第9話 【安全地帯】ここならきっと大丈夫




 時刻は既に深夜、一時を大きく回っている。

 そんな真夜中にあってなお明るく、かつ温かく、かつ安らぐ後輩宅のリビングにて……おれはとお行儀よくソファにしている。


 浪越なみこ神宮かみや区の某所、フリーの神絵師イラストレーター『モリアキ』こと烏森かすもりあきらの自宅マンションのリビングにて……深夜にもかかわらず随分と手の込んだ晩餐の用意が、無様にも酒の調達に失敗したおれを優しく出迎えてくれていた。



「先に飲み始めちゃって良いすよ先輩。…………先輩……いや、ブフォッ、先輩が……ちっちゃ、かわい……わかめちゃブフッ、りんごジュース……わかめちゃんがりんごジュース」


「畜生モリアキてめえ! 笑うなら堂々と笑えよ!! クッソ腹立つ!!」


「ブッフォはははははははははは!!」


「笑い過ぎだろ畜生! 声デケェよ夜中だぞバカ! ああもう……【静寂シュウィーゲ】!」



 一体何がそこまでツボに入ったのか、涙さえ滲ませながらも、その手はてきぱきと動き続ける。

 何やら炒めていたフライパンを火から下ろしてガス火を止め、フライパンの中身を皿に空ける。そこから更に何度か噴き出しわらいながらもフライパンを軽く水ですすぎシンクに沈め……出来上がった料理の皿を携え、烏森かすもりが食卓へと現れる。

 意識せずとも睨むような視線になったおれを微塵も気にせず、苦笑しながら料理をテーブル中央に置き、彼は『どっこいしょ』とオジさん臭い掛け声と共に腰を下ろす。



「ブフッ…………いや……しましょう。スミマセン先輩、お疲れ様です。……


「…………悪い。お前以外に相談出来そうに無くて」


「そりゃそうでしょうね。オレも配信見てましたよ……最初こそポリ数スッゲェなーとは思ってたんすけど…………いや……まさかこんなコトになってたなんて」


「……実際何ポリくらい必要だろうな」


「作るとしたら『シンゴジ』くらい要るんじゃないすかね? アカリちゃんが18万ですっけ? 確かジューロクのイフリートが30万って聞いた気がしますけど……やっぱ文字通りの桁違いなんじゃないすかね、多分。ローブの裾もヒラッヒラ、髪だって一本一本サラッサラ靡いてましたし。……コメ欄の反応やばかったすよ」


「あぁ。見てた……気にして貰えたこと自体は、普通に嬉しいんだけどな……」



 実際、このクオリティの……ほぼ実写レベルの精度を誇る3Dモデルを作成するとして。リアルタイムで演者の挙動を反映させるレベルの代物は、この時勢でも殆ど存在しないだろう。

 視聴者はまず何よりも、振る舞う仮想配信者UR-キャスターに対し、ある疑問を抱いたことだろう。


 は、本当に仮想配信者UR-キャスターなのか……と。



「…………取り敢えず食べましょ。先輩酒は……飲めます?」


「当然飲めるに決まってんだろ。こちとらアラサーやぞ」


「ウ―――ン……じゃあちなみに明日……てか今日か。何か予定あります?」


「ない。あっても行かない」


「何ねてんすか。笑かせないで下さいよ。……『ゆる酔い』で良いすか? 白ぶどう」


「おう。くれくれ。……悪いな」


「なんのなんの。ではまぁ……初放送お疲れ様です」


「ん。乾杯」



 コツン、と缶どうしをぶつけ、真夜中の宴が幕を開ける。思えば配信が終わってから何も口にしていなかったし……更にさかのぼってみれば、夕方頃にこの身体で目が覚めてから、何も食べていなかったように思う。

 やや強めに焦げ目がついた鶏モモの照り焼きを、付け合わせのマッシュポテトと一緒に口に運ぶ。塩気の中の微かな甘味と、ニンニクや黒胡椒の刺激が丁度良い。相変わらずの結構な腕前だが……これはツマミというよりも立派な主菜だな、米が欲しくなる。


 缶酎ハイをぐびっと煽ると濃いめの味がさっぱりと流され、爽やかな甘味と炭酸の刺激がスーっと入っていく。

 一山越えたあとの解放感と、美味い飯とアルコール。やはり実に気持ちがいい。

 経緯はどうであれ、長年の悲願であった『あの子』のお披露目に成功したことは間違い無い。今後色々と考えなければいけないことも多いだろうが、とりあえず今はそれを喜ぶことにしよう。



「あ―――トリ美味うめぇ――……」


「先輩言動がめっちゃおっさんっすね」


「当たり前だろおっさんなんだから」


「いやー……説得力無いっすよ」


「…………そっか。……そうだな。…………ていうか今更だけど、よく『おれ』だって信じてくれたよな」


「そりゃーだって『若芽ちゃん』の容姿そのまんまですもん。他の容姿ならともかく……オレ以外に『若芽ちゃん』を知ってる人は先輩だけですし。……あ、いや…………し」


「……そうだよな。…………やっと、始まったんだよな」



 計画を立てて後輩モリアキに持ち掛け、設定にデザインに試行錯誤を繰り返した日々。ほんの一週間と少し前までは『木乃若芽ちゃん』の詳細データを知る者など……おれ達二人を除いて存在しなかったのだ。

 出資者の方々には幾らか情報を渡しているとはいえ、本公開まではそれでも殆どを伏せてある。おれたち二人以外の人間が得られる情報は限られており、完璧な『木乃若芽ちゃん』を再現するなど不可能なのだ。


 だが……昨日。というか、ほんの数時間前。

 恐らく『大成功』と言っても差し支えない初回放送を経て、その知名度は爆発的に上がった筈だ。



SNSつぶやいたーの方でも盛り上がってましたよ。後でハッシュタグ覗いてみて下さいよ。……あ、そうだホラ! 見て下さいこれ! 記念すべき若芽ちゃんFAファンアート第一号ですよ!!」


「お……? おお―――!! ……ってコレ描いたの公式モリアキじゃねえか!!」


「いやーバレちゃいましたか! ……しょうがないじゃないすか。オレだってファンなんすから」



 微塵も悪びれず、屈託のない笑顔を見せる烏森。……思えば彼には色々と助けて貰ってきた。

 キャラクターデザインの監修も、立ち絵や設定画や広告用イラストの作成、さっきのような応援イラストファンアートの作成も。

 またそれ以前にも……計画段階だった頃には、夜通しの作戦会議に付き合ってくれたり。今日のように手料理を振る舞ってくれたり。本業を横に置いてまで議論に応じてくれたり。


 本当に……彼が居てくれて、良かった。



「……ありがとな、モリアキ。あと……これからも、よろしく」


「うっす。…………それはそうと、先輩」



 見れば……烏森は先程から、何やら様子がおかしい。缶ビールを片手に視線をあちこち彷徨わせ、いかにも何か言いたげな様子だ。

 言いにくいことでもあるのだろうか。とはいえ、これまでは彼の助言に助けられたことも数多い。おれの考えの及ばぬところを的確にフォローしてくれる彼には……言葉にこそ気恥ずかしくて出さないが、全幅の信頼を置いていると言っても過言じゃない。

 つまるところ……彼の指摘は正直、非常にありがたいのだ。思うことがあるのなら、何なりと言ってほしい。


 ……そんな想いが通じたのだろうか。

 彼はやがてチラチラとこちらを伺いながら、おずおずと口を開いた。



「あの、先輩………………見えてます。パンツ」


「は? あっ」



 気心の知れた相手との酒の席だ。腹も満たされ酒も回り、ついつい気が緩んでしまったことは確かだろう。

 気がつけば裾の長いローブとスカートを太腿まで捲り上げ、ソファの上で片胡座あぐらをかき酒とつまみをかっ喰らっていたようだ。


 …………どうやら気を抜きすぎるのは……言動を取るのは、色々と宜しくないらしい。


 ……けども。



「……まいっかパンツくらい」


「エッ!!? 良いんすか!?」


「まぁ良いけどよ……でもお前、二次専じゃなかった?」


「だって『若芽ちゃん』のパンツっすよ! 別腹ですって!」


「あー……うん。気持ちは解らんでも無いな」



 もしこれが正真正銘の『若芽ちゃん』だったら……あの初回配信であったように可愛らしく恥じらってくれるのだろう。

 しかし残念なことに、おれは三十二アラサーのおっさんなのだ。烏森コイツとは夏場エアコンの壊れた部屋でパンイチ原稿合宿を戦い抜いた間柄であるし、何なら創作仲間何人かで温泉旅行に行ったことだってあるし……そうなるともはやパンイチどころの話ではない。大事なところまで曝け出した間柄なのだ。

 というか……そもそもが気心知れた仲間同志、しかも同年代の男性どうしとあっては――それこそ全裸でもない限り――恥じらいなどそうそう感じるものでもない。


 おれにとっては特に被害を被るわけでもなく、むしろ普段どおりの体勢でくつろいでいるだけ。

 それで烏森恩人が喜んでくれるというのなら……恩返しというわけでもないが、まぁいいだろう。



「じゃあいいよ。パンツ見せたるからFAファンアまた宜しく。何ならモデルでもやるか?」


「ゥエッッ!? マジっすかヨッシャ!! ……えっと、ちなみにレーティングは?」


「当面はパンツまでだな。……っていうか公式が発禁R-18描いちゃマズいだろ」


「ダメかァ――――!!」



 オーバーリアクションで天井を仰ぎ、背もたれに体重を掛け脱力する神絵師イラストレーター、モリアキ氏……そんなにもショックだったのかと若干いたたまれない気持ちになるが。さすがにまだそういう時機では無いだろう。

 尤も……需要があるようならば、そっち方面でのアピールも吝かでは無いあり得なくは無いが。


 可笑おかしくも賑やかな『親』どうしの語らいは尚も続き……温かな夜はゆっくりと更けていった。



 彼が受け入れてくれて……本当に良かった。



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