第283話 【東京一夜】従者から逃げるな



「うぅぅぅ……最高ぉぉ……きもちぃよぉぉぉ……」


「はふぅぅぅ……よいもので……ございまする……」


(えっちな声やめてもらえません?)


(しょうがないじゃん気持ちいいんだから)




 一通りぐるっと回ってみてわかったことなのだが……この混浴水着ゾーン、どちらかというと『お風呂』というよりかは『アミューズメントプール』といった趣のほうが強いのかもしれない。

 いやいや、とはいってもお湯の温度は四十度弱くらいだし、檜風呂にジャグジーに寝湯に薬湯に歩行浴槽なんかも揃っているし、普通に体を温めリラックスすることはできる。

 しかしながら……水着を着ているという都合上、身体をくまなく洗うことは出来ないわけだ。


 じゃあどうするのか、というと……なんでも水着ゾーン(とプールエリア)はそもそもが別料金エリアだったらしく、というか水着のレンタル料金に水着ゾーンの利用権が含まれていたらしい。

 水着ゾーン用のロッカーキーにはICチップが仕込まれており、エリア内のドアにそれをかざすことでもうひとつの脱衣場へと出入りすることが出来……つまりはその更に向こう側に、いわゆるふつうの、素っ裸で利用する大浴場があるらしい。

 なるほど、ロッカーキーのICチップで男女を振り分けるわけだな。ハイテクだ。


 というかそもそも、レンタル水着に夢中になっていたおれたちが単純に見落とししていただけで……大浴槽と洗い場とサウナのみの男女別無料エリアにも、エレベーターホールからダイレクトアクセスできる動線がちゃーんと存在していたらしい。

 へへ……気づかなかったわ……



 まぁでも実際、おれはそっちにいくつもりは無いのであって……こうして水着着用の上で、混浴エリアの檜風呂でのんびり温まっているわけだ。

 先程堪能したお酒の酔いがまだ良い感じに尾を引いており、ぽかぽか温かいお湯と相俟って、ふわふわして非常に心地良い(※泥酔時の入浴は控えましょう)。


 水着着用だから、という大義名分のおかげもあってか、至近距離から霧衣きりえちゃんの横顔を存分に眺めることが出来る。

 心地よい温浴と、見目麗しい美少女の横顔……水も滴るかわいいおかおは、正直いって見惚れてしまう。

 整った頬のラインと、きれいな首筋と、とてもきれいな肩や鎖骨……間近で見る霧衣きりえちゃんの素肌は、とてもきめ細やかで……さわってみたら、すべすべで気持ちいいんだろうなって。




「若芽様は……」


「はひゃィっ!?」



 そんな、少なからず『よこしま』な気が紛れてしまったおれの心を読んだわけでは無いだろうが……

 他ならぬ霧衣きりえちゃんの口から出てきた発言に、彼女の吐き出した感情に……おれとラニは度肝を抜かれた。




「……若芽様は…………この霧衣きりえめを、好いてくださいますか?」


「!? も、もちろん!」


「ほ、ほんとうにございますか!? この霧衣きりえめは……若芽様の御慈悲を賜るに、相応しい娘でありましょうか!?」


「……??? う、うん! 大丈夫! おれにとって霧衣きりえちゃんは、大切な…………えっと、その……だ、大好きな、子……だから」


「!!! わ、わっ、わうぅっ…………」


「き、きりえ……ちゃん?」



 思い詰めたような表情で告げられたその質問は、今までとは少し毛色が異なる気がしなくもないが……彼女がおれにとって大切な、大好きな子だという認識は、まぎれもない事実である。

 だからこそ、少し気恥ずかしくはあったけども、真正面からおれを見詰めて発せられた彼女の言葉に、おれは躊躇わずに言葉を返すことが出来たわけだが……


 その後の反応は、少しだけ予想外だった。



「わぅっ…………わっ、若芽様ぁーー!!」


「オホォーーーー!!?」


(ああーー! いいなァーーーー!!)



 腕を回しておれの身体に抱きつき、やわらかいおんなのこの身体を擦り付けてくる霧衣きりえちゃん。まって、それやばい。それはやば……あっ、おむね、あっそんな、ぎゅーって、あっ、あっ。

 ……あまりにも高威力の一撃をもろに食らっているおれだが……すぐそこでこっちをヨダレ垂らしながら凝視しているえっちようせいさんが視界に入ったおかげで、少しだけ平静を取り戻した。


 いったいどうしたのだろうか、こんな公衆の面前でナニが始まろうとしているのか……などと慌てふためくおれに向けて、ほかでもない彼女の口から、愛しい心情が切々と吐露され始めた。



「わたくしは……若芽様を、お慕い申し上げておりまする。……先に申しましたように、わたくしは陰陽など関係なく、ただただ若芽様にお仕えしたいと……お側に居りたいと、そう願っておりまする」


「う、うん。……おれも、霧衣きりえちゃんに傍にいてほしいし……」


「っ! わぅぅ…………つきましては、その、えっと……若芽様、に………その、っ……たくさん、なでて…………この霧衣きりえめに、愛撫を、頂戴したく……」


「あ、あい、あい、愛撫……ッ!!?」


(ちょっとノワ! 声!)


「わたくしの、御姉様も……湯浴みの際は、霧衣きりえめを撫でて下さいました。……わたくしは、若芽様にも…………た、たくさんっ、撫でて……戴きたくございまする」


「…………きりえ、ちゃん」



 愛撫とは……ウィキペディア先生曰く『優しく、あるいは愛情をこめて、触れたり、さすったりすること』らしく、なるほどそこには淫靡な気配は見当たらない。全年齢だからね。

 つまり霧衣きりえちゃんは、以前『御姉様』と一緒にお風呂に入ったときには、その『御姉様』にいっぱい優しく撫で撫で……まぁつまり、愛撫してもらっていて……しかしおれとお風呂に入ったときにはなかなか愛撫して貰えないものだから、おれに嫌われているんじゃないかと感じてしまった……ということか。


 な、なるほど…………霧衣きりえちゃんは白狗の系譜だもんな。世のわんこが当然のように持ち合わせているであろう『なでなでしてほしい欲求』を、わんである彼女も秘めていたってことか。

 れっきとした女の子であるこの子を『わんこ』扱いするつもりは決して無いのだが……無いのだが、しかしわんこはスキンシップが欠かせないっていうからな……そういうことなのか…………そういうことなんだろうか……


 とりあえずおれは、なにかを期待する眼差しでこちらをじっと見つめてくる霧衣きりえちゃんの……ほぼ裸の身体を撫でさするのはさすがに憚られたので、絹糸のような白髪へとおおずおずと手を伸ばす。

 至近距離でおれの身体にすがり付く神使白狗の少女は……おれの手のひらが頭を撫で始めると、目蓋を閉じて心地良さそうに鼻を鳴らす。

 身長は彼女のほうが高いのだが……今は浮力を伴うお湯の中なので、彼女の頭はおれの胸元あたりだ。白ビキニ越しのやわらかな感触がおれのおなかのあたりに押し当てられているので、たぶんおれにあれがあったら間違いなくヤバイことになっていた。



「おれが…………その、なでなですると……霧衣きりえちゃんは嬉しいの?」


「はい……っ! 大切なお方に、身体を撫でていただくと……わたくしは、とてもしあわせなのでございまする…………んぅん」


「そっかぁー! ヴゥーン!!」


(ノワやっぱこれやっちゃうべきだよ。据え膳食わぬは何とやらだよ)


(なんでそんな慣用句しってるの! あとおれ今おんなのこだから!)


(あっ! また! 都合の良いときだけ女の子名乗るのはずるいよ!!)


(しりませんー! ずるくないですー!)


(やっぱ女児か)


(なんだと)




 ラニの茶茶入れは置いておくとしても……おれに頭を撫でられて、こんなに幸せそうな顔をしている彼女を見てしまい、あまつさえ面と向かって『もっとなでてほしい』と求められてしまっては……そりゃあ、期待に応えないわけにはいかないだろう。

 それはいい。わかった。覚悟を決めよう。……ただし。



「きりえ、ちゃん……あの、あのね」


「はいっ! なんでしょう、若芽様」


「……ひとが、みてないとこで…………ね?」


「くぅん…………わかりましたっ」


(アァーーてぇてぇーー)



 ……さすがに、さすがに乙女の柔肌をなでなでするのは、おれにはかなり刺激が強い。

 しかしながら、普段は非常に良い子な霧衣きりえちゃんたっての願いであり、飾らぬ欲求がだというのなら……彼女の頑張りに報いるためにも、望みを叶えてあげるべきなのだろう。


 お風呂から上がったら。ちゃんと服を着たあとなら。けんぜんなスキンシップの範囲でなら。

 それくらいならば……お安いご用だ。


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