第91話 【告知動画】話題作りにもうひと手間





 規則正しい電子音が、どこか遠くで聞こえるような気がする。


 なんだかとても幸せな雰囲気にひたっていた頭が、非情な現実へと引き戻されていくのを感じる。このままこの『幸せ』に身を委ねていたい気持ちを振り払い……おれは全身全霊をもって、意識を切り替える。


 この音は……うん、目覚ましのアラームだな。出所は枕元で充電しているはずのスマホから。心地よいまどろみから引き揚げられたおれは、とりあえずもぞもぞと手を伸ばしてアラームを止める。

 しかし今これを止めたところで、数分後にはスタジオダイニングのPC机にて充電中のりんごタブレットから第二波が鳴るはずなので……どのみち至福の睡眠へと戻ることはできない。




 ……それに。




「おはよぉーございまーす。……ほらノワ、朝だよ。こっち向いて」


「んむゥー…………んんぅー?」


「あっ、可愛い。おくちムニュムニュしちゃって……はー可愛い。ノワかわいい。最高」


「…………なぁに……どうしたの白谷さ…………カメラ?」


「うん。カメラ。おはよう、ノワ」



 寝ぼけまなこをこすりながら目を開けたおれの顔へ、近距離からカメラを向けている白谷さん……おれの愛用のゴップロカメラが小型軽量だったことが幸いして、白谷さんの浮遊魔法でも取り回せるようだった。


 とてもいいニコニコ笑顔でカメラを回す彼女の姿を認識し、おれは昨晩眠る前に彼女と話していたことを思い出し……現在置かれた状況を、やっと頭が認識し始める。

 今日の予定は……夜九時から大切な生配信が控えているのと、それとは他にもうひとつ。



「んあー…………そっか。撮るってきめたんだっけ……もーに…………もーにんぐ……?」


「『モーニングルーティーン』って言ってたっけ? まぁボクもよくわかんないけど……とりあえず寝起きのノワを愛でられるならソレで良いかなって。この間のお返しだよ」


「いあ……写真と動画じゃ羞恥の威力がけた違いだから……」




 モーニングルーティーン。朝起きてから出勤までの身仕度を動画にするという、特に女性配信者キャスターの間で流行っているらしいこのジャンル。

 舞台裏てきな、無防備なオフの姿が見られるとかなんとかで、このモーニングルーティーンだけを巡回する愛好家も居るとか居ないとか。……愛好家がこれを好む理由には、あえて触れないでおこう。おれは健全だから。


 それで、だ。流行りもの、かつ再生数が見込めるジャンルである以上、このブームに乗らない手はないだろう。おれも一応(身体だけ見れば)女性配信者キャスターではあるので、そんなに毛嫌いはされないはずだ。……たぶん。



「んぅー……なんかまだ頭がぽーっとする……」


「まず顔洗って……いや、それともシャワー浴びてくる?」


「ふぁぁぁはふ…………んぅ、そうしよっかな。いってくる。カメラかして」


「おお? まさかお風呂シーン?」


「ちがぁーうよ。お……ッ、……ふろとか……わたしの身体なんか、見てもおもしろくないでしょ。ちっちゃいし。かのう姉妹じゃないんだし」



 ……あぶない。危うくおれが出るところだった。


 この撮影では――さすがにリアルタイム配信する度胸は無かったけれども――可能な限りのリアリティを出すために、一発取りの回しっぱなし撮影を予定している。

 というのは……おれたちがモーニングルーティーンの参考動画を探している過程で見つけてしまった、某配信者の動画……サムネで『ありのままの私生活を完全公開!!』とか言っておきながら、わざとらしさが拭いきれない可愛い子ぶりながらの演技じみたお目覚めシーンを目撃してしまい……ちょっと『なんだかなぁ』って思ってしまったからだ。(※個人の感想です)


 おれたちは幸いなことに二人組なので、アラームが鳴る前からの撮影を相棒に任せてしまえば『演じてる』感の払拭はできるだろう。

 そこからはカメラを回しっぱなしにして、ノーカットで朝の身仕度を済ませることで演技感を撲滅する。つまりはずっと配信者モードの『若芽ちゃん』でいる必要があるので、一人称に『おれ』とか使ったら即終了なのだ。


 おれが『おれ』を使うのは……基本的にはモリアキや白谷さんとか、心から信用できる相手の前だけだ。

 視聴者の皆さんが嫌いなわけではもちろん無いのだが……以前のを知らない人の前では、さすがにちょっと地は出せない。



「ふふふ。……じゃあボクは休むから……まぁ、変なもの映さないように気をつけてね。脱いだパンツとか。全裸とか」


「…………映しそうだからこわいんだよなぁ。まぁ映っちゃったらお蔵入りするだけなんだけどさ」



 本来であれば、おれは朝にはめっぽう強い。一方で白谷さんは弱い方なので、『おれが起きないように白谷さん先に起きてもらってカメラを回してもらう』なんてことは出来ない。白谷さんを起こすためにアラームを仕掛ければ、絶対におれが先に目を覚ますからだ。

 だから……今日のこの撮影では、奥の手を使っている。……いや、使ってもらっている。白谷さんに。


 目覚めが良すぎるおれには、フェアリー種が得意とする安眠魔法を掛けてもらい……寝起きが悪い白谷さんには、単純に寝ずに待機して貰う。

 ……ぶっちゃけ、少しひどいかもとは思ったけど……言い出したのはおれじゃないから、セーフだと思いたい。

 だから今お役目を果たしてくれた白谷さんは、非常にねむねむなハズなのだ。待機中はスタジオダイニングのりんごタブレットで時間潰しをして貰ってたとはいえ、寝ていないのは間違いない。ゆっくり休んでもらおう。



「じゃあ後はまかせて。お昼になったら一緒にごはん食べようね」


「楽しみにしてるね。……ふぁふ…………じゃあ、おやすみ」


「うん。おやすみ」



 レタートレイのベッドで可愛らしく丸まる白谷さん……さすがに撮影するわけにはいかないので、この寝姿はおれ専用である。

 しかしカメラは回りっぱなしなので、いつまでも見惚れているわけにはいかない。『変なもの』を映さないようにカメラの角度を真上に向けてから、おれはクロゼットを開けて着替えをかき集めて寝室を後に……眠気覚ましのシャワーを浴びに、バスルームへと向かった。



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