第12話 【非常事態】パンツが無いから



 考えるまでもなく当然だろう。未就学の子どもでも常識として弁えているだろう。むしろ何故に思い至らなかったのか、我ながら疑問だ。もはや抜けているとかそんな次元じゃないと思う。


 前にも、烏森かすもり宅の風呂場を借りたことはあるが、そのときはちゃんと替えの下着を持参していた。当然だ。

 原稿合宿のときも当然、数日分の下着とタオルと洗面用具は持参していた。週末の宅飲みからの寝落ちからの翌朝シャワー拝借の際も、最低限替えの下着類は持ってきていた。当然だ。

 『お泊りセット』などと言うほど大それたものでもないが……丸めて纏めてポーチの一つに収め、ついでに髭剃りと洗顔フォームをねじ込んだ『お泊りポーチ』とでも呼ぶべきものを、浴室を借りる際にはいつも持ち込んでいた。……当然だ。



 だが……今回は。昨晩は。

 夢うつつの状態で配信を終え、縋るような気持ちで烏森かすもりに連絡を取り、コートを羽織り財布とスマホと鍵のみを引っ掴み、原付に飛び乗って飛び出してきた。


 お泊り定番の『お泊りポーチ』を持ってきた記憶は無いし……そもそも頼みの綱の『お泊りポーチ』に収まっている下着は、当然なわけで。





「サイズ合うパンツ……持ってるわけ無えじゃん……」



 いや、それどころじゃない。パンツどころじゃない。そもそもが……この身体に合う着替えなんて『配信』用衣装以外に持っているハズが無い。

 そしてその、現状持ち合わせている唯一の服は――昨晩まる二時間に渡る全身運動の際、おれの身体から排された老廃物をふんだんに含んだ、紛うことなき『汚れもの』は――脱衣場の片隅の床に、ごちゃっと纏められ鎮座している。


 ……百歩、いや千歩譲って。に再び袖を通さなければならないとして。

 ローブはまだしも……あそこまで盛大によごれて汗でしっとり湿ったパンツとシャツを再び身につけるのは、ヒトとしてちょっと抵抗がある。



 ………………なので、仕方ない。



「……バレへんバレへん」



 気持ちとする気がしなくも無いが……背に腹は代えられない。肌着代わりの半袖シャツに袖を通さず、素肌に直接魔術師風のローブを身につける。


 しかしながら……ここでひとつ問題が。

 この魔術師のローブだが……脇の下から脇腹部分と裾の一部は、紐を絞ることである程度サイズを調整できる作りになっている。スニーカーの靴紐部分のような感じ、と表現すれば伝えやすいだろうか、二枚の布地を紐で継ぎ合わせる構造となっているので…………つまり、その、あれだ。脇の下から脇腹部分は、現在素肌が覗いているわけだ。


 ……見られて恥ずかしい部分が直接見られる訳じゃないので、とりあえずは我慢するしか無い。まるだしよりは圧倒的にマシである。

 とはいえ、勿論あくまで繋ぎにすぎない。実際このローブだってすぐにでも洗濯したい程なのだ。なるべく早く衣類を確保しなければならないだろう。



 しかしまあ……先の展望は置いておいて。

 下着肌着無しノーパンノーブラという極めて危うい状況だが……とりあえずシャワーを借りたことでスッキリすることが出来た。時間もそろそろ三十分経ってしまった頃だろう、よごれものを一纏めにして脱衣室を後にする。

 むき出しの脇腹と股間部に触れる冷たい空気が、妙に気になって仕方ない。



「ごめん、お待たせ」


「あっ…………先輩」



 リビングスペースに繋がる扉を開けると、そこには炊きたてのご飯をよそっている烏森かすもりの姿。

 こちらの姿を認めた彼は動きを止め、何か言いたげに思案している様子。



「んえ……な、何? どうした?」


「……いえ、先輩……余計なお世話だったらすみません」


「……お、おう」


「着替え、持ってますか?」


「………………………」



 持ってません。持ってないのにシャワーを借りました。なので今はノーパンノーブラ全裸ローブです。恥ずかしいです。……と事実をありのまま伝えることは憚られ、曖昧な笑みを浮かべて力無く首を左右に振る。

 だがそれでも彼は、どうやら今のおれの装いと手に抱えているを見て全てを察してくれたらしく――


 あっけらかんと、言ってのけた。



「パンツ、使います?」


「は?」


「若芽ちゃんはまだ小さいすから……子供用で大丈夫っすよね」


「は?」


「あ、当然ながらちゃんと新品未開封っすよ。安心して下さい」


「は?」



 ちょっと何言ってるのか解らないですね……。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る