第310話 【最終関門】一瞬の油断が命取り



 今日はもうお部屋へ戻って、ゆっくり休もうと考えていたおれたちは、お部屋のある十九階へと上るためにエレベーターを呼び寄せたわけだが……籠の扉が閉まる前に、一人の小さな女の子が滑り込んできた。


 お上品な黒のワンピースを纏った、おれとあまり背丈が変わらない……おそらく、十歳そこらの女の子。

 しかし付近に保護者とおぼしき人の姿は……扉が閉まってしまったエレベーターの籠の中には、当然いるはずも無く。


 唖然としていたおれたちを載せたまま、エレベーターはゆっくりと……やがてどんどん速度を増していった。




「……こんばんわ。お嬢さんは何階?」


「………………」



 真っ黒な髪と瞳は、日本人としての特徴のひとつだ。おしりに届かんばかりの長い髪を高い位置で二つに結んだ、ツーサイドアップと呼ばれる髪型……先端がやんわりとカールしているその凝ったヘアスタイルはとてもお上品で、この子がとても良い立場のご息女であることを窺わせる。


 幼いながらもすっきりと整った目鼻立ちは、しかし日本人というよりは精緻な西洋人形のようでもあり……そしてその瞼は眠たげに潜められ、小柄な体躯に『眠た目』が合わさって非常に庇護欲をそそられる。




「…………」


「………………」



 しかしながら、その可愛らしいご息女は……おれの問い掛けに対して反応を返すことは無く、おれの目を『じっ』と見つめ返してくるばかり。

 さすがにおれも少々居心地が悪くなり、霧衣きりえちゃんなんかはそわそわと落ち着かなさそうに視線をさ迷わせている。



 おれの背中に乗っかったミルさんの健やかな寝息と、エレベーターの微かな駆動音のみが響く中……やがて『ふわり』とした浮遊感を感じると共に電光表示が『十九』を示し、おれたちのフロアへ到着したことをベルの音が告げる。



 後ろ髪を引かれるような思いを感じながら、とりあえずは背中のミルさんを寝かせることが先決だろうと、エレベーターから降りることにする。


 結局お話しできなかったなぁ、と少し残念な気持ちを拭いきれなかった……おれのよこしまな気持ちが伝わったのだろうか。

 黒ワンピの少女はおれから『ふいっ』と視線を逸らすと、その年齢と小さな手のひらにはやや持て余し気味の……三連カメラを備えたスマートフォンを取り出し、なにやらスイスイと操作する。


 すると……今日買ったばかりの真新しいお召し物、ロングスカートのポケットに納められたりんご印のスマートフォンが……いきなり画像共有の着信通知を告げる。




 ふとももに突如感じた微振動に、思わず硬直するおれの目の前……感情変化の乏しい眠た目はそのままに。



 唇の前に人差し指を立てた『ないしょ』のポーズは、エレベーターの扉に阻まれ……姿を消した。













 ……そして、今。


 泥酔したミルさんをベッドに横たえ、霧衣きりえちゃんとラニを『ミルさん見ててあげて』と半ば無理やりお部屋に残し……


 おれは『指示』に従い、先程降りたばかりのエレベーターに再び乗って、二十七階へと向かっている。



 おれが見つめるスマートフォンの画面……そこには、先ほど謎の共有許可申請が掛けられた画像が映し出されている。

 そこに記された文章、おれへ下された『指示』。……それは。




『二十七階 ラウンジ横 非常ドア前』


『必ず一人で』


『小さな友人 頼るな 絶対に』





 メモ帳か何かのスクリーンショット……簡潔な、それでいて有無を言わさぬ口調の『指示』。

 ただの可愛らしいイタズラだと、切って捨てることも出来るかもしれないが……おれの『小さな友人』の存在を知っている子が、であるとは到底思えない。



 果たして……指定された場所に。ロビーからは少し奥まっているため人目の及びづらい、非常口マークの灯った扉の前に。


 暗がりに身を隠すように……黒いワンピースドレスを纏い、二本おさげの可愛らしい少女が、眠たそうな目でおれのことを待ち構えていた。





「……こんばんわ。……また会ったね、お嬢さん」


「…………こん……ばんわ」


「……もう夜遅いよ? ……わたしに……何か、用?」


「…………んっ」




 眠たそうな表情にたがわず、気だるそうな動きで……それでもまっすぐおれを見据え、片手を伸ばしてくる少女。


 全くもって意味はわからないけど……どうやら握手を求めているようだとアタリをつけ、こちらへ向かって伸ばされた白い小さな(といってもおれと同じくらいか)手を、こちらから握り返す。



「…………警戒……しないん……だ?」


「えっ? ……うん、まぁ…………悪い子には見えなかった、から……」


「…………あきれ……た。――【解錠イザナエ】」


「ッッ!?」






 ばちん、と物凄い音を立てて、辺りの空気が一転する。慌てて少女の手を振りほどいて距離を取り、いったい何が起こったのか周囲に気配を巡らせ……愕然とする。


 二十七階、レストランフロアの上層。軒を連ねるおしゃれなバーや密談用の高級ラウンジは、それぞれ防音性の高さもウリのひとつなのだが……だからといってここまでの静寂は、いくらなんでもあり得ない。

 利用者のみならず、従業員の気配も、物音も、心音や呼吸の僅かな音でさえ……おれの鋭敏な聴覚器をもってしても、おれたち二人以外の反応を知覚することが出来ない。




「…………しらない、ひと……ついてっちゃ…………信じちゃ、ダメ……だって…………教わら……なかった?」


「……っ、いや、だって…………そんな!」


「…………日本は……平和、だって? ……外敵なんか……いない、って? ……………………?」


「!!? な、ん……」




 得体の知れない少女は気だるげに腕を振るい、非常扉を軽くノックする。

 たったそれだけで固く閉ざされたはずの扉はあっさりと開き、その向こうには眼下に首都の夜景が盛大に広がる。


 そちらには一瞥もくれずに……その眠たそうな瞳は、相変わらずおれを見据えたまま。




「…………キミの、『小さな友人』……妹、たちが……世話になった……ね?」


「いもう、と……? ……ッ、まさか、すてらちゃん達の!? …………で、でも……あの子のほうが」


「ボクが、長女。……見た目……これ、だから……対外的には、逆だけど…………キミには、隠す必要も……無い」


「……そ、そう…………なん、だ?」



 得体の知れないご息女は自ら正体を明かし、一方のおれは自らの軽率さを悔いることしか出来ない。

 形勢不利を悟り相棒に応援を要請しようにも、どうやらおれの呼び掛けが全く届いていないみたいで……彼女ラニの声が、全く聞こえない。


 これはマズイ。完全に後手後手に回っている。彼女の言った通り、おれの警戒心の無さが招いた結果だとでも言うべきだろう。

 相棒ラニの助けが期待できないことが、こんなにも絶望的だとは……思ってもみなかった。




「……自己、紹介。…………ボクは……【睡眠欲ソルムヌフィス】の使徒……『宇多方うたかたしず』。……短い間…………よろしく」


「…………よろしく。シズ、ちゃん。……それで? これから……何を始めるつもりなのかな?」


「……妹、たち…………世話……なった、お礼を。……デート、しよっか? 屋上で」


「ちょ、っ!?」




 言うが早いか、シズちゃんは開け放った非常扉から夜空に身を投げ……当たり前のように空中に浮遊し、そのままおれを一瞥して上方へと飛び去っていった。

 恐らくは……『屋上』へ。誰の邪魔も入らず、邪魔な壁や天井もない、だだっ広く開けたおあつらえ向きの空間へと。



 全く情報が無い、未知の敵であったはずのシズちゃんとの遭遇。自らを『長女』と名乗った以上……あのラニをもってして『相手したくない』と言わしめたつくしちゃんよりも、恐らく実力は上なのだろう。姉より優れた妹など存在しない、とか聞いたことある気もするし。



 追い掛けたくは無いが……かといってこのまま待っていても、状況は何一つとして好転しないだろう。

 何度耳を済ましても、どれほど探知魔法を行使しても、このフロアにはおれ以外誰も居ないのだ。


 この明らかに異状な事態を打開するには……気は重いが、行ってあの子の企みに付き合うしかない。




 東京の夜景を眺めて、こんなにも不安を感じようとは……思ってもみなかった。





――――――――――――――――――――



※この作品は大したシリアスにはなりません




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