第5話 【初回配信】おつかれさま、わたし






(……なんだ、これは)





 ここ数時間の出来事……ここ半日の出来事を、力の入らない身体で改めて思い返す。

 まるで夢や幻でも見ていたような感覚だが、疑いようのない現実であることは、配信ページのアーカイブを見るまでもなく明らかだろう。



 現在時刻は二十三時十五分。

 まる二時間ぶっ通し、百二十分に及ぶ初回生放送をおおよそ完璧に乗り切り、放送終了後の『ありがとうございました!』のお礼をSNSつぶやいたーにつぶやき終え……本番にかかわる全ての付帯作業が完了するや否や、まるで全身から力が抜け落ちる。


 頭のてっぺんから足の爪先まで全身余すところ無く疲労が貯まり、じっとりと滲んだ汗でローブがぴったりと肌に張り付いている。

 椅子に座る気力さえ今は湧かず、床に仰向け大の字に倒れ込み、ひんやりとした床の温度を背中と尻に感じながら、身体の熱を排すべく荒い息を整える。




(なんだ……これは……!)




 まる二時間動き続け喋り続けた疲労よりも、汗をかき着衣が張り付く不快感よりも……初放送をやり遂げた達成感が、我が愛娘の生誕を祝福出来たことが、多くの人々に『木乃若芽ちゃん』を受け入れてもらえたことが、今は何よりも嬉しい。


 硬い床に寝そべりながら寝返りを打ち、汗ばんだ腕を伸ばしスマホを手に取り、震える指で『木乃』『若芽』と検索エゴサすると、そこには望んだ光景が…………いや、望んだ以上の光景が広がっていた。

 配信サービスユースクリーンの配信アーカイブから放送中に寄せられたコメントを引っ張り出しても、これまた同様。ファイルを開けば画面を埋め尽くす程に涌き出る数え切れないほどのテキスト。なんと驚くことに、そのほぼ全てが好意的なコメントなのだ。



 キャラクターの構想を練り、イラストを発注し、多くの人々の助けを得て、ついに陽の目を見ることが出来た。


 他でもない自分達が生きるこの世界に、『木乃若芽ちゃん』というキャラクターを送り出すことが出来た。


 計画を立ち上げてから一時も欠かさず切望していた通り……多くの人々に愛され、とても多くの好意を賜ることが出来た。





 …………の、だが。






「なんなんだ……!! これは!!!」





 ひと山越えて、冷静さを取り戻したところで……自分の身体に生じた異変を、改めて認識せざるを得なくなる。



 汗を含み首筋に張り付く、滑らかで長い翡翠色の髪は。


 横向きに寝そべる今、違和感を感じずに居られない長い耳は。


 僅かとはいえ重力の影響を感じる、妙な存在感を伴う脂肪の重みは。


 逆に……大切な息子を喪った脚の間の、この筆舌尽くし難い喪失感は。


 そして何よりも……呼吸を行うがごとく、言葉を紡ぐがごとく、手足を運ぶがごとく、、『使は。



 気の迷いでも妄想でもない。単なる思い違いでも勘違いでもない。

 さも当然と言わんばかりに。至極真っ当な常識だとばかりに。使のだということが、本能的に理解できる。

 使い方も。効果も。その魔法の長所も短所も。何十何百という膨大な『魔法』の全ての情報が、常識外れの『魔法』の知識が……さも当然のように頭の中に入っているのだ。




「えーっと……こほん。じゃあ……【浮遊シュイルベ】ぇええ嘘ぉおお……」



 手法プロセスに則り、魔力を練って式を整え発現条文スペルコードを唱えれば……さも当然とばかりに効果を表す。

 横向きに寝そべった体勢のまま身体はふわりと浮かび上がり、長い髪が重力に反して靡く感触が何ともこそばゆい。

 寝そべったままあれこれ試し、この【浮遊シュイルベ】の効果のほどを確認する。GL高度基準からの垂直距離を自在に変更したり、浮上したまま今度は水平移動してみたり……これらの応用知識を含む『魔法』の知識が、ただ一つの例外無く『正確な情報である』ということを、改めて実感してしまう。


 それにしても、ぷかぷか浮かぶのって気持ちいいな。首や腰はもちろん、身体のどこにも負荷が掛からない。マットレス要らずか。これは癖になりそうだ。






「……じゃなくって!!」



 がばっと起き上がり、頭をぶんぶんと振る。長い髪がさらさらふわふわと舞い……日本人離れした容姿となってしまったことを、改めて実感させられる。



 もう……どうしようもない。現実逃避のしようもない。から目を背けることなど、そもそも出来るわけがない。



 ああ、そうとも。もう認めよう。


 おれは……俺の身体は。

 仮想配信者URーキャスター活動における『肉体』として、キャラクター設定を詳細に作り込みしていたアバターへと――




 幼いエルフの少女『木乃きの若芽わかめちゃん』そのものへと、変貌してしまっていたのだ。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る