第2話 最後に何かを強く願ったのはいつだろう?

 時々、自分の見ているこの一人称という視点がよくわからなくなる。手が見えて、顔は見えないこの視点が正しいのか。だから私は、なんか落ち着かなくなったとき、押し入れの中に毛布をかぶって入り、暗闇に身を置いている。そうすると一人称の視点とか全く関係ないので、正しいとか正しくないとか、そういったことは考えないですむ。私にとってそういう状態が、自分を保つために必要なことなのかもしれない。

 もうひとつ、私にはよく分からないことがある。それは鏡に映る自分がはたして本当に正しい自分なのかどうかということだ。鏡の前に立つと、そこには私の姿が見える。でもそれが本当の私の姿なのか、確信を持つことができない。人間の作った物で、人の外見を映すことができるのか。確信を持つことができないし、まったく証明もできない。なぜかというと、私たちの見ている視点というのは一人称で、顔を見ることができない視点だからだ。一人称というこの視点が正しいのかどうか分からないのも、おそらくそのせいだ。まったく証明ができないというものが、私を落ち着かない気持ちにさせる。写真に写る自分にも、疑問を抱いてしまう。

 そんな時に私がどうするかというと、あえて鏡の前に立って、自分の姿をまじまじと見つめる。鏡には佐々木あかりという人の姿が映されている。特に美人というわけでもないし、かおるみたいに不思議な魅力があるわけでもない、平凡な顔だ。ところどころにニキビもある。中学生だから仕方ないけど、ちょっと気になる。髪の毛は肩くらいまでのカットにしている。あまり食べないし運動もしないから、筋肉もなく痩せすぎている。鏡に映る自分に対して時々話しかけてみたりもする。

「佐々木あかりちゃん、元気している?」

 もちろん返事はない。

 なんでそんなことをするのかというと、多分自分の姿が好きなんだと思う。平凡な顔で、ニキビもあるけど、なんやかんや言って自分の姿が好きなんだ。みんなから受け入れられていないかもしれない、友達もいないかもしれない。でも、自分が一番正しくて、一番好きだ。

 しかし鏡の前に立って、どれだけ自分対してポジティブな言葉を投げかけても、学校という環境において、私はどうしようもなく自信を無くしてしまう。それは学校に友達がいないのもそうだし、学校という環境が私の肌には合っていないみたいで、学校にいるだけでネガティブになってしまう。


 給食が終わり、休み時間になった。ままでに728回くらい考えたであろうことを、今日も支援級の窓の外から3年生の教室を眺めながら思う。もちろん、かおると同じ歳だったらな、ということだ。彼女と私は、きっと仲のいい友達になれるだろう。なのに時間の圧力によって、私たちは別々の学校にいて、会えるのは休みの日くらい。そこで会ったらお互いに、溜まったストレスを穴に向かって全力で吐き出す青春小説の主人公のように、あるいは満たされていないお腹を満たすためにガツガツと食べる育ち盛りの中学生のように、私たちは熱心に語り合う。私は3年くらい歳の離れた、しかも小学生を相手に、自分でもあとから情けなくなるくらいいろんなことを語る。彼女もいろんなことを語る。ひょっとしたら、彼女も友達がいなくて、その穴を埋めるために私みたいな年上の人と熱心に語るのかなと思う。もちろんそんなことを口には出さない。私としては、彼女に友達がいようがいなかろうが、どっちでも構わない。私との関わりをやめさえしなければ、と思って私は手のひらで頬を叩いた。

 いつまでも支援級の窓の外から3年生の教室を眺めているわけにもいかないので、私は図書室に行く。図書室といっても本を読むわけではなく、その図書室という空間に身を置くだけだ。図書室の空気や音、においは、私の心を落ち着かせてくれる。私はそんなに熱心に本を読む人じゃないけれど、図書室や図書館にはよく行く。よく来るのになにも本を借りない私に対して、図書館の司書は疑問を持っているかもしれないが、まあいいや。

 図書室で心を落ち着かせて、私は3年生の教室に向かう。特に用があるわけでもない。私は2年生の後半あたりから、ちょっとずつ同級生とコミュニケーションをとる練習をしているんだ。他人に依存してはいけない。というのが、私の人生における大きなモットーの1つである。私から話しかけないと、彼ら彼女らは私に話しかけてくれない。

 3年生の教室で、とりあえず自分の席に座る。一応、3年生の教室にも私の席はある。そこには3年生の教室で行われた授業で使われたプリントが入っている。私は基本的に支援級で授業を受けて、時々3年生の教室でも授業を受けるといった感じなので、気づかないうちにプリントがたまっているということもよくある。

 周りを見て、話しかけられそうな人を探す。1人だったり、暇してそうな人じゃないと、私はうまく話しかけることができない。1人で席に座って、宙を睨んでいる近藤という男の子に話しかけようと決めた。話したいことがあるから話すんじゃなくて、話したいから話すというのは、やりたい仕事があるから起業するんじゃなくて、起業したいから起業するみたいだが、私はそうもしないと人に話しかけることができない。というか、彼ら彼女らと私の間に、共通のテーマというものは存在しない。

「なんか最近、面白いことあった?」と私は言った。私が同級生に対してよく言うセリフだ。共通のテーマがないから、私はとりあえずいつもこう聞いている。同級生と話すには、少し違和感のある会話の始め方だが、まあ仕方がない。もともと会話をする理由も違和感があるんだ。

「え、ないよ」と近藤は歯切れのいいピアノ演奏みたいに言った。

 私は黙ってしまった。次に言う言葉が見つからない。ほかの人に話しかけたときは、いつもなにかしら情報はもらえる。寝てたとか、忘れたとか、おそろしく少ない情報だが、それでも私はそこから何かしら話を広げようとする。でも、今回は何の情報ももらえなかったので、次に言う言葉が見つからない。

 いつも、30秒くらいで返事をできるように心がけている。そうもしないと、私みたいな友達でもない人よりは、友達と話したいと彼ら彼女らは思うので、急いで返事をしないとすぐどこかに行ってしまう。私は近藤の顔を、まだ会話は終わっていないよと言うように見つめながら――ひょっとしたら睨んでいるかもしれないが――、次に言う言葉を探していた。タイムリミットまで、1秒、また1秒と進み、迫っている。タイムリミットに近づくにつれ、私は焦ってしまい、余計に見当違いな言葉が浮かんでくる。近藤、お前は他の男の子とくだらないことでわいわい騒いで、他の女の子には下品な言葉を投げかけ下品な笑い方をするくせして、私の前ではなぜそんなに遠慮気味になる?と、勝手にそんな言葉が思い浮かび傷ついた。近藤はやや眉をひそめて私の顔とはちょっとずれた方向を見ていた。やがて諦めたかのように、あるいは居心地が悪くなって、近藤は教室の外へ出た。

 私はため息をついて周りを眺めた。全校生徒が少ないので、教室には私しかいなかった。休み時間なので、多分みんな外へ行ったりしているのだろう。教室の壁には、同級生の習字の作品や目標などを掲げた紙が貼ってあった。私は同級生が掲げている目標の紙を眺めた。3年生なので、大抵は受験やら勉強の話が書かれている。私ならなんて書くかな?と思った。

 「3年生 7番 佐々木あかり」

 「1年の目標 みんなと仲良くしたい」

 「生活面の目標 コミュニケーションをとる」

 「学習面の目標 みんなと同じ授業に参加したい」

 「みんなにひとこと 最後の1年間、よろしくね」

 壁に貼ってある目標の紙は、1番から6番まで貼られていて、一応あるけれど何も書かれていない空白の7番があって、最後に8番と9番がある。7番はもちろん佐々木あかり、私だ。私以外の誰もいない教室の窓からは、給食後、午後13時30分の太陽の光が、まるで過去の回想のように差し込んでいる。私はその温かな光の中に身を置き、空白の7番を見つめていた。なにか考えていると思うが、何を考えているのか自分でもよく分からない。


 午後の16時30分、学校が終わり、私はカバンを背負って帰ろうとする。私はみんなと会いたくないから、別の道を通って学校を出ている。なぜ会いたくないのかというと、みんな部活をやっているからだ。小さな学校だからよく分かるのだが、この学校で部活をやっていない人は、多分私だけで、ほかのみんなは部活をやっている。別に部活は強制じゃないし、やりたくなければやらなければいい。それに、私はとてもみんなとチームで部活動なんてできる気がしない。みんな部活をやりたくてやっているのだし、私はやりたくないから帰るんだ。それでいいんだよ。と私は頭の中でそんなことを考えながら学校を出た。

 私は、心と頭は全く別のものなんじゃないかと思っている。中学生の私が持っている言葉では言語化できない種類の物事なのだが、私の中には私が2人いて、それぞれ別のものを持っている。片方は頭を持っていて、もう片方は心を持っている。分かりやすいように、頭を持った私を佐々木、心を持った私をあかりとしよう。そんな2人の私は、同じ情報を受け取っても別のことを考える。例えば「1+1=2です」と先生に言われたとしよう。頭を持った佐々木はりんごを2つ用意して、1つのりんごにもう1つりんごを加えたら、確かに2つになるな、と考え納得する。心を持ったあかりは、「いや、1+1は2なんかじゃない。私は1+1と聞いて、答えはべつのものだと感じた」と言う。頭は1つ1つ、これがこうなってこうだからこうだと順序立てて理解する。それに対して心は感じたままに理解する。その違いから、私は心と頭は全く別のもので、私の中にいる2人の私がそれを扱っているのだと思っている。

 つまり何が言いたいかというと、頭で部活は強制じゃないし、やりたくなければやらなければいいと考えていても、心は後ろめたさを感じる。だから私はみんなに会いたくない。別の道を通って学校を出る。


 下校中、かおるに会った。私がやや目線を下に向けながら歩いていたので、最初は誰かが私の前に現れたなとしか感じなかった。かおるは曲がり角からひょこっと現れ、後ろに手を組み、やさしい笑みを浮かべて私の前にやってきた。

「かおるちゃん、こんなところで会うなんて珍しいね」と私は言った。

「なんか今日はまっすぐ帰りたくない日なの。学校では決まった道から帰らないといけないって言われているんだけど、時々こうやって別の道を歩いて帰ると楽しいよ」とかおるはにこにこしながら言った。

「楽しいだろうね。でも私は先生に怒られるのが怖くてできないな」と私も微笑みながら言った。

「中学校の先生は、小学校の先生よりも怖いだろうね」

「そうかなぁ、そうかもしれない」と私は言った。

 私達はふたりで並んで歩いた。誰かと並んで歩くことは、私の心温め幸福な気持ちにさせてくれた。たとえそれが3歳も年下の小学生でも。

「ねぇ、あなたが魔法降ろしの鳥を最後に見たのはいつ?」とかおるは聞いた。

「2年前」と私は答えた。

「2年も前なの?」とかおるは言った「それからずっと見ていない?」

「見ていない」と私は答えた。

「探しに行きましょうよ、魔法降ろしの鳥を」とかおるは言った。

 私は困ってしまった。

「ごめん、かおるちゃん。魔法降ろしの鳥は、私が作り上げた架空の鳥なの」と私は割れやすいガラスの靴を扱うみたいに、慎重に言った。

「そんなこと、最初から知っているわ。魔法降ろしの鳥なんて現実には存在しない。でも、あなたの中にはいた」とかおるは、なんでもなさそうに言った。「あなたも、また魔法降ろしの鳥を見たいでしょう?」

「うん、見たい」と私は認めた。「でも一体、どうやって探せばいいんだろう?」

「願うのよ。とても強く。そうしたらきっと、魔法降ろしの鳥も見つけられるわ」

「願う……」と私は言った。

 願うという響きが、私は久しぶりに聞いたような気がする。最後に何かを強く願ったのはいつだろう?七夕の短冊に願いを書くのも、なんとなく子供っぽさというか、恥ずかしさみたいなのを感じてしまい、私は2年くらい前から書いていない。

「今度の休みの日に、会いましょう、一緒に、魔法降ろしの鳥を探すのよ」とかおるはにっこり微笑みながら言った。

 なんて素敵な笑顔なんだろう、と私は思った。こんなに透き通っていて、純粋な笑みは、私にはとてもできない。私の笑みは、どことなく機械的でぎこちない笑みだ。そんな笑みを見ていると、私はまた、哀しくなった。ふと、失いたくない、と思った。

「うん」と私は言った。

「さて、そろそろ帰らないと、別の道で帰ったって疑われるから。じゃあね、あかりさん」とかおるは言った。

 私は手を振って見送った。かおるの体が遠く小さくなっていくにつれ、私は自分がどこかの知らない町で、ひとりぼっちになったような気分になった。だんだん空が暗くなり、どうやって帰ったらいいのかわからない。泣こうにも泣くことができない。そんな気持ちになった。私は一体、あの女の子に何を感じているのだろう?

 比喩的な意味ではなく、私たちの現実の世界で空が暗くなってしまうので、私は家に向かって歩いた。なにかを願うってなんだろう?そんなことを考えながら。

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