第17話 【緊急事態】肩慣らしといこうか




 被害者を助けるとはいっても……こと今回に限っては、留意しておかなければならないことが幾つかある。

 それは単純におれの安全のためだったり、烏森かすもりに迷惑を掛けないようにするためだったり……あるいは、世間に無用な恐怖と混乱をばら蒔かないためだったり。


 単純に事態を上手く収束させるだけでは、満点とは言いがたい。隠すべきことをうまく隠さなければ、と知られてしまうどころか……異能を操るが他にも存在するということを、リアルタイムで全国中継することになってしまう。


 ……いや、しかし……やっぱり難しい。ある程度は仕方ないと割り切るしかないと思う。

 恐らく『彼』に対抗するにあたって、『魔法』を使わずに鎮圧するのは極めて困難だろう。おれの『異能』がバレるのは間違いない。

 しかし他に手段は無い。急がなければおっさんが死んでしまうし、犠牲者はどんどん増えてしまう。かといってこの建物配置では――上空からカメラで監視され、周囲を人垣に囲まれた往来においては――死角などあるハズがない。


 多くの人に見られるのは……カメラに映されるのは、諦めるしかないだろう。



「見られるのは仕方ないけど……要するにおれだってバレなきゃ……個人特定されなければ良いわけだろ」



 上空のカメラとて……あれだけ距離と振動があれば、詳細な画は撮れないだろう。フードを深く被っていれば顔も髪も映らないハズだ。

 周囲の人たちも同様、ざっと見た感じ軽く五〇メートルは離れているのだ。人間の視覚では、この距離を隔てた人物を観察するのは困難だろう。


 つまりは、

 そう自らに言い聞かせ……おれは一人行動を開始する。





 先ずはエレベーターを呼び寄せ、最上階へ向かう。目指すはその更に上の屋上、魔法で浮かび上がれば問題なく侵入できるだろう。


 当然といえば当然だが、現在地であるマンション部分から直接銀行へと入ることは出来ない。

 マンションの一階エントランスと銀行とは完全に壁で仕切られており、エントランスの扉から一旦外に出ないことには、銀行の玄関に辿り着けないのだ。


 ……やだよおれ。衆目環視の中でおれ一人だけひょっこり顔出すの。めっちゃ注目されるじゃん。

 それに……マンションのエントランスから出てくれば、このマンションの住人と関係があるって暴露してるようなものだし。烏森かすもりに迷惑をかけないためにも、ここの住民では無いと思わせなければならない。



 そう考えを纏めているうちに、最上階である七階へとエレベーターが到着する。

 エレベーター出口から真っ直ぐ、東西に伸びる共用廊下を挟んで南北両側に玄関ドアがずらりと並ぶ。真っ正面東側の行き当たりとエレベーター脇の西側階段ホールには、採光と通風のための引き違い窓がそれぞれ設けられており……身体の小さな今のおれであれば思った通り、余裕で通り抜けられそうだった。



「……よっし、行くか。【浮遊シュイルベ】」



 息をするように、身体を動かすように、さも当然とばかりに呪文を紡ぎ、魔法を行使する。

 重苦しいダッフルコートに包まれた小さな身体が床から離れ、身体はどこにも触れぬまま、上下前後左右へと意のままに動けることを確認する。


 階段の踊り場の窓からひょっこり顔を出して上方を窺い、聴覚と併用して報道ヘリの現在位置を探る。

 銀行の正面入り口を撮ろうとしているのだろうか。幸いなことにこの建物の南東側へ回り込んでいるらしく、この窓の外はヘリから見ればちょうど死角になっている。



「今のうちだな。えっと……【陽炎ミルエルジュ】」



 姿を消す……というほど大それたものでは無いが、ほんの一瞬姿をぼかす程度は出来るだろう。階段ホールの引き違い窓を目の前に、おぼろげになった輪郭を再度確認する。

 ここから先はノンストップ、もう隠れることは出来ない。小さく深呼吸して気持ちを落ち着ける。……よし。行ける。


 光のいたずらを纏ったまま勢いよく窓から飛び出し、急上昇。ほんの一瞬で屋上へと到達すると、貯水タンクの上に着地する。

 足元の安定を確認して【浮遊シュイルベ】を解除、しかし【陽炎ミルエルジュ】は纏ったまま。……恐らく、出現の瞬間を捉えられてはいないはずだ。聴覚を研ぎ澄ませながら少し様子を窺う。



 ほんの数十秒の後、ポケットから着信音。慌ててスマホを取り出すと、新着アラートに烏森かすもりからのメッセージが映る。

 その内容は……『カメラ気付きました。映ってます』。


 フードを目深に被ったまま、今度は視覚に補正を込めて視線のみをちらりと向けると……確かにヘリの横っ腹がこちらに晒され、カメラのレンズも向けられている。

 あちらからはフードの影に隠れて、おれの視線は見えないはず。真正面を見据えて悠然と佇む、輪郭の霞む謎の人影に見えることだろう。



(……落ち着け。大丈夫。……



 自己暗示を済ませ、意識のスイッチが切り替わるのを認識し、おれは行動を開始する。

 貯水タンクから飛び降り、一足飛びで南側の縁まで走る。


 遥か眼下を見下ろせば車通りの全く無い交差点と、アスファルトの上に力無く倒れ込んだ男性と……それなりの距離を隔てて包囲する警官と、その背後に隙間無く詰め寄せる人、人、人、そして人。

 地上の人々は上空のカメラとは異なり、まだおれに気づいた人はほとんど居ないようだが……まぁ、そこは別にどうでも良い。

 カメラに姿を晒した。つまりは犯人に存在を晒した。……今はこれで充分。




「…………【浮遊シュイルベ】」



 一瞬だけ意識を掠める恐怖心を使命感で押し潰し、屋上の縁を軽く蹴る。

 ちらりと窺ったヘリのレポーターが悲鳴を上げる様子を意識の端に捉えながら、自由落下よりかは幾らか緩い速度で地表へと降下する。


 目指すは一点。そこを目掛けて降下コースを調整し、僅かな着地音のみを響かせ地に降りる。

 一体どれだけなぶられたのか……顔が腫れ上がり、着衣を血で汚し、擦り傷と切り傷に埋め尽くされ、喘ぐような呼気を溢す……息も絶え絶えな、この支店の支店長のもとへ。



 突然降ってきたおれに騒ぎ始める警官と、その後ろの人々に背を向け……ぼろぼろに痛め付けられた支店長を、そっと抱え起こす。

 思わず目を覆いたくなるような大怪我だか、おれが目を逸らすわけにはいかない。

 ……大丈夫。ちゃんと助ける。



「【診断ディアグノース】…………んん……えっと、【回復クリーレン】【造血ヴルナーシュ】【鎮痛シュラトフィル】……あと、【鎮静ルーフィア】」


「……ぁ…………う、っ……? ……な、ん……」


「…………あの……大丈夫、ですか?」


「………………ぁ……?」


「あ? え、あの…………あのー……?」



 全身の傷が綺麗に消え去り、見た目は何も問題無く元通りの支店長が……目を覚ますなり、完全に固まってしまった。


 何でだ……どうしてだ。傷は全て塞いだはずだ。失った血液も補填したし、痛みを伝える信号も止めた。恐怖を忘れさせるために心も落ち着けたはずだ。

 今や彼の身体を蝕むモノは何も無いはずなのに。何も問題無いはずなのに。……しかし現実として、彼の身体は動きを止めている。



「あ、あの……大丈夫ですか!? どこか痛いところありますか!? の声は届いてますか!?」


「……っ、ぁ、…………あぁ、大丈夫……だ」


「!? …………よかっ、たぁ……!」


「っ、…………申し訳ない。少し呆けていたようだ」



 びっくりした。良かった。意識も口調もしっかりしている。……どうやら心配はなさそうだ。

 支店長の身柄が確保できたのなら、すぐにでも次の工程へ進まなければならない。


 犯人のみならず、背中の後ろの人々までもが何やら不穏な動きをしようとしており……早く済ませなければ色々とまずいことになりそうだ。



「【介入インターヴ】【改竄フェイズオン】……やらせませんよ」


「……な、何? 何だ……!?」


「大丈夫です。。……そのまま後ろへ……お巡りさんの方へ。……行けますか?」



 がくがくと首を高速で縦に振り、支店長は慌てて立ち上がると後ずさるように下がっていく。

 逃げようとする彼目掛けてが放たれるが、それに干渉してその効力を書き換えて無力化し、支店長の離脱を援護する。


 特定条件を満たす相手に対して、絶対的とも言える支配力を誇る、敵の魔法。

 少しでも油断すれば……せっかく助け出した支店長も、幾度となく突入を試みている警官隊も、恐らくただでは済まないだろう。



「……あとは…………あなたです。……今から行きますので」



 おれの呟きを遮るように放たれたを撃ち落とし、ため息を一つこぼす。おれの介入は全く予想外だったのだろう。あからさまにが見てとれる。


 ここからでは遮蔽物に隠れている犯人を真っ直ぐ見据え――大勢の観覧者達に頑なに背を向け――ゆっくりと歩き出す。



「…………今から行きますので……出来れば静かに待っていて下さい」



 おれと同類の『魔法使い』。

 銀行強盗事件の主犯である、


 世界に絶望し、嘆き苦しんでいる彼とて……無下にはできない。




 可能な限り多くの……手の届く範囲の人々を幸せにするために、最善を尽くす。


 



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る