第244話 最近のぼくの悩み



 ぼくがなってからのおよそ一ヶ月間、今までほんの少しも打開できなかった周辺の問題が、あっという間にトントン拍子で好転し続けた……本当に嘘のような二日間。


 独力では決して逃れられなかったであろう、思考のドツボに沈んでいたぼくのことを助けてくれて……久しく忘れていた感情を思い出させてくれた可愛らしい女の子とその仲間たちは、どこか名残惜しそうに――しかしとてもいい笑顔で――『またね』と告げて去っていった。



 そう…………『またね』。

 ぼくはあの可愛らしい少女と……ぼくを救ってくれた小さなエルフの女の子と、また遊ぶことができる。


 明後日の土曜日が、FPSゲームのコラボ当日が、今は楽しみでしかたない。

 あの子と出会うことができ、自宅に招けるほどにまで親しくなることができ……抱えていた懸念も、次々と解消してもらうことができたのだ。

 ぼくがのも、悪いことばかりじゃないみたいだ。






 昨年末のある日。雷が延々鳴り響き、滝のような大雨が降り続いた日。

 今後の配信活動について悩んでいたぼくは、突然意識を失ったらしく……目を覚ましたときには、ぼくの身体は何から何まで変わり果ててしまっていた。


 そこまで大きいほうではなかったが、それでも確かに存在していた胸の膨らみは……一切の脂肪が無い真っ平らに。

 湿気を含めばもしゃもしゃと暴れていた、まるで海藻のような髪の毛は……櫛を通す必要も無いほどに真っ直ぐに。

 紛れもない日本人である証拠ともいえる、没個性な黒髪と黒目は……きらきら煌めく白髪と、神秘的な灰白の瞳に。


 そして……未だかつて(当然だが)経験したことの無い、脚の間に確かに感じるの存在感と、重量感。




 変わり果ててしまった容姿とは裏腹に、幸いなことに『声』は以前と変わらぬまま。だからこそクリスマスや年越しの配信業務は(内心の混乱と焦りを隠しながらも)なんとか怪しまれずにこなすことができた。

 しかしながら事務所にじキャラの忘年会は(そもそも距離的な問題もあったのだが)さすがに参加することはできず、学生以来の仮病を使う羽目になってしまった。



 配信が続けられたことは不幸中の幸いだったが……身体が変わってしまったことで、当たり前だがぼくの日常生活も完全に変わってしまった。



 まず何よりも最初に、着るものの調達に難儀した。

 ぼくたちの配信における演出は、あくまでも顔の表情や動きをトレースして行うものだ。実際に姿をカメラに映すわけではないので……極論を言えば、裸でも配信を行うこと自体は可能なのだ。

 しかしそれはさすがにヒトとしてどうかと思うのと……万が一にも表情トレースアプリケーションが不調を起こしたりして、撮影映像そのまま公開されてしまった場合。リアルタイムで世界中に動画や静止画が駆け巡るこのご時世、こっちもまた社会的に即死だろう。


 しかし、このあたりはまだ何とかなった。

 プライム会員である自分は、衣料品であればほとんどの品が送料無料。浪越市は――東京ほどではないが――そこそこの都市圏なので、注文の翌日にはほぼ届く。このご時世『置き配』であれば姿を晒す必要もない。

 試着できないのは少々不便だが、ちょうど良いサイズは身長からだいたい判断できるし、肝心の身長は実際に測るまでもなく解る。なにせ設定資料のそのままの数値なのだ。

 加えて……以前から持っていた衣類であっても、決して着れないこともない。体格は多少縮んだとはいえ部屋着なんかであれば問題なく着用できるし、むしろ今の身体であれば男性用より女性用衣類のほうが似合う説もある。最低限下着さえ調達できれば、あとはそこまで困ることでもなかった。



 同様に……食べるものに関しても、各種サービス発展のお陰でなんとかなった。

 袋ラーメンやレトルト食品なら通販で問題なく取り扱ってくれるし、テイクアウトを行っている飲食店であれば自転車便やバイク便でデリバリーだってしてくれる。


 どうしても外に出なければならないのは、週に一度のゴミ捨てくらいだろう。これはもう仕方がないので諦め、早朝三時くらいにフードを目深に被って、聞き耳を立て人の気配を探りながらこっそり出しに行くことにした。

 もし他の住人に見られたら不審者として通報されるかもしれないが、夜中であれば遭遇する危険もほぼ無い。結局こちらもなんとか適応することができた。




 日常生活を送る分には、この身体でもなんとかなるということが判ったのだが……当然、問題だって降ってきた。

 中でも、最も難儀したトラブルはというと……以前のぼくの身体には存在しなかった、脚の間のだろう。


 こんなモノ……遠い遠い昔に、お父さんと一緒にお風呂に入った頃でしか――あるいは真っ黒に塗り潰されたモノしか――お目にかかったことがない。

 薄れていた記憶に刻まれていたよりも圧倒的にグロい造形に、そしてあまつさえが自分の股間にぶら下がっているという事実に気が遠くなったものだが……何よりも困惑したのは、その…………『暴走しやすさ』とでも言うべきだろうか。


 ぼくが思い浮かべるに反応し、ときにはぼくの意識とは裏腹に、元気いっぱいに立ち上がり暴れまわる

 たとえ下着を着けていても、ズボンをはいていても、元気いっぱいになってしまえば服の上からでもバレバレだ。おまけに変な形のときに元気になられてしまうと、変に圧迫されて非常に痛い。そもそも日ごろから納まりがいまいち落ち着かない。脚の間になにかがぶら下がることの違和感が半端ない。

 おまけに……を考えているのだと一目でわかってしまうだなんて、男の人の身体ってなんて不便なんだろうと……そもそもなんでこんなことになってしまったんだろうと、神様を呪いたくなったりもした。



 ほかにも『保険証がたぶん使えない』とか『免許証の写真と明らかに違う』とか『吊り戸棚に届かなくなった』とか、あるいは『変な声が聞こえる』とか『なんか断末魔が聞こえる』とか『洗濯物が一瞬で乾かせた』とか『手を使わず身体を洗えるようになった』とか気掛かりな点は多々あれど…………とにもかくにも、の出現による衝撃がすべてを持っていってしまった。




 を改めて実感したのが……あの可愛らしいエルフの女の子に誘われての、突発的なお泊まりだ。


 ぼくの身に起こった事件の全容を、ぼくの気苦労を、ぼくの懸念を、余すところなく理解してくれた彼女。

 ただの同業者かと思っていた……その輝きに憧れすら抱いていた彼女と出会い、同じ部屋車両で一夜を共にさせて貰ったりもした。




 そうしたら、えっと、もう、あの、ほんと、なんていうか…………たいへんだった。


 ぼくと同様……いや、どうやらだったらしい彼女は、やっぱりというか『女の子』として不馴れな様子だった。

 元々が男性であり、しかもなかなかフランクな感じで接する性格だったようで、なにかと距離が近い。男性だったならば然したる問題にもならなかっただろうけど……女の子となってしまった今となっては、その距離感は非常に危険だ。

 おまけに男性だったときの癖なんだろうけど……動作がなにかと大きかったり、脚を大きく開いたりが多い。とにもかくにも隙だらけで、つまりは非常に危なっかしいのだ。


 可愛らしい女の子のそんな無防備な所作を見せつけられれば、同席する男性はたいへんなことになってしまうだろう。



 …………ぼくのように。







「…………全然、収まらないんだけど……」



 ときにいつのまにか身に付けていた、灰白色ベースの『ミルク・イシェル』の

 ふんわりとしたこのスカートのお陰でどうにか隠しきれたと思うのだが……あの可愛いすぎるエルフの女の子の一挙一動にドキドキが収まらず、ほぼずーっとだった。



 恩人でもあり、魅力的な女の子でもあり、切磋琢磨し合う同業者でもあり……そして『苗』と戦う仲間でもある。

 そんな『木乃若芽ちゃん』との共演を明後日に控えた、『ミルク・イシェル』となった、ぼく。


 本番に向けて、とりあえずやるべきことは明らかだ。





 このをどうにかするすべを……今日明日中に身に付けなければ、どうにもならないだろう。


 笑うしかないな。……いや笑ってる場合じゃないんだけど。




――――――――――――――――――――




「へっぷち」


「うわ何そのかわいいくしゃみ」


「んんー? だれかおれのウワサしてるとか……?」


「心当たりがありすぎるね? 人気者め」


「エヘヘー」


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