裸族になったからと言って、俺が彼女をつくる話になっているのか。


「だってお前、妹ちゃんの裸のぞき見て、仲がギクシャクしているんだろ? 妹ちゃんだけじゃなくて、佐志路部自身も変に意識している。違うか?」

「え……そう、なのか?」


 のぞき見というところ以外は、実は当たっている気がする。


「だったら佐志路部が女慣れするのが一番だ。妹ちゃんに対しても、ちゃんと女子として振る舞う必要が出てきたってことだし、同時にお前は妹ちゃんと他の女子が違うってのも学ばなくちゃいけない」

「そう……なのか?」


 話はわかる。なんとなく筋も通っている気がするんだけれども。


「よし、さっそく佐志路部の彼女を募集しよう! 今クラスのグループチャットにオレが書き込んでやるから待っとけ!」

「待って!? それ、クラスの陽キャが陰キャにやる最低最悪レベルのイジメだよ!?」


 このイケメンがなにを考えているのかわからない。もしかして本当に俺へのイジメ――嫌がらせなのだろうか。

 仮にこれがイケメンで、学年でも一二を争うモテ男子の黒沢が『彼女募集中』と表明するならクラスメイト達からも暖かく迎えいれられるだろう。

 しかし地味で冴えない俺が、同じ事をしたらどうだ。それはもう、ピエロだ。黒沢のやつに悪意があるのかどうかはさておいても、こんなことされてしまっては俺の高校生活が終わってしまう。


「黒沢、頼むから冗談は仲間内だけでっ!! クラスチャットに変なことを――っ」

「送信完了っ!」

「あ、ああぁ……」


 終わった。終わってしまった。

 妹が裸族になったと思えば、翌日に兄の俺はクラスから迫害の的だ。陰キャのくせにグループチャットで彼女募集した勘違いピエロとして、今後三年間の高校生活を過ごすことになるのだ。


「お、佐志路部やったな。早速、立候補者が集まっているぞ!」

「え? は? いや、そんなバカな……」


 担任に黒沢の洒落にならないイジメを密告するべきか悩んでいると、考えてもいなかった言葉が飛び込んできた。

 ――立候補者って、なんの? え、俺の彼女の?

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