第146話 【収録完了】執行



 重ねて、になるが……わが家はあくまでも、単身者向け物件である。

 同じ『単身者向け物件』という括りの中では比較的余裕のあるであろう『1LDK』の間取りではあるが、浴室やお手洗いなんかはやっぱり独り世帯用のものが入れられている。

 特に……浴室。一般的な〇.七五坪タイプのユニットバスは、いうまでもなく完全に一人用の浴室だ。成人男性であれば膝を伸ばせない程度の浴槽では、複数人数での入浴など望むべくもなかっただろう。


 だがそこは、成人男性のときより横幅も全長も大幅に縮んだおれの身体。

 浴槽のサイズは変わっていないのに、膝を伸ばして入浴できるようになっ(てしまっ)たし……おれの減少した体積よりも更に小さな妖精種族であれば、余裕をもって入ることが可能なのだ。



 それこそ……お行儀悪く入浴していても問題ない程度には。






「……はーっ、……はーっ、……はーっ」


「んふふふふふ……お疲れさま、ラニ」



 おれの左てのひらの上。人差し指と中指にもたれかかるように脱力している、虹色の薄羽をもつ小さな美少女。

 おれの親指と小指によって細い腰をホールドされた彼女は、その全身を余すところなくきめ細かい泡で包まれている。白いその肌は薄桃色に色づき、中空を見つめる瞳は潤み……息も絶え絶えにとした表情を浮かべる彼女は、控えめに言ってとても扇情的だ。

 べつにへんなことしてないんだけどね。ふしぎ。


 おれの右手に握られた泡だらけの医療器具はぶらし(超極細・やわらか毛・コンパクトヘッド)によって、全身を余すところなく磨き上げられた白谷さん。……そう、これはただのスキンシップ。気心知れた相手とお互いに背中を流し合うような、そんなとても健全な入浴中のヒトコマなのだ。

 お風呂は血行を良くするからね。肌が赤みを増しててもなにもおかしくないよね。



「よいしょっと。……お湯ここに張っとくからね。動けるようになったらあわあわ流しちゃって」


「……ッ、はー……っ、…………ご、ごめんノワ……もうちょっと」


「あれ、大丈夫……? どっか痛かった!?」


「い、いや……大丈夫。痛くないよ。……えっと、ね…………腰が」


「腰が…………抜けちゃった?」


「………………うん。はねも動かせないや」



 えへへ、とはにかんだ笑みを浮かべる、てのひらサイズの小さな美少女。

 ちょっと調子に乗りすぎたかなぁとも思ったが……先にお調子に乗られたのは彼女の方だったので、おれは省みない。とはいえ彼女の心と身体のみそぎも無事に済んだので、ここでおれが『シリコン耳かきの刑』を撤回してプラマイゼロ……ということにしておく。



「ラニ、お湯かけるよ。流されないようにね?」


「……ん。おねがい」



 おれの親指と小指に小さな腕が掛けられたのを確認し、ラニ専用浴槽(メラミン製スープカップ)で汲んだお湯を少しずつ掛けていく。

 彼女の身体全体を覆い隠していたあわあわが流されていき、超極細毛で磨き上げられた小さな身体が露になっていく。

 てのひらサイズながらもしっかりと女の子している彼女の身体に、おれの心の中の男性部分(絶滅危惧)が元気を取り戻しかけるが……全警戒心を取り除いて脱力しきって蕩けきって安心しきった相棒の、おれに全幅の信頼を置いてくれている様子を目の当たりにして……我に返る。


 おれのてのひらの上を『安心できる場所』だと認識している、おれの大切な相棒。……そんな彼女の信頼を、おれは裏切ることなんて出来ない。



「ふふっ。お客様? かゆいところはございませんかー?」


「……なにそれ? ンフフッ。……へんなの」



 脱力しきってなされるがまま、全身のあわあわを流し終えた小さな女の子を……再度お湯を汲み直した専用浴槽スープカップへとていねいに移す。

 背中のはねを潰さないよううつぶせに、浴槽カップの縁に両腕と頭を乗せてくつろぐ相棒。……時々が過ぎるけれど、やっぱり愛らしい存在なのだ。




「……もぉ。ノワってば強引なんだから」


「なにさ。べつに痛くなかったでしょ? おれ洗うの上手いんだよ? 実家のイッヌも気持ち良さそうにしてたし」


「イッヌ? ……あぁ、犬。…………ぇえ、ボク犬扱いなの……」


「あははは……ごめん、そういうわけじゃないんだけどさ? …………可愛くって。つい」


「まったくもう。ノワのほうが可愛いよ」


「いや。ラニのほうがちっちゃくて可愛いよ」


「いやいや。ノワのほうがいたいけで可愛いよ」


「いやいやいや」


「いやいやいやいや」



 さっきまでとしていたラニも、すっかり調子が戻ったようだ。こんな軽口を叩けるまでになっていた。

 それにしても……久しぶりに思い出した。実家で暮らしていたときに可愛がっていた、我が家の愛犬『太郎左衛門』……アクの強い和風な名前に反してパピヨンとマルチーズのミックスという、毛足の長いふっかふかの男の子。

 いつもいつでも元気いっぱい、物怖じしない能天気な子というか……最初から最後までイタズラばっかりだった、我が家の愛犬。


 もう二度と会うことが出来なくなってしまったけど……あの子と過ごしたひとときは、本当に楽しかった。




「…………引っ越し、したらさ」


「うん?」


「あのお屋敷に引っ越ししたら、さ。…………ペット、お迎えできる……かな」


「…………ふふっ。……『アリ』だと思うよ? 配信者キャスターでもネッコチャンと一緒に暮らしてる人結構見るし。イッヌお迎えするのも良いかもね。……好きなんでしょ?」


「…………うん。昔いっしょに暮らしててさ。白いふわっふわの……アホの子だった」


「なーるほどね。……だからオオカミのマガラさんに、あんな熱い視線向けてたんだ?」


「えっ!? お、おれそんなだった!?」


「あはははっ。……ノワは顔に出やすいからねぇ」


「ぐぬぬ…………先あがるね!」


「はーい。ボクはもうちょっと浸かってるよ。お湯はそのまま?」


「ん。明日洗濯に使う」


「おっけー」



 気恥ずかしさを紛らわせるように、おれはざばりと立ち上がって浴槽から出る。

 ……最初の頃はラニに見られるのも恥ずかしかったけど、最近はあまり気にならなくなってきた。気にするだけ無駄だっていうのもあるんだろうけど……慣れってこわい。


 浴室の折戸を開けて脱衣所へ移り、バスタオルを引っ張り出す。一番風呂を譲った霧衣きりえちゃんが使ったタオルと『彼女の脱いだもの』が入った洗濯かごを見ないよう意識しながら……ばばっと手早く身体を拭き、下着と寝巻きを身に付けていく。

 なお下着はだけだ。お気に入りのライトブルーに、細いライトグレーのストライプ。しましまだけど細いしタテ縞なのであざとくない。ちなみには無い。必要ない。……ラニちゃんめ、なかなかの洞察力じゃないか。


 おれのことをよく解ってくれていると喜ぶべきか、それともを観察されていると嘆くべきか。なんともいえない複雑な心境のままモコモコパジャマを身に付け、洗面室の扉を開いてリビング部分へと戻り…………






 リビング部分の片隅……おれの記憶が確かならば、たしか霧衣きりえちゃんに割り振ったはずの暫定パーソナルスペースに、お行儀よくお座りしてこっちを窺っている……



 白い、ふわふわの、大変可愛らしいわんこと……目が合った。



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