第3話 サンタクロースもいると思っていた
どうやって魔法降ろしの鳥を見つければいいのか、私には見当もつかない。言うまでもなく、魔法降ろしの鳥は私が作り上げた架空の鳥で、もちろん現実には存在しない。かおるは、強く願えば見つけることができると言った。しかし私には強く何かを願うということすら、なんだったのかよく分からなくなっている。
私は家に帰り、カバンを置き、ベッドの上に座った。天井を見ながら、魔法降ろしの鳥について考えた。中学1年生の私にあった、独自のユーモアであり架空の鳥。なんだか図鑑みたいだ。
「名前 魔法降ろしの鳥」
「生息地 心の中」
「説明 中学1年生の私にあった、独自のユーモアであり架空の鳥。現在は存在しない」
図鑑の横に載っている魔法降ろしの鳥の写真だけ、ぼんやりとしていてうまくイメージできなかった。架空の鳥なので仕方がないか、と私はベッドの上に横になりながら思った。ベッドの上に横になって目を閉じていると、様々な思考が回転木馬のように頭の中を回った。たいていは考えてみても答えが出ないようなことばかりで、そんな思考が私の頭を支配しているのだと思うと、私は苛立たしく感じてきた。
ベッドの上で目を閉じていることに疲れてきたので、散歩に行くことにした。家族にちょっと散歩に行ってくるねと言って家を出た。しかし私はなんにしても目的がないとうまく行動できない人間なので、コンビニへ行こうかと思った。コンビニで気の利いたほうじ茶を買おう。でも時刻は午後17時30分で、家から一番近いコンビニは学校の近く。学校の近くにあるコンビニへ行くと、部活動帰りの同級生に出くわしてしまう可能性があった。小さな学校なので、みんな顔見知りなんだ。みんな私のこともよく知っている。頭を持った佐々木は、いいんだよ、あなたは部活をやっていないんだから。そんなこと、気にすることない、と言っている。しかし心を持ったあかりは、嫌だ、同級生と会いたくない、と言っている。私は心の意見を尊重し、学校とは別の方向へ足を向けた。
学校と別の方向は、私が昔通っていた小学校の方向だった。その小学校は、私の今通っている学校の全校生徒よりも何倍も多い学校だった。私はその小学校での思い出が全然思い出せない。なにかあったとは思うが、あるいはなにかあったと思いたいが、思い出せるのはその学校の風景や登校時に学校の門に集まるたくさんの小学生の背中くらいだった。その小学校の方向へ行くのはすごく久しぶりのことだった。だから、私は少しだけ緊張しながら歩いていた。
小学校の近くに小さな駄菓子屋があった。古くて小さくて、いつやっているのかすら分からない駄菓子屋だったが、小学生だった私は時々その駄菓子屋へ行って、1つ10円ほどで買える小さな容器に入ったクリームのようなものを買っていた。小学生の私はそのクリームが好きだった。ちょっとした贅沢をしているような気分で、幸福な気持ちになっていた気がする。私はやたらとその駄菓子屋に行きたくなったので、18時くらいには家に帰っておかないといけないから少しだけ早歩きで駄菓子屋へ向かった。
その駄菓子屋はやっていた。いつやっているのかすら分からない駄菓子屋だったので、今日やっていなかったらどうしようと思っていたが、やっていて安心した。しわで目が細くなった70代くらいのおばあさんが、私が入ってきたことを目だけを動かして確認した。同じおばあさんだ。小学生の時によく来ていた佐々木あかりだということは分からないみたいだった。そのことに私は少しだけ残念に思ったが、まあ仕方がない。なにしろ3年以上も前のことだ。それにしても私みたいな中学生が来るのは珍しいことだと思うが、その目からはどう感じているのか分からなかった。
私は小学生の時の記憶と連動させながら、その駄菓子屋のにおいや音、空気を感じた。かびと木のにおい、歩くとギシギシと音が鳴る床、色で表すとしたら茶色っぽい空気。当時と何も変わらない。なつかしさに、私は少しだけ目が熱くなった。
クリームはまだあった。私はそれを手に取り、そのおばあさんに渡した。10円玉を出そうとしたら、そのおばあさんは首を振った。別にお金なんていいんだ、ということらしい。私は無言で頭を下げ、クリームを手に取り外に出た。
落ちていく太陽を見ながら、そのクリームを食べることにした。小学生の時も、そうやってそのクリームを食べていたからだ。給食でヨーグルトやプリンが出てきたときについてくるスプーンのような木製のスプーンで、クリームをすくい口に運んだ。
私は首を傾げた。美味しくもないし、まずくもない。無だ。好き、嫌いの間に存在する、興味がないみたいな味がした。小学生の私は、それを美味しそうに食べていた。でもいまは、それを口に運んでも何も感じなくなってきた。
私は胸が痛くなってきた。駄菓子屋も、クリームも、何も変わらない。ただ変わっているのは私だけ。純粋な心を失ってしまったように感じた。時の流れの残酷さを感じた。私はもう、変わってしまったんだ。
途中まで食べたクリームを地面に捨て、靴で踏んでつぶした。その潰したクリームをポケットに入れて、家に向かって歩き出した。家に向かって歩いている間、私は何も考えていなかった。無だ。
家に帰って私が最初にやったことは、魔法降ろしの鳥について考えることだった。なぜだか分からないけれど、魔法降ろしの鳥について考えないわけにはいかなかった。私が今やるべきことは、受験勉強でもなく、同級生との恋愛でもなく、魔法降ろしの鳥について考えることだ。みんながあくせくペンを走らせながら勉強をしていても、最後かもしれないという焦りに襲われながら必死で自分の想いを相手に伝えようとしていても、魔法降ろしの鳥について考えることは私にとって自然で必要なことのように感じたので、悲しさや後ろめたさみたいなものはなかった。頭を持った佐々木も、順序立てて説明しようとせず、とにかくこれはいまの私にとって大切なことなんだと理解し、心を持ったあかりと一緒に魔法降ろしの鳥について考えていた。
「魔法降ろしの鳥って一瞬しか見えないから、見逃すと再びお目にかかれることはそうそうないの。でも問題は、その鳥がいつどこに現れるか分からないことなんだ。だから私はいつも入学式や大事な約束の前に、必ず魔法降ろしの鳥を探しに行くんだ。そうすれば、どんなに大変なことが待っていようと、その瞬間だけは何もかも忘れられるからさ」と少し前に私はかおるに言った。
確かに魔法降ろしの鳥を再び見ることは難しいかもしれない。2年は長い年月だ。では2年前、魔法降ろしの鳥がまだいた時代には、私はどんな人間だったのだろう?
2年前は、私は中学1年生だった。小学6年生のころから、私は小学校というものに飽きていて、新しい環境での生活を望んでいた。中学校にはどんな素敵なものが待っているのだろう?青春、友情、そして恋愛。それらの夢と希望を抱きながら、私は中学校に上がった。
小さな学校というのは、私が望んだことだった。小学校が大きかったので、そこでの人間関係や、学校のざわめきが、私にはかなりしんどかったからだ。静かで小さな学校で、静かに青春を楽しみたいと考えていた。
特別支援級というのは、私が望んだことではないが、特に意義はなかった。それは心の繋がったカップルに、物理的な距離は関係ないように、特別支援級なんて、何の壁にもならないだろうと考えていた。
そして中学校に上がった最初の日に、中学1年生全員で自己紹介をした。7番目の私は、そこで魔法降ろしの鳥についてみんなに話した。趣味は魔法降ろしの鳥の観察です、って。ひょっとしたら、最初の一日のその自己紹介が、私の中学校生活を決定付ける大きな分岐点だったかもしれない。変わり者扱いされ、視線が気になった。視線というのは、私の思い込みかもしれない、と私は思った。私は特別支援級に通いながらも、通常クラスで同級生と会話をしようとしていた。しかしみんな、みんな私に対して遠慮がちに接してくる。私が話しかけもそうだ。3年近く同じ小さな学校で過ごした近藤ですら、まともに会話ができない。今日の出来事が改めてそれを教えてくれた。みんな私のことに慣れている、時々話しかけてくれる、でも友達にはなれない。それが私にとってつらいことだった。
まるで現実みたいな現実だ、と私は思った。期待してがっかりする。
魔法降ろしの鳥が私の心の中からいなくなったのは、最初の自己紹介の失敗からかもしれない、と私はいまになって思った。魔法降ろしの鳥なんていう架空の鳥について話すからいけなかったのかもしれない。少なくとも、中学生のときに話すべきことじゃなかったんだ。私がまだ小学生なら、許されていたのかもしれない。けれど中学生になって、みんなある程度現実というものを知った。幻想の世界なんて存在しない。正しいのは常に目に見ている現実だということが、中学生のみんなには分かっていた。でも中学生に上がった最初の日の自己紹介まで、私にはわからなかった。
魔法降ろしの鳥がいた私と、魔法降ろしの鳥がいない私の違いは、現実を知ったかどうかという点かもしれない。それまでの私は、幻想の世界を信じていた。もっと素敵な世界が、現実にはあるんだと本気で思っていた。サンタクロースもいると思っていた。でもそんなものは、実際にはいない。
私はかおるのことを思った。かおるは幻想の世界を信じているのだろうか?もしかおるが幻想の世界を知っているとして、私は彼女にそんなものは存在しないんだと言えるだろうか?
言えるわけがない。
美しい川のようなかおるの純粋な心を、コンクリートで埋めるかのように失わせるわけにはいかない。
小学生の時によく聴いていた音楽に、耳を傾けてみた。私は音楽をあまり聴かないが、小学生の時はよく聴いていた。ポップスやヒップホップなど、そういった音楽を聴いていた。しかしいまの私には、小学生の時に好んで耳を傾けていたポップスやヒップホップなどの、いわゆる名曲とよばれる曲たちを聴いても、何も感じることはなかった。好きでもない、嫌いでもない。無だ。でもそれらの曲は、いろんな人たちから愛されて、名曲と呼ばれて生き残っている。変わっているのは私だけ。それは私に身近な人が死んだ経験のある人間を思い起こさせた。死んだ人間は若いままだけど、生き残った人間は歳をとり続ける。
21時になって、私は電気を消してベッド横になり、枕に顔を埋めた。真っ暗な視界は私を落ち着かせてくれる。正しいとか、正しくないとか。変わってしまったとか、変わっていないとか。そういったものは、暗闇の中では関係がない。暗闇は、どこまで行っても暗闇だ。死んだ人間に0も1もないように、本当の暗闇にも0も1もない。
枕から顔を上げ、思いっきり息を吸った。冷たい空気が私の肌を刺す。使いすぎて熱くなったパソコンの電源を落としたときのような気分になった。
目を閉じ、駄菓子屋とそこにいるおばあさん、クリームと音楽と死んだ人間について思った。かおると美しい川について思った。魔法降ろしの鳥がいた私と、いまの私を思った。
魔法降ろしの鳥を見つけよう。なにがなんでも。それを見つけ出さないことには、私の失われた感情を取り戻すことができない。
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