第426話 ただ二人きりの暗躍



 夜の闇に包まれる浪越市中央区……交通の一大拠点『浪越駅』を眼下に望む、とある高層タワーマンションの一室。


 ワンフロアをまるまる一区画として分譲された物件のメインベッドルーム、その窓際のバーコーナーでは……老人に差し掛かろうかという男が独り、静かに晩酌を楽しんでいた。




『泉を『魔法使い』が嗅ぎ付けた、か。……思っていたよりも遅かったな』


「仕方無いのでは? あの子も中々に多忙の身だろう。独りであれだけの働きぶりとは、全くもって恐れ入る」


『ほぉ……『経営の神』の口からそのような言葉が出ようとはな』


「全くだ。世が世なら、是が非でも囲い込みたい人材だよ……『魔法使い』殿は」




 老人が独りで眠るには到底広すぎ、また豪華すぎるベッドルーム。

 この場に見られる人影はただの一人でありながら……しかし漏れ聞こえる声は、二人分。


 まぁ尤も……この密談を耳に入れることができた者は、誰一人として存在しないのだが。




「『駒』が早々に異界へと引き込まれたのは……まぁ、少々予想外だったか。……よもや神々の遣いが、ああも容易く檻から出られようとは思わなんだ」


『それに……『魔法使い』の手際にも驚いたよ。アレでも、この私が直々に造り出した魔物なのだが……こうも一方的に敗れるとはね。自信を失くしてしまいそうだ』


「『桂馬』と『角行』と『飛車』か。……そんなに一方的だったのかね?」


『そうだな。……あぁいや、『カク』? は持たせて居なかったのだがな。『ケーマ』はともかく、とっておきの……ええと、『ヒシャ』? までもが……さしたる打撃も与えられずに、塵となったようだ』


「…………それは、それは……悲報と取るべきか、それとも朗報と取るべきか」


『『リヴィ』の扱い方が悪かった可能性もあるが……まぁ、然程問題無いだろう。良くもあり、悪くもあり』


「……そうだな。『演出』には問題無いか」




 照明を落とした暗い室内……老人の傍らのタブレットには、実に様々な情報が浮かんでいる。


 彼の傘下が擁する各プラントの生産状況、密かに設置しておいた『魔素』濃度計の数値、三恵みえ県山間部の温泉街にて目撃されたという『UMA未確認生物』に関するニュース、また昨今日本各地で確認されている『怪現象』に関する考察スレッド。


 そして……密命を与え行動させている部下からの、報告事項。






「『妖怪』とは…………大昔の日本人が、自然現象を擬人化……いや『擬生物化』し、その『恐れ』の共通認識を図るようになったことで発生したもの……という説がある」


『この世界をにあたって、まずはの再現を試みる……というのが、君の作戦だったか』


「そうとも。『恐れ』を抱く人間の数は、大気中の『魔素』量であがなわせる。あの『種』が魔素を吸着し、『妖怪』の『卵』……ないしは『繭』を造り出す。…………これ迄は、人間に寄生しなければ発芽すること叶わなかったが……『種』が魔素を充分に溜め込めば、あとは『恐れ』の刺激を加えるだけだ」


『人間の悪感情をトリガーに、その『繭』から『妖怪』……この世界に根差す『魔物』が出現するようになれば、君の言うところの『ファンタジー化』に王手が掛かる訳だ』


「そうだな。高度情報化社会……通信技術は充分に発達しているからね。どれだけ隠蔽を試みようと、一億二千万対もの目から永遠に隠し通せる筈がない。都市伝説レベルにでも周知された『魔物』は新たな『恐れ』を生み、それは『繭』を刺激し新たなる『魔物』へと繋がる。今でこそ『種』と『繭』を必要としようが……『恐れ』の量が増えれば、やがて魔素のみで『魔物』は受肉する……と」


『…………今がその『都市伝説』の段階、というわけだな。……そうなれば、後はもう』


「あぁ。それこそ、この世界から『魔素』そのものを除去しない限り……根本的な解決にはならない。……『王手』だ」


『なるほど。……であれば』


「あぁ。……そろそろだろうね」




 老人はタブレットに手を伸ばし、目まぐるしい速さでタイピングを済ませ、やがては一通のメッセージを送信する。


 差出人は自らの手駒である『ヒノモト建設』、その社用対外窓口のアカウント。

 宛先は警視庁組織犯罪対策部、特定獣害対策室。



 その送信内容は……『特定害獣対策装備の開発・生産支援・専門対策組織の設立に関するご提案』。




「そろそろ……魔物に抗う『対抗勢力』を、本格的におこす頃合いだろう」


『……ヒノモトケンセツであれば、含光精油エーテル供給の実績もある。動機と信用は充分か』


「そうとも。……人間が『魔物』に滅ぼされては意味が無いからね。目指すのは『危険で厄介だが対処可能な侵略者』だ。そうでなければ、この世界は滅んでしまう。そうなれば……」


『私のを……果たすことが出来ない。…………感謝するよ、ゴロー。さすがの采配だ』


「何を言う。実際に働いたのは君ばかりだろうに……メイルス」




 老人は静かに窓の外を眺めつつ、弄んでいたグラスに口を付ける。


 取引先から貢がれた、正直なところ好みとは異なる洋酒だが……しかし彼の身体を共有する異世界からの亡命者は、その味をいたく気に入っているようだ。


 高度な技術を持ち、様々な文化を育み、数多の娯楽に満たされ、『異世界』に対して一定の理解がある。

 素晴らしい。全くもって都合が良い。是非ともにしたい。

 ……それがこの世界・この国に対する、『魔王』の抱いた感想であった。




『『魔法使い』殿は……よくやってくれている。異世界に対する抵抗感を払拭するという一点では、彼女の演説は都合が良い』


「ならば君も『お布施』してみてはどうだね? 『リヴィ』も小遣い……いや、献金か? ……いや、餌から毟ったで合っているか。……かく、『アピス』と二人で熱心に応援しているようだ」


『……そうだな、考えておこう。彼女たちの働きのお陰で、私の悲願はまた一歩成就に近づいた。……彼女と、にとっては不本意かもしれないが……ソレは紛れもない事実なのだから』


「それは何よりだ。私とて研究者の出だからね。君の悲願……『異世界再生計画』には、少なからず興味がある」


『そう言ってくれると心強い。ゴローの采配と手勢があれば……この世界、この国は……



――――世界再生のための、絶好のとなってくれるだろう』





 異世界からの侵略者、ありとあらゆる植生を意のままに操る『魔王』と。


 不治の病から奇跡の回復を遂げた、一度は世間から見放された『経営の神』による采配。



 この一人二人以外に、計画の全貌を知る者など居やしない。

 未だ何者にも感付かれることの無かった、極秘の異世界再生計画は……ゆっくりと、しかし着実に進んでいた。




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