第18話 【事件現場】心優しい魔法使い




 翡翠玉のようなおれの眼は薄暗闇でもきらきらと煌めき、光を受けると殊更ことさらに綺麗に輝く。つい先程烏森かすもり宅の浴室の鏡でと観察したこの眼は、我ながら惚れ惚れするほどにただただ綺麗だ。

 しかしただ単純に綺麗に輝くだけではなく、魔法の扱いに秀でたエルフ種ならではの特殊な性能も秘めている。この世ならざる異能の力を――『魔力』とでも呼ぶべきの流れを――はっきりと知覚することができるのだ。



 そんなおれの視覚には……銀行襲撃事件の犯人が、自身の身を削りながら魔力を捻出する様子が、強化補正越しに映っていた。


 大気中に漂う魔力が希薄なこの世界、この国では……とて魔法を行使することは簡単ではない。

 となる魔力がに存在しないなら……から取り出し、絞り出すしか無いからだ。





「まったく…………無茶する、なぁっ」



 おれ目掛けて飛んできた魔法を的確に撃ち落としながら、彼の潜む銀行へ向かって一歩一歩ゆっくりと進んでいく


 先程まで支店長を甚振いたぶり続けていたことで、の魔力をかなり消耗してしまったのだろう。今や彼は息も絶え絶えといった様子で、絞り出すように必死に『魔法』を放ってきている。



 だが……それは全くもって

 そもそもが彼に勝ち目など無いのだ。



 彼の振るう異能の力は……その前提からして、見ず知らずの他人に向けるべきものでは無いのだから。




『……あなたのチカラでは、わたしに勝てません。……抵抗は止めて、大人しくして……わたしの話を、聞いてくれませんか?』



 ゆっくりと一定のペースで歩み続け、今や彼との距離は当初のおよそ半分ほど。【拡声ヴィバツィオ】を用い、更に指向性を持たせたわたしの声を彼に届けるが……返礼は声ではなく、攻撃魔法によるもの。


 万が一にもわたしの後ろに零れないようキチンと迎撃しているが、そもそもわたしはを食らったところで痛くも痒くもない。……いや嘘ついた。ちょっとは痛いだろうし、痒いかもしれないが、その程度だ。


 明確に形を与えられた現象――火炎や石弾や氷器など――ですら無く、恨みや怨念を直接ぶつけているに近い彼の魔法……要するにそれは、を攻撃するための魔法なのだ。

 彼が恨みを抱く存在……彼のや、彼のでなければ、彼の魔法はその真価を発揮できない。



 職場を……いや、理不尽に解雇された『元・職場』を襲撃して騒動を起こし、テレビやメディアで報道されることを見越した上で、をおびき寄せる。

 見せつけるように派手に破壊された職場の様子にまんまと釣られてきた達を、授かった『魔法』で徹底的に甚振いたぶり、鬱憤を晴らす。

 それが……現時点で得られた情報をもとに推測された、彼の目的。


 銀行に詰めていた警備員や突入しようとしてきた警官隊は、『復讐計画をジャマする者』として敵対認定されたのだろう。

 そのため彼の魔法の特効対象として見なされてしまい、赤子の手を捻るように翻弄され……未知の力に手こずり、未だに彼を制圧するに至っていないのだろう。…………たぶん。




「……わたしには、効かない。…………わかりますよね?」



 ゆっくりと、更に歩を進める。既に砕かれた窓ガラスが散らばる地帯にまで接近しており、ここまで近付けば【拡声ヴィバツィオ】を用いずとも声を送れるだろう。

 平静を欠き混乱する様子の彼の様子も、その独白も、人間の数倍敏感なこの聴覚であれば聞き取れる。


 あくまで優しく声を掛けながら、割れ砕けた玄関ガラスを踏みしめ支店の入り口を潜る。

 ついでに……後方でなにやら画策している連中に釘を刺すため、指令役とおぼしきおっさんに狙いを合わせて【伝声コムカツィオ】を送り込む。



『余計な真似しないで。終わるまで大人しくしてて。……ジャマするなら車ぜんぶブッ壊す』



 おまわりさんに対して、こんな偉そうな物言いなんて……本来なら褒められたものではないのだろう。

 しかし今のは『正体不明の謎の人物』だ。これくらいの無礼は……まぁ、たぶん許されるだろう。……たぶん。


 ともあれ、果たしてそのおっさんはちゃんと指令役だったらしく、期待通りにその効果は覿面てきめん

 前進しようとしていた警官隊の動きが止まり、戸惑いの空気を漂わせながらも元の包囲陣形へと引き返していく。

 幸いなことに『話が解る』人物のようだ。おかげで無駄な労力を使わなくて済む。




 仕事だからとはいえ……警備員も警官隊もに過ぎない。

 この世の平穏を脅かすモノを始末するのは、だ。……わたしは彼らに被害が生じないよう、最善を尽くさねばならないのだ。





 照明もほとんど点いていない店内へと踏み込み、書類や書籍だったものが散らばるロビーの奥に気配を感じる。横に長い窓口カウンターの向こう側で、荒い息遣いが感じ取れる。


 奥底から止めどなく涌き出る使命感呪いに突き動かされるように……高性能でなこの身体アバターは、最適な行動を選択し続ける。



「……もうやめましょう。……これ以上は、無意味です」


「…………ッ!! クソォォオオオ!!」



 カウンターの向こうに勢いよく立ち上がった彼の……絞り出すようにして放たれた、全身全霊の攻撃魔法。

 を害することに特化した悪意の塊、彼が恨みを募らせる者達へ復讐するための、まがまがしいそのチカラは。



「【防壁グランツァ】。…………ほら、無意味です。……諦めましょう?」


「ぐ…………!?」



 効かないのだということを思い知らせるため……可視化された防壁をあえて顕現させ、彼の魔法を粉々に打ち消す。

 彼の渾身の『害意』の魔法は光の薄板のような防護結界に阻まれ、けたたましい音とともに周囲へと飛び散り霧消する。

 待ち合いロビーの長椅子を、住宅ローンのポスターが貼られた掲示板を、観葉植物の植木鉢を粉々に砕き……しかしわたしには何の被害も生じていない。


 ……恐らくはこの支店自体も、彼にとっては忌むべき復讐対象なのだろう。【防壁グランツァ】に散らされた欠片が触れただけでも盛大に破壊され、見るも無惨な様子となり果てている。

 しかしそれでも、わたしには通用しない。そもそも魔法への抵抗力が桁違いであるし……なによりわたしは、彼への敵意など微塵も持ち合わせていないのだ。




「……何、なんだ…………キミは……」


「あなたを……止める者、です」


「ッッ!! 生意気な……!!」


「あなたの『魔法』は効かない。解ったでしょう? …………それに、そろそろなんじゃないですか?」


「な…………ッ、んで……」


「そんなの見れば……いえ、見なくてもわかります。普通の人間ヒトは、魔法が使えるようには出来てません。…………だから、もうめてください。それ以上は命が危ないです」


「…………ウソ、だ。……デタラメだ!!」



 彼の心はもう限界なのだろう。ここを襲撃してから短くない間、ずっと一人で籠城を続けていたのだ。

 それに加えて恐らくは……理不尽な事件に巻き込まれ、絶望に打ちひしがれ、今日この犯行を決意するに至るまでも。彼はずっと、ずっと一人で苦しんできたのだろう。



 血走った目の彼が手を伸ばし、喚きながら硬質プラのレターケースを引っ掴む。カウンターの向こうからわたし目掛け、それを全力で投げつけてくる。

 それは……魔法が通じないと知って衝動的に放った、ほんの苦し紛れの抵抗にすぎない。


 わたしの身体アバターは極めて優秀だ。避けることは勿論、先程同様【防壁グランツァ】で防ぐことだって可能だろう。

 だが……避けない。防がない。わたしの頭目掛けて飛来するレターケースを前に、そのままじっと立ち竦む。




「あっ」


「…………ッ!!?」



 彼の狙いは正確だった。コースそのままレターケースはわたしの頭を捉え、額に刺さるとともにコートのフードが背後に落ちる。


 これまで顔を隠していたフードを除かれ……日本人離れした髪と瞳、人間離れした長い耳、そして赤く雫を垂らす額の傷が露になる。



「…………ぁ、……な、そん…………な」


「落ち着いてください。……わたしは、あなたを害するつもりはありません」


「血…………血が……」


「わたしは大丈夫です。ですから、落ち着いて。……お話を、させてください。そっち行きますけど、良いですか?」


「……ぇ……あ、…………あぁ」




 さすがに……見ず知らずの子どもに怪我をさせたことに対しては、思うことがあったのだろう。彼に残っていた良心のお陰もあり、幾らか冷静さを取り戻してくれたらしい。


 この身体であれば、ケガを薄皮一枚に留めることなど雑作もない。防御強化の魔法だってあるし、傷だって跡形もなく消し去れる。

 だからこそ『(見た目)幼げな女の子にケガをさせたショックで落ち着かせる』なんていう無茶ができるわけだ。



 完璧なおれの作戦は、やはり計画通り成功したようだ。彼は明らかに消沈して結果的に落ち着きを取り戻し、話を聞いてくれる状況になったようだ。


 ここからが本番。なんとか彼をフォローし、彼の傷も最小に抑えなければならない。このままだと彼は間違いなく大罪人として、一方的に裁かれてしまう。




 それは……いやだ。

 わたしが、なんとかしなければ。




 彼はこの事件の加害者なのだろうが……また別の事件の、確かな被害者なのだから。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る