第11話 【作戦会議】…………どうしよう






 ―――種が、ある。



 ひとつやふたつではない。数えるのも馬鹿らしくなるくらい、それはそれは沢山の種。

 ぱっと見回した範囲の、そこかしこに。真っ暗な空間に『ふわふわ』と浮かんでいる……種。


 まぎれもない種だ。種だと思う。つやつやした黒い表皮に覆われた、アボカドの種のように真ん丸の……得体の知れない何かの植物の、種。

 ぱっと見は卓球ピンポン玉のように見えなくもないが……何故かは解らないが、が植物の特性を秘めているということを、おれは直感的に悟っていた。


 それらは……真っ暗なだだっ広い空間のあちこちに、ふわふわと緩やかな上下運動を続けている。

 流されるでもなく。飛び散るでもなく。ただ同じ地点……高度以外の座標を維持するように、じっと浮遊している。



 …………ふと。

 それまでは上下移動しかしていなかった種が……いきなり一つだけ、水平方向にも移動するようになった。

 いや……続いて、もう一つ。さらに続いて、もう一つ。それら以外のほとんどの種は、相変わらずその場にふわふわと浮かび続けるだけ。



 どういうことだろう、何が起こったんだろうと……動き出した三つの種を、注意深く観察してみる。

 艶やかだった黒一色の種には縦一文字に亀裂が走り、その隙間からは赤々とした根っこが少しずつ少しずつ伸びている。


 つまりは……どうやらこの種は、根っこを張り巡らせようとしているらしい。



 真っ黒な種が、その根っこを張り巡らせようとしている。突然動き出した種が取り付いた、自在に動き回るその培地ばいち


 おれは…………を、を……嫌というほどよく知っている。



 血のように赤い根を伸ばす、炭のように黒い種の、寄生先。


 それは……紛れもない、人間ニンゲンだった。





………………………………




………………………………







「…………………あれ」



 嗅覚に飛び込んできた刺激によって、急速に意識が引き上げられる。

 うっすらと開いたまぶたの隙間からは、カーテン越しの控え目な光が飛び込む。もぞりと身じろぎ思いっきり伸びをすると……背中と尻の下に、何やら柔らかい敷物の反発力を感じる。



「…………あれ? おれ…………床で……」



 目覚めた場所は、今やおれの身体となっている『木乃若芽ちゃん』産みの親の一人、神絵師モリアキ氏の自宅マンション。

 身体の下に敷くバスタオルを借り、リビングの床で眠りについたはずの身体は……いつの間にかソファ(を変形させたベッド)の上に。しかも駄目押しとばかりにふわふわの毛布まで掛かっている。


 疲れていたとはいえ。酒が入っていたとはいえ。おれの身体が以前より軽くなったとはいえ。

 眠っているおれに一切気取らせずにをやってのける紳士あいつに、どこか末恐ろしいものを感じてしまった。



「あらら…………おはようございます、先輩。……すみません、ちょっとうるさかったすかね?」


「んや……音じゃなくて……うまそうなにおいが」


「今のサバはウマいっすからねー! 身体は休まりました?」


「……わるぃな、ソファ。……ありがと」


「いえいえ。まぁお客様ですんで。そのためのソファベッドですし」



 本当に……こいつは気配りとおもてなしの鬼か。彼女の一人でも居たっておかしくないハズなのに。こいつの性格と収入なら女の子だってよりどりみどりだろうに。……二次専なんだよなぁ勿体無い。

 まぁ『至近距離で堪能させてもらいましたんで』との発言は、頂いた快眠に免じて、この際聞かなかったことにしてやろう。

 眠りを妨げられたわけでもなし、寝顔を見られるくらい三十二アラサーのおっさんにとっては何ともない。原稿合宿の再来だ。だ。



「すんません、朝メシもうちょっと掛かります。……あと三十分もあれば米炊けるんで」


「あんら、そうかい……いつもすまないねぇ……」


「……まったく、お爺さんや。それは言わない約束でしょう」


「ところで婆さんや……しゃわあを借りてもよいかのう」


「ええ、ええ、良いですとも。……あ、バスタオル適当に使っていいすよ」


「助かる。正直止めどころに悩んでた」


「終わりが無いっすもんね、爺婆じじばばRPロープレは」




 他愛の無い朝の会話に小芝居を挟みつつ、浴室使用の許可をあっさりと得る。本当に何から何まで世話になりっぱなしだ。


 水回りスペースの引き戸を開けて、洗面脱衣室へとたどり着く。入って正面の洗面台には曇りの無い鏡が据え付けられ、改めて自分の身体が変わり果ててしまったことを思い知らされる。



 何よりも、視点の高さからしてまず違う。ぱっと見たところ百三十前後だろうか、以前よりもあからさまに目線が低い。

 ……いや、では百三十四㎝だったハズだ。仮に『若芽ちゃん』の設定が反映されているとすれば、恐らく今のおれの身長も百三十四㎝なのだろう。


 背丈は当然として……もっと問題なのは、こっちだ。

 つやつやと光り輝く若葉色の長い髪、人間には有り得ない程に長く尖った耳、右頬にちょこんと刻まれた神秘的な呪紋、きらきらと深い輝きを湛える翡翠色の瞳。

 誰がどう見ても人間離れした……しかし非常に可愛らしい、幼いエルフの少女がに居た。


 ……自信を持って、断言する。

 今のおれは……非常に、目立つ。



 いつまでも静止フリーズしてはいられない。米が炊き上がるまでにシャワーを済ませなければ、せっかくの朝御飯を台無しにしてしまう。

 ローブ各所の締め紐をほどき、身体のラインに沿ったそれをと脱ぎ去る。その下から姿を現したのは、どことなくファンタジーテイスト溢れる菫色の半袖シャツ。……やはりこれもだった。

 であれば、ほぼ間違いないだろう。シャツの裾から顔を出している濃茶色のタイトスカートの下には、かざりけの無い単純な子供っぽいデザインの下着パンツが装備されているハズであり……一方それとペアであるべき上半身の肌着は、この子には実装されていない。実装の予定もない。無慈悲である。


 自らの設定を確認しながら、真っ赤になる顔を無理矢理意識の外に追いやりつつ……鏡を見ないように気を配りながら脱衣を続けていく。

 あれ程までに焦がれた『若芽ちゃん』の裸身なんて、まじまじと見つめてしまった日には……たぶん、おそらく、まちがいなく、おれはおかしくなってしまうことだろう。

 だから、見ない。視界に入るのは仕方ないが、凝視せずに無理矢理流すことにする。幸いなことに起伏があまり無いこの身体は、さしたる苦労もなく着衣を脱ぎ去ることに成功した。悲しくなんて無い。



 しかしながら……改めて思うと、おれの仕出かした粗相と家主モリアキの寛大さが際立つようだ。


 昨晩はかなりばたばたしていたこともあり、初配信の際にかいた汗がそのままだったわけで。もしかしなくても結構湿っていたし、少なからずにおっていたと思う。

 本当なら礼儀として、眠りに落ちる前に身を清めるべきだったのに……眠気にあっさりと負けてしまったのだから始末に負えない。ぶっちゃけ非常に情けない。

 汗くさい身体のまま絨毯の上で眠るとか、冷静に考えればちょっとヒトとしてヤバいと思う。酒が入っていたとはいえ非常識なおれの要望に、それでも嫌な顔ひとつしなかった烏森かすもりは……本当に菩薩か仏かそれ系の何かだと思う。


 まぁ、何らかの形でお詫びとお礼はするとして、今はとりあえず身体を綺麗にしなければ。

 というか、泊まりに来た際は度々使わせて貰っている浴室だが、いつ借りても綺麗に掃除されているのは本当にすごいと思う。隅々まで掃除が行き届いており、整理整頓定置管理もキチッと行われている。



 新築物件のようにきれいな浴室に足を踏み入れ、幼いエルフの裸身を写し出す鏡が視界に入り…………おれは引きつった顔で身体ごと真横を向き、全力で鏡を見ないように身体を洗い始めるのだった。


 おれたちが焦がれ続けた、幻想的な程に可愛い女の子の全裸である。

 直視するにはあまりにも……あまりにも、刺激が強すぎた。





 ――――中略。





 具体的な描写は割愛するが……決して少なくない苦労と葛藤との末、おれは目をつぶりながらもシャワーと洗髪を済ませることに成功する。


 ここまで体感時間で、たぶん二十五分ほど。なかなかいい時間というべきかギリギリというか。

 ここまで来ればあとはもう一息だ。烏森かすもりの善意に甘んじてバスタオルを借り、身体の水けを拭き取って――



 …………拭き、取って…………?




「…………ちょ、待っ……やっっっっば」



 綺麗に整えられた、烏森かすもり宅の脱衣場。


 衣類籠に入っているのは……先ほど脱ぎ散らかした、汗まみれの衣類と下着。……それだけだ。当たり前だ。



 シャワーを浴びたことでようやく活性化し始めたおれの頭が、危機的状況を無慈悲に告げる。

 周囲の全ての状況から判断される結論が、どうあがいても絶望的であると、何度思考を試みても無駄であると、賢いこの頭は無慈悲に告げる。


 落ち着いて考えれば、当たり前だろう。当然だろう。

 見渡しても、考えても、現実は何一つとして変わらない。




 が無いという事実は……残念ながら、くつがえりそうに無かった。



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