第7話 【緊急避難】それでもおれは悪くない




 突然だが、日本国における道路交通法についてご存知だろうか。


 道路交通法において定められる排気量五〇cc以下の原動機付き自転車……いわゆる『原付き』と呼ばれる自動二輪車がある。

 普通自動車免許を取得している日本国民であればオマケ的に運転資格が付与され、そうでなくても十六歳以上であれば比較的容易・安価に運転免許を取得できることから……多くの人々の『足』として利用されている交通手段と言える。


 十六歳をとっくの昔に通り過ぎ、そもそも普通自動車免許を所持していること安城あんじょう雅基まさきも、そんなのうちの一人なわけだが……





「…………これ……おれ乗っていいのか?」



 日々の生活を共にしてきた愛車の前で、誰にともなく呟きが漏れ出た。




 確かに……確かに、日本国における原付き免許の制限は緩い。

 十六歳以上であるか。両眼視力が(矯正込みでも)〇.五以上あるか。赤青黄の三原色を判断できる色彩感覚があるか。その他ごく普通の運動能力や聴力が備わっているか。……確か、だいたいこの程度だったように思う。

 これらの条件を満たし、交通ルールなどなどに関する筆記試験に合格できれば、誰にでも――それこそ高校入学したての未成年の少年少女であろうとも――原付バイクを運転する免許が与えられる。


 原付バイクを運転するための条件……そこには『身長』に関する記載は、無い。

 テーマパークの絶叫マシンのように、『身長○○センチ以下は安全のため搭乗できません』なんてことは、無い。

 要は……原付を運転できる免許さえ所持していれば、たとえであろうとも運転できるなのだ。



 その一方、は安城雅基。今年で三十ニだ。

 運転免許証の交付は十二年前、普通自動車(MTマニュアル)一種、中型自動車、普通二輪車、小型特殊の免許を取得し……堂々の金枠ゴールドである。


 つまり法規的には……何も、何一つ、微塵も、これっぽちも、何の問題も無いなのだ。



 だが……実際に乗ったとして。

 万が一警邏けいら中の警察官に職務質問を受けたとして。

 であると、安城雅基(三十二歳)であると証明できるは……一体何があるというのだ。




「無いよなぁ……顔写真もなぁ……」



 自動車運転中の検問や職務質問の際、身分証明書として運転免許証を使用する際……間違いなく右端の顔写真部分と本人の容貌との照会を行う。

 容貌どころか性別どころか、それどころか見た目の年齢さえ大きく異る免許証を所持していたところで……『本人である』と認識してもらえるはずも無いだろう。

 無免許運転と判断されるのはほぼ間違いないだろうし、おまけにこの原付バイクが『安城雅基おれ』のものである以上、別人と判断せざるを得ない少女が乗っていたとあれば……そうなれば車両盗難の疑いを掛けられる恐れもある。



 しかしながら……気がついた。

 身支度にもたついていたせいで、現在時刻は既に午前〇時十五分。

 ここからの最寄り駅、烏森後輩宅方面への終電は……調べたところ、〇時〇二分。


 電車は、無い。

 バスも当然、こんな時間に走っているはず無い。

 こんな真夜中に動きづらい格好で『歩いていく』なんていう選択肢も――およそ八キロ二時間の行程をふまえると――ちょっと考えたくない。



「……どうか……バレませんように」



 自分自身は別段、違反行為を働いているわけでは無いのだ。恥じ入る必要も怯える必要も、何一つとして無いのだ。むしろ誉れある金枠ゴールド優良ドライバー様の運転が違反であるハズが無いのだ。罪深い犯罪を防ぐための労力を無罪な優良ドライバー様の邪魔に充てようだなんて、むしろそちらのほうが許されざることなのだ。全くもってその通りなのだ。



 頭の中に盛大に声援を送ってくれる齧歯類ハムスターを思い浮かべ、おれは迷いを振り払うようにヘルメットを被ったのだ。へけ。





………………………………





(…………あっ、酒)



 静まり返った幹線道路をひた進み、そういえば酒類の調達を頼まれていたことを思い出す。


 進行方向に青色看板のコンビニエンスストアを見つけ、交通ルールを遵守して自動車のほぼ無い駐車場に入り……いちおう他のお客さんの迷惑にならないよう、いつものように隅っこで原付を降りる。

 ヘルメットを脱いで代わりにフードを被り、ハンドルにヘルメットを引っ掛け、コートのポケットからスマホを取り出し、自分の現状に関して特に疑問に感じること無く、いつものように自動ドアを潜る。



(お酒、お酒……)



 入店を知らせる電子音を背に、深夜でも明るい――しかしひとけの無い――店内に足を踏み入れ、いつものように冷蔵ケースへと足を運ぶ。どうやら自分以外にお客さんは居ないようで、店員さんも事務所に引っ込んでしまっているようだ。

 こんな夜遅くに申し訳ないなと思いつつ、おれと後輩がよく飲む銘柄の缶ビールと缶チューハイを二本ずつ、計四本を抱きかかえてレジへと向かう。



「いらっしゃいま…………せ……?」


「あっ、すみま…………せ…………あっ」




 事務所のドアを開け出てきてくれた店員のおじさんの、驚き目を見開いた顔を見て。


 自分の口から自分の言葉として発せられた、耳心地よく爽やかな……しかしながら絶望的に幼気おさなげな声を耳にして。



 おれは、今のおれの状況を、今になってやっと思い出した。




「すみません、それはお酒なので……二十歳ハタチ以上のお客様にしか、お売りできないんですよ……」


「えっと……えっと、あの…………そ、そうですよね! すみません!」



 店員さんの指摘に我に返り、身を翻して来た道を引き返す。


 要は……出発前にさんざん悩んだ、身分証明の手段だ。

 おれは間違いなく三十二歳だし、とっくの昔に成人済みだし、なんならこのコンビニで酒を買ったこともある。勿論エロ本だって買える。


 ……だが、いざ身分証明書の提示を求められた場合。

 と安城雅基(三十二歳)が同一人物であると証明出来ない以上……残念だが、お酒を買うことは出来ないだろう。

 今でこそ――前髪はある程度仕方無いとはいえ――をわざわざフードで隠し、こそこそと買い物を試みているのだ。ヘタに事態コトを面倒にしてを晒すことになれば……非情に厄介なことになるのは間違い無い。


 この世界、様々な技術が発展を遂げたこの現代日本には……当然『魔法』も無ければ『エルフ』も存在しないのだ。



 ボロが出る前に、一刻も早く退散すべきだろう。ビールとチューハイを元の冷蔵ケースへと押し込み、しかし烏森後輩に頼まれた手前何も飲料を用意しないわけにも行かず……苦渋の決断としてペットボトルのりんごジュースと烏龍茶を手に取り、抱きかかえてレジへ向かう。

 明らかにこちらを注視している店員さんの顔を見ないように意識して、二本のペットボトルをカウンターへ置く。





「……お願いします。れいペイで」


「あっ、ハイ。持ち帰りですね。二点で三百六十六円です」


「はい。お願いします。レシートいいです」



 スマホの画面を読み取ってもらい支払いを済ませ、店員さんが袋詰を行ってくれている間……気のせいでは無いだろう視線をつむじのあたりに感じる。全力でそれを無視してかたくなにうつむき続け、袋詰めが終わった気配を感じたところでようやく顔を上げる。



「こっ、……こちら商品、ありがとうございました」


「はい。ありがとうございます」



 さすがに不気味な客すぎたのだろう。一瞬引きつったような顔をした店員さんに、申し訳無さが更に一段階つのる。

 レジ袋に納められた二本の飲料を受け取り、失礼にならないように軽く会釈。顔を見られないように身を翻し、逃げるようにコンビニを去る。

 そのまま駆け足で原付まで戻り、シート下の収納庫に飲料を投げ込み、急いでヘルメットを被りセルを回しスタンドを戻し発進する。ここまでなんとか平静を保てていたと思う。


 ちらりとコンビニの自動ドアを見やると……幸いにも店員さんが出てくる気配も、こちらを伺っている姿も無い。

 かといって安心できるわけでもない。レジ付近に姿が無いということは、事務所に戻り電話を掛けているのかも知れない。



 どこへ。決まっている。交番だ。警察へだ。


 なぜ。決まっている。通報するためだ。


 誰を。…………決まっている。

 深夜に徘徊し酒を買おうとする……似合わない男物のコートを着た、怪しい子どもを……だ。




(やばいやばいやばいやばい……!!)



 左に曲がって道路に出てスロットルを思いっきり捻り、すぐにでもおれを追ってくるかも知れない『何か』から逃げるように……安全地帯である烏森後輩宅目指して全速力でかっ飛ばす。



 車両の姿がほぼ無い片側三車線の幹線道路を、おれは無我夢中で走り抜けた。






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