第16話 【緊急事態】どうしたらいい!?



 ゆっくりと起き、たっぷりと朝ごはんを頂き、やむにやまれぬ事情によって女体の神秘の一端を垣間見たりしながらも、有意義な休日が始まろうとしていた……まさにそのとき。


 床二枚隔てた地上階では……世間を揺るがす前代未聞の大事件が勃発していたらしい。



 このマンションを中心とする直径百メートル程の家々へは、ニュースレポーターいわく避難の指示が下されていたとのこと。

 により内外の音の伝播を遮断された――避難を告げるべく訪ねてきた警官のノックの音にも無反応、かつ室内の生活音が微塵も外部に漏れなかったため留守と判断された――三〇五号室の住民を除いて、近隣住民は皆避難してしまったらしい。



 今や、この部屋と事件現場を中心とする直径百メートル圏内に存在する人間は……くだんの銀行強盗犯と、おれたち二人。それだけらしい。




「どどどどどうするんすか先輩……! ヤバくないっすか!?」


「ヤバいヤバくないで言えばどう考えてもヤバいよな……!」


「大体何なんすか銀行強盗って! 今日土曜っすよ!?」


「むしろ人がいないから狙ったとか……? 魔法が使えるなら警備とかセキュリティとか無視できてもおかしくないし……その気になれば金庫だって抉じ開けられそうだし」


「ちょ、ま…………魔法、って……犯人が!?」


「そうみたいだ……って、ホラ! 見てみろテレビ」



 上空から俯瞰するカメラが拡大率を増し、警官隊の動きが恐らくリアルタイムでテレビの画面に映し出される。

 フル装備の警官四名がひと塊になり、前列二名は透明なポリカーボネートのライオットシールドを隙間なく構え、銀行入り口脇の死角からじりじりと近寄っていく。


 恐らくは、気配を消してにじり寄る彼らから注意を逸らそうとしているのだろうか。窓の外、拡声器越しの訴えがあからさまに低姿勢に、譲歩の気配を見せ始める。

 犯人の反応を引き出そうと試みている様子が伝わって来ており、それに呼応するようにテレビに映る重装警官が少しずつ歩を進めていく。


 作戦としては悪くないと思う。交渉の余地があると見せて犯人を釘付けにし、その隙に別方向から制圧部隊を送り込む。極限状態に陥っているはずの犯人は視野が狭まっているハズであり、死角から近づく別動隊まで気を回すことは難しいハズだ。



 作戦としては……悪くないと思うのだが。




「せっかくの二面作戦を実況中継してどうすんだよ……!」


「銀行って普通にテレビ置いてますよね……犯人がテレビ点けてたら筒抜けじゃないっすか…………ってうおおおお!?」


「……吹き、飛んだ……?」



 窓の外から何かが破裂するような音と悲鳴と衝突音が立て続けに響き、それに連動するようにテレビ越しの映像が大きく動く。

 重装警官のスクラムが何の前触れもなく数メートルは後方に吹き飛ばされ、上空のヘリから俯瞰するレポーターが悲鳴に近い声を上げる。


 映像を見ている限り……なるほど確かに、常識に反した怪現象『魔法』としか表現しようが無い。

 じりじりと歩を進めていた重装成人男性四名、装備も含め総重量四〇〇㎏は下らないだろう一団が、まるで不可視の車に正面から突っ込まれたかの如く軽々と吹っ飛ばされ、ほんの一瞬で無力化されてしまったのだ。



 ――――『俺に近付くな』。


 恐らくはである使……その



 ローターの騒音に蝕まれている上空のレポーターも、おれと同じ距離に居る烏森かすもりも、どうやら聞こえた様子は無いようだったが……おれエルフの耳には重装警官が吹き飛ぶ直前のが、確かに聞こえていた。


 底知れぬ怒りを含み、憤怒に震える声で紡がれた……若くはないだろう男の声。

 恐らく中継を視聴し情報を仕入れながら立て籠り続けている、真下に居座る犯人の声を。



 

「え、ちょ!? 何!? 何してんすかあのオッサン!? ちょっ、危ないですって!!」


「…………いや、引っ張られて……? …………!! まさか……! 犯人に!?」



 窓の外で新たな悲鳴が上がり、中継画面にもその様子が映し出される。警察車輌によって築かれた簡易バリケードの影から、一人の初老男性がふらふらと歩み出ていた。

 制止しようとする警官を力ずくで振り払い、微塵も躊躇せず顔面を殴り付けながら、夢遊病のような足取りで包囲の中心へ……犯人の居座る銀行へと進んでいく。


 何が起こっているのか理解の追い付かない人々を嘲笑うかのように……事態は一気に凄惨さを増していく。



「うわ……!? う、わっ、ちょっ、止めっ……! ちょっ、さすがにエグいっすよ!? 待って! ヤバいですってこれ!!」


「……殴ってる、のか? ……『魔法』で…………一方的に」



 まともに抵抗出来ない壮年男性が突如、まるで殴られるかのように体勢を崩し、その場にうずくまる。かと思えば横方向からの殴打を受けたかのように吹き飛ばされ、べしゃりとアスファルトの路面に叩き付けられる。


 不可視の暴力、一方的に痛め付けられる男性の姿に周囲からは悲鳴が上がり、男性を保護しようと試みる警官は先程同様あっさりと吹き飛ばされる。



 そうして聞こえてくる……犯人の高笑いと、途切れぬ憤怒と、止めどなく溢れる怨嗟の声。





(…………そういう……ことか)



 人並み外れた感度をもつ耳のおかげもあり……犯人の動機も、目的も、恐らくおれだけが理解した。


 孤立無援の状態でいたぶられ続ける男性を、その後に続くであろう被害者達を、助けることが出来るのは自分だけなのだろうと……理解してしまった。





「…………いか……ないと」



 頭の中、思考の奥底。この身体に生まれながらにして刻み込まれた設定呪いが、おれの意思とは無関係に目を覚ます。


 元の身体を喪ったおれは、今や『木乃若芽きのわかめ』という一つの創作人格キャラクターに過ぎず…………彼女を作成する際に数多組み込まれた設定呪いの通りに『木乃若芽この子』を演じ、振舞い、動くしかない。



 幼げな見た目と実年齢に反し、その実態は超熟練の魔法使い。


 魔法情報局の局長として、番組を完璧に取り仕切る腕を持ち。


 精霊の愛し子、神秘の民、幼くも高潔な心を抱いた長命種。


 平和と静穏を愛し、不幸を見て見ぬ振りなど出来やしない。


 全ての人々に夢と希望を与える。そのための苦労は厭わない。



 正しく、温かく、清い心を持ったエルフの少女……その身に籠められた優しいまじないに、おれは抗うことなど出来ない。




「ちょっ!? せん……先輩!! 何しようとしてんすか!?」


「……いや、ダメだおれ。止まんね。行かないとダメだわ」


「な…………何言ってんすか! 危ないに決まってるじゃないすか!!」


「それでも……おれが止めないと。じゃないと……あのおっさん殺される。そしたらもう……手遅れになる」


「得体の知れない……魔法? だって使って来るんすよ!? おん…………今の先輩じゃ危ないですって!!」


「いや、でも……おれだって魔法使えるし。立場的にはイーブンやぞ」


「………………そういえばそうでしたっけ。……あー何だかイケそうな気がして来ましたわ。まぁ『わかめちゃん』の設定ならイケそうっすね」


「いきなり醒めたな。嫌いじゃないぞ」



 おれの身を案じてくれたらしい烏森かすもりに引き留められ……たかと思ったら鮮やかにてのひらを返され、苦笑しながら準備を整える。

 このくっっそ目立つ容姿はどう足掻いてもどうしようもないので、せめてフード付きダッフルコートで身体を包んで髪と耳を極力隠す。圧倒的に動きにくくなってしまったが、特に問題ないだろう。



「ほいじゃ、そろそろ行ってくる」


「ちょちょちょちょっ! 先輩!!」


「な、なに……?」


「……まさか窓開けて出てこうとしてませんよね?」


「えっ…………ダメ?」



 してました。だってそのほうが手っ取り早いじゃん。急がないとおっさん死んじゃうかもしれないもん。



「何こてんと首傾げて可愛いムーブしてんすか。騙されませんよ。……先輩がウチの窓から出てったら、オレが関係者って即バレするじゃないっすか。中継してるんすよ。しかもギャラリーだって滅茶苦茶いるんすよ。特定余裕ってレベルじゃないと思うんですが、この後ウチどうなると思います?」


「……………………ごめん」


「解って戴けたなら幸いです……」


「出るときはおもてから見えないようにする。……あとヘリも」


「そうして下さい。……先輩も『魔法』使えるんでしょう? なんとか良い感じに欺いて下さい」


「わかった。任せろ」


「先輩!!」


「えっ、なに!?」



 おれ……また何かやっちゃいました?

 突如声を張った烏森かすもりに不安を禁じ得ず、びくりと跳ね上がり振り返ると…………いつになく真面目な表情の彼と目が合った。



「若芽ちゃんのFAファンア……カッコいいのも可愛いのもえっちなのも、いくらでも描きます。あとオレ若芽ちゃんの次回放送も今後の展開も、めっっちゃ楽しみにしてますから。…………解りましたね?」


「………………ああ。任せとけよ」


「信じてますから。……行ってらっしゃい」


「おう。行ってきます」





 内々から沸き上がる衝動に突き動かされるように。理不尽に踏みにじられる目の前の被害者を救うために。



 おれはひっそりと玄関を開け……こっそりと行動を開始した。



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