第236話 【北陸旅程】突貫湯けむり旅情



 おれたちがお世話になるオートキャンプ場から、車でほんの五分。まさに目と鼻の先といえる近距離に、公共浴場『空海の湯』は位置していた。……というか、ぶっちゃけ同じ自然公園の中だなこれ。

 まあともかく、温泉だ。お風呂だお風呂。新居の浴槽も広くて明るくて気持ちが良いのだが、ひろびろ温泉となれば話は別だ。




「ヨッシャついた! お風呂やぞお風呂!」


「先輩ホント風呂好きっすよね。旅先では必ずって言って良いほど大浴場行ってますし」


「だって大きなお風呂やぞ? いつものオウチのお風呂とは違うんやぞ? 楽しみだし気持ちいいやろ! ねっ霧衣きりえちゃん!」


「あっ、えっと、わっ……わたくしも…………神宮寝所と若芽様のお屋敷以外、おでかけのおふろは初めてにございますゆえ……」


「つまり……楽しみ?」


「…………はいっ!」



 ウフフ……そうだろうそうだろう、やはりこの子はよくわかっている。そうとも、旅行の醍醐味はなんといっても『非日常』を存分に味わえるところにあるのだ。

 お風呂なんかはわかりやすいだろう。岩風呂やひのき風呂や薬湯やジャグジー……おうちでは味わえないリラクゼーションの数々は、楽しい一日のしめくくりに相応ふさわしいものだ。

 おまけに温泉ともなれば、更に楽しみは広がる。全国津々浦々の温泉はその特徴も効能も泉質も様々、その土地ならではの楽しみ方のひとつなのだ。



「…………そっかあ。ノワはダイヨクジョーに行きたいんだね」


「そらそうよ! たのしみ!」


「……そっすか。じゃあ先輩、良い機会なんで、頑張って慣れて下さいね。…………


「おん…………は?」


「『は?』じゃなくて。大浴場行きたいんでしょう? 良いと思うっすよ。というわけでキリエちゃん、先輩のお世話お願いしますね」


うけたまわりましてございまする! この霧衣きりえめにお任せくださいませ!」


「マッ!? ちょっ!? ちがっ!?」


「なにもちがくないでしょ? ノワは女の子なんだから」


「まさかこの期に及んで、男湯に入れるなんて思ってないっすよね?」


「だ、だって…………そ、そう! おれ十歳だから! だから男湯に入っても大丈夫なので」


「女性の保護者が居るんすからソッチ優先に決まってるでしょうお馬鹿」


「で、でも! おれ中身は男だし!」


「その理屈で言うなら中身は三十代ですんで、つまり男湯はアウトっすね。ハイ論破」


「そんなあ!!!」



 券売機を目の前に、ああでもないこうでもないと議論を重ねるおれたち……近くに他のお客さんがいなくて良かった。絶対迷惑だよ。


 ここから取りうる選択肢は、ふたつ。

 ひとつは……女性用の大浴場に、霧衣きりえちゃんとともに突入すること。すべての反論を封じられたおれにとって、大浴場での湯浴みを許される選択肢はしかない。

 もしくは……大浴場そのものを諦めるか。広々としたひのきの湯船を、荒々しくも風流な露天岩風呂を諦め、キャンピングカーのめっちゃ狭いシャワーで済ませるか。


 おれの尊厳を踏みにじるような、極悪非道なこの選択肢……まだイマイチそこまで開き直りきれていないおれが取った、その選択肢とは。











「き、きりえちゃん! なんで! なんで脱いでるの!!」


「……? 若芽様、湯浴みにございまする。服を脱がねば湯に浸ることなど出来ませぬ」


「で、でもだって! おれ男だし! 男の前で乙女が柔肌をさらすなんて!」


「…………?? 若芽様は愛らしい乙女にございまする。……御安心なさいませ。若芽様の内なる陰陽に関わりなく、若芽様の人となりはこの霧衣きりえ、重々心得ておりますゆえ」


「は、は、は、はずかしくないの!? おれなんかにはだかみられて!!」


「………………??? 重ねて申しますが、これは湯浴みにございまする。家族同然に過ごす者に素肌を晒すことの、いったい何処に恥じらう必要がありましょう?」


「じゃ、じゃあ! 霧衣きりえちゃんは家族相手なら一緒にお風呂に入っても良いって言うの!?」


「当然にございまする」


「ヒン」


「完敗だね、ノワ。おとなしくぬぎぬぎちまちょうね~」




 そ、そんな……そんなばかなことがあってたまるか。なんで霧衣きりえちゃんはおれの目の前で、平然とはだかんぼになれるんだ。おれは男なんだぞ。

 とっさに目をつぶって顔を背けたが……控えめながらも実りのある双つの脂肪を、引き締まったおなかとおへそを、女の子らしい腰のくびれを、ぱたぱたと振られる白いしっぽを……一糸纏わぬ狗耳美少女の魅力的な裸身を、おれの視覚はハッキリと捉えてしまっていた。


 脱衣所に誰もいないのをいいことに、茶化すような声色でおちょくってくるラニなんかは、こちらも当然のように素っ裸だ。おれよりも起伏に乏しいその身体を惜しげもなく晒しており、非常に目に毒な状況である。



「若芽様、目蓋をお開きくださいませ。浴室は床が滑りやすく危険にございまする。それ以前に、お召し物を脱がねば湯に浸かれませぬ」


「ううー…………」


「まったく……なにを渋ってるんだか。ノワは誰がどう見ても女の子だもん、女の子用のゾーンに居ても何も問題ないんだよ?」


「だ、だって……その…………エッッ、なきぶんに……なっちゃったら」


「存分になっちゃえばいいじゃん。ノワは美少女だし合法だよ合法。どうせ勃つモンも無いんだし」


「わああああーーーーん!!」


「あらあら、若芽様…………よし、よし。大丈夫、大丈夫……でございまする」


「ま゜ッ!? ちょ……っ、き、きき、き、きりえちゃ!? む、むね! むね!?」


「おぉ……尊い」


「よし、よし、いいこ、いいこ。……怖がる必要はございませぬ。御安心くださいませ、この霧衣きりえめが付いてございまする。……さあ、お召し物を脱ぎ脱ぎ致しましょう、若芽様」


「ア゛ッ!! ア゜ッッ!?」









 いったい、おれのみに、なにがおこったというのだろう。



 きがついたら……おれたち三人は温かい檜風呂に、にこにこ笑顔のきりえちゃんと並んで、肩まで浸かって伸びきっていた。




(あ゛ぁーーぎもぢぃーーーー)


(ちょっとラニ、えっちな声あげないでよ)


「若芽様、若芽様。……気持ちよいお湯にございまする」


「アッ、エット…………うん。……そうだね」


「うふふふ。……これまでご一緒が叶わず居りました分、せいいっぱいお相手させて頂きまする。のちほどこの霧衣きりえめが、謹んでお背中お流し致しますゆえ」


「!? にゃ、ッ!? な、なななな」


「わたくしは若芽様にお仕えする身……若芽様は霧衣きりえめの御主人様にございますゆえ。御奉仕させて頂くのは当然にございまする」


「ごひゅ、ッ!?」


(あっ! これ薄い本で見たやつだ!)


(おだまりなさい! えっち妖精め!)




 温泉の熱で温められて、血行のよくなった霧衣きりえちゃんのお顔は……なんだかいつもよりも魅力的に見えてしまう。

 そんな子と裸の付き合いをしてしまっているという現実に、おれは正直いっぱいいっぱいなのだが……おれは気持ちの良いお風呂を堪能しているということに意識を集中し、煩悩を追い出さんと悪戦苦闘を試みるのだった。



 警戒感の薄い、とびきり可愛い女の子に密着されての……暖かな温泉。

 ひのきの湯船のそのお風呂はすごく温かくて、すごく心地よくて。



 すごく……すごく、いいにおいがした。


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