第24話 【収録風景】妹と言い張りました





「おお――――…………」



 防音仕様のやや厚い扉をくぐり、おれが立ち入ったその小部屋。を目的として貸し出されているだけのことはあり……およそ充分と思える設備が整えられていた。



 何本もの集音マイクと、それぞれの音量バランスを調整するためのミキサー、そして音声をデータとして出力するためのパソコン。

 加えて……恐らくは演劇等の自主確認にも利用できるように、といった配慮によるものなのだろう。動画データを撮影できるよう、各マイクと連動したビデオカメラまで備わっていた。


 音声の録音と、動画の撮影……つまりはこの部屋の設備だけで、動画一本仕上げるための材料を集めることが可能なのだ。




「……あぁ良かった、部屋合ってた。先輩ーーお待たせしましたーー」


「おー、あんがとー」



 おまけに――今回に限ってはどちらかというとが主目的だったのだが――楽器類のレンタルさえも行っているという。

 高価な楽器を借りるためには会員登録する必要があるのだが……登録しておけば若干安く部屋を借りられる上、お得なパックプランも用意されている。

 身分証の提示を求められたら即なので若干身構えたが、スマホを利用してフォームに入力していくだけで会員登録作業はつつがなく完了した。……ああ、備品の破損とか問題あったときに連絡するためか。恐らくスマホに直接連絡が飛ぶようになっているのだろう。

 ともあれ、普通に使わせていただく分には何も問題ない。要は借りたものを丁寧に扱い、壊さなければ良いだけなのだ。



 様々な楽器を安価で借りることが出来、防音のしっかりした部屋と録音設備が整い、更に時間内であればドリンクバーの利用も可能。

 そんな至れり尽くせりの施設……烏森かすもりに連れてきて貰ったここは、浪東ろうとう区某所の貸しスタジオ。

 空いていたのはさほど広さが無く、バンドなどのグループで利用するには少々手狭であろう個室だったが……一人で練習、あわよくば撮影を行うつもりであるおれにとっては、何の問題もない。

 高価な設備が揃っていることもあり、部屋の片隅にひっそりと監視カメラが睨みを利かせているが、それ以外は自由そのものだ。どれだけ音を出しても、歌っても、騒いでも、叫んでも、部屋の外にそれら騒音が漏れることは無い。


 この中であれば……どれほど下手っぴな演奏を繰り広げようと、誰にも聞かれることは無いのだ!



「んっしっし! なんかテンション上がるよなぁ!」


「いちいち言動可愛らしいの何とかなりません? てか調律できるんすか? やったことあります?」


「たぶんできると思うぞ。おれ音楽の授業で三味線やったことあるし」


「三味線」



 烏森かすもりが借りてきてくれたアコースティックギターをケースから取り出し、取り扱い方法を記した覚書にのっとり、いそいそと調律を始める。

 モコモコした袋に小分けされている音叉を取り出し、膝の骨に軽くぶつけて音を響かせ、感度のいい耳で基準となる音を覚え、その音に合わせるように弦の張りを調整する。


 『三味線』と聞いた烏森かすもりは何やら残念なものを見るような目でおれを見ているが……そもそも發弦はつげん楽器の仕組みなんかは、だいたい共通しているものだ。

 ギターの柄の先端に備わるネジのようなものを巻けば、弦が張られたり緩んだりする構造となっている。つまりは音叉が発する音と弦をはじいた音が同じ高さになるように、このネジをひねっていけば良いだけなのだ。



「んーんーんー…………ふーんふぅーんふーん……ふふふーんふーんふーんふぅーん……ふーんーんーんー」


「……何だこの可愛い生物」



 烏森かすもりの呟きをあえて無視しながら、おれは弦の調律を一本一本進めていく。

 べつに伊達や酔狂でフンフン言っているわけじゃない。耳で聞いた音を忘れないように、目指すべき音を口ずさんでいるだけだ。だんだん上機嫌になってきた気もしなくは無いが、これはおれが調律を進めていく上で必要なことなのだ。ふんふふーん。


 そんなおれの作戦は、やはり間違っていなかったらしい。順調に調律は進んでいき、六本目の音叉と六本目の弦が同じ音を響かせてくれるようになり……つまりは、これで六本全ての調律が完了した。

 見よう見まねでギターを膝にのせ、左手でギターの首を支えながら適当な位置で弦を押さえる。ドキドキしながら右手で弦をまとめてはじくと……まぎれもない、アコースティックギターの音色が響き渡った。



「ふぉぉおぉ……すげぇ、ギターだ! おれギターいてる!」


「何なんすかこの可愛い生物」



 何か聞こえた気がするが、今はいちいち構っていられない。感覚を確かめるように左手を色々動かし、弦を押さえる位置を変えながら繰り返し繰り返し音を響かせ、音の高さと弦それぞれの音域を確認していく。

 以前よりも小さくなってしまったおれの指では、六本全ての任意の場所を押さえるのは少し難しいが……世界には十一歳や八歳のギタリストも居るらしいのだ。つまり、ものは遣りようだろう。諦める必要は少しも無い。


 ふと、ケースの中に冊子が収められていたことに今更ながら気がついた。手にとって広げてみると、どうやら初心者用の教本らしい。

 基本姿勢や楽器の持ち方・扱い方は勿論のこと……和音コードごとの手の形や運指などなど、今まさに必要としている情報が綴られていた。



 それらの情報を……おれがギターを弾くために必要な情報を、紙面に穴が空くほど凝視して必死に頭に詰め込む。

 見ながら、読み上げながら、弦を弾きながら……おれはしばらくの間上機嫌に、ギターとのつきあい方を吸収していった。


 ……ふんふん唄いながら。




………………



………………………………




 ―――グギュルググググゴゴゴゴ……


「んぐぉぉぉぉ……」



 拙いギターの音色が鳴り響いていた小部屋に、ギター以外の音が突如として響き渡った。

 それに伴う聞くに耐えない呻き声の出所は、まぎれもなくおれの口であり……つまりは響き渡った音というのも、またおれから生じたものである。


 一心不乱にギターと教本に打ち込んでいたおれだったが、その音によって現実に引き戻されるや否や……到底耐えがたい苦痛に苛まれることとなった。



「はら…………へった…………」


「失礼しまー……あれ、先輩戻って来ました?」


「あえ? 戻ってきた……って、おま」


「とりあえずおにぎりとサンドイッチ、先輩がトリップしてる間に買って来たっすよ。返事無かったんでオレの勝手チョイスっすけど……塩サバ好きでしたよね?」



 がちゃりと扉を開けて、コンビニ袋を両手に提げた烏森かすもりが入室してきた。彼の言葉に慌てて時計を確認すると……なんと、軽く二時間弱経過していたらしい。

 遅めの朝ごはんだったとはいえ、もうオヤツどきの時間も幾らか過ぎてしまっている。抗えぬ苦痛に……空腹に苛まれるのも、これは仕方がないことだろう。……というか。



「モリアキ……ごはん……買ってきてくれたの?」


「ええ、まぁ。ぶっちゃけオレも腹減ってきたんで。先輩めっちゃ集中してたっぽいですし、あんま邪魔すんのもなーって」


「ご、ごめん……! ほんとごめん!!」


「どっこいしょ。……いえいえ、オレとしても先輩の語り弾き楽しみですし。さっきも言ったすけど、ほら。塩サバおにぎりと……ポテサラサンド。好きっすよね? 先輩」



 年齢を感じさせる掛け声と共に椅子に腰掛け、烏森はテーブルの上におにぎりとサンドイッチ、更にはチーズ味の『唐揚げサン』まで……たいへん魅力的な品々を次々と並べていく。

 その中には確かに……鯖のほぐし身が包まれたおにぎりと、ポテトサラダがぎっしり挟まれたサンドイッチ……まぎれもないおれの好物が、きちんと含まれていた。



「も、モリアキ…………おれ、どうしたらいい? どうやって返そう……身体で返す? 脱ぐ?」


「シャレにならないんでやめて下さい」


「で、でも……さすがに『申し訳無い』が過ぎるんだけど」


「そーっすねー…………じゃあ……食べてからで良いんで、練習の成果聴かせてくださいよ。この『ファン一号』に」


「!! …………まかせとけ!」


「ふへへ……楽しみっす! あ、飲みもん取ってきますね。ウーロンで良いっすか?」


「あ、ドリンクバー? おれも行く!」



 そういえば……レンタル時間中はソフトドリンク飲み放題と言っていた。どんなものがあるのかも確認していなかったので、とりあえず取りに行ってみようと思う。

 いそいそとギターを置き、いちおうフード付コートを着込む。大人用で男物のコートはどう考えても似合っていないのだろうが、耳と髪を隠せるものがこれしかないのだから仕方ない。


 受付のときも正直危なかった。今回は烏森が付いていてくれたから何とかなったが、説明のお兄さんも明らかにこちらを気にしていたようだった。

 当然だろう、フードで顔を隠しただぼだぼコートの幼女とか、どう考えても怪しい。入店を拒まれなかっただけありがたいと思わなければ。



 しかし、外出するにあたっての対策は考えなければならない。今後ずっと部屋に引きこもっている、というわけにもいかないので……そう、せめてこの身体に似合ったフード付コートを見繕う必要がありそうだ。


 烏森の後に続いて扉をくぐり、鍵を閉めながら、おれはそんなことを漠然と考えていた。



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