架空の鳥を追いかけて

ねじまき

第1話 確かに最近、全然夢というものを見ていない

 「私の名前は佐々木あかりです。趣味は魔法降ろしの鳥の観察です」と私は中学校に上がって最初の日、何を思ったのかみんなの前でこのように自己紹介をした。魔法降ろしの鳥というのは、その時の私の中にあった独自のユーモアで、架空の鳥のことだった。当然、みんなの頭の上にははてなマークが浮かんでいた。「魔法降ろしの鳥ってなんですか?」という質問すらこなかった。そのことに、当時の私は少なからず残念に感じていた気がする。

 中学校に上がって最初の日に行われた、クラス全員の自己紹介は退屈だった。みんな同じようなことしか言っていなくて、私はあくびを抑えるのに必死だった。五十音順で佐々木である私は、比較的早い段階から自己紹介の順番が回ってきた。それまで6人が自己紹介をしたが、雑に書いた数学のノートの前のページと後のページの違いが分らなくなるように、その6人の自己紹介の内容の違いが、私にはわからなかった。だから、私がここで面白い自己紹介をし、流れを変えようとしたんだ。私のあとに2人しか残っていなくても。そんな自己紹介をしたからかはわからないが、私はみんなからちょっと変わり者扱いされるようになったしまった。なんというか、みんな私のことに慣れている、時々話しかけてくれる、でも友達にはなれない。それが私にとってつらいことだった。私と友達になれないのなら、私という存在に慣れないで。最初から話しかけないで。

 

 私の通っている中学校は、全校生徒が数えられるくらい少ない、小さな学校だった。学年に組はなく、1年生は1年クラス、2年生は2年クラスといった具合で、あとは音楽室やら理科室やらがある。しかしそういった学年のクラスとは、まるで物語の直線上にはみ出した登場人物やエピソードのように、ポツンと別のクラスがある。それが私の通っている特別支援級だ。私は細かいことまでは分からないし知りたくもないけれど、親によると私には特性があるらしく、普通の学年ではうまくやっていけないだろうということで、支援級に進められた。特に異議はなかった。でも私は自分に特性があるというのがよく分からない。みんなでスターバックスに行って気の利いたドリンクを買うのは性格的に合わないだろうとは思うけど、私はごく普通の女の子だと思っている。それは支援級に通っている今も変わらずそう思っている。私は普通の女の子だって。しかし客観的に、正しいのは親かもしれない。

 

「魔法降ろしの鳥ってなんだろう?」とかおるが聞いてきた。

 なんで魔法降ろしの鳥の話になってしまったのか、よく分からない。中学3年生になった私としては、昔の自分にあった架空の鳥のことなんて忘れてしまいたかった。それはちょうど、若い時の恥ずかしい記憶を照れ臭そうに話す大人のようだった。そう、照れ臭そうに話す大人。彼ら彼女らは、「恥ずかしいよ」なんて言いながらも、心の底ではそれを話すことを求めているのだ。そんなわけで、私も魔法降ろしの鳥について忘れてしまいたいという気持ちもありながらも、本当は語りたいという自己矛盾に苦しめられながら、慎重に口を動かした。

「魔法降ろしの鳥はね、読んで字のごとく、魔法を降ろす鳥なんだ。魔法降ろしの鳥は、普段は人前に顔を出さなくて、みんなの見えないところでギリギリ、ギリギリって鳴いて、魔法を降ろしているの」と私は、40秒くらいかけて、飲み込みにくい食べ物を咀嚼して飲み込むかのように、ゆっくりと口を動かして語った。

 かおるは小学6年生の女の子だ。彼女も私と同じように、全校生徒が数えられる程度の小さな学校に通っている。彼女は見るからに知的そうな細い、けれど不機嫌そうには見えない不思議な目をしている。眼鏡をかけていて、時々フレームを2本の細い指でカチッと押さえる仕草が印象的だ。髪は後ろに結んでいる。彼女の不思議な目で見つめられると、同じく女の子である私ですら、魔法に包み込まれているかのような不思議な気持ちになり、うっとりする。もっと大きな学校だったら、たくさんとまでは言わなくても、その独特な魅力に惹かれた男の子たちが、何人か現れることだろう。そんな男の子たちを、彼女はクールに受け流すのだ。でも彼女の通っている学校には、同じ年齢の男の子がいない。それに対して彼女がどう思っているのか、私には当然分からない。

「そんな鳥、知らなかったな」とかおるは言った。

「魔法降ろしの鳥って一瞬しか見えないから、見逃すと再びお目にかかれることはそうそうないの。でも問題は、その鳥がいつどこに現れるか分からないことなんだ。だから私はいつも入学式や大事な約束の前に、必ず魔法降ろしの鳥を探しに行くんだ。そうすれば、どんなに大変なことが待っていようと、その瞬間だけは何もかも忘れられるからさ」と私は言った。

 かおるは何かを考えているかのようにうつむき、やがて顔を上げこう言った。

「素敵な世界ね」

「とても素敵よ。私たちが足をつけているこの世界よりも、ずっと美しくて魅力的な世界。花は咲き、人々は踊り、鳥は魔法を降ろしている」と私は言った。

 まったく、私は3年も年下の相手、それも小学生に対して、何を語っているんだ。かつての自分の中にあった架空の鳥の話をして、最後には私たちの住んでいる世界を批判した。彼女が熱心に耳を傾けるものだから、勢いにやられて語ってしまった。本当に、若い時の恥ずかしい記憶を照れ臭そうに話す大人のようだった。心の底ではそれを話すことを、私は求めていたんだ。

「私もそういう世界に行きたいな」とかおるは言った。私は、眼鏡のフレームを2本の細い指で押さえながら、分厚い小説を読んでいる彼女の光景が浮かんだ。

「そういう世界って、無いように見えて有るし、有るように見えて無いものよ。私の言いたいことって、難しい?」と私は言った。

「なんとなく」

「無いように見えて有るっていうのは、つまり現実に幻想の世界はないと見えるけど、意外といろんなところにあるの。本とか、音楽とかね。あなたの心の中にもあるかもしれない。私にはないけれど。有るように見えて無いものっていうのは、実際にその世界の地に足をつけることができないっていうこと」

 かおるはまた、何かを考えているかのようにうつむき、やがて顔を上げこう言った。

「いや、実際にその世界の地に足をつけることはできるわ。比喩的な意味じゃなくて」

「そうね、そうかもしれない」と私は言った。

 空が暗くなってきたので、その日はかおると別れた。じゃあねと言って、私はぎこちない笑みを浮かべながら手を振った。かおるは、まるで天然水のような、透き通った純粋な笑みを返してきた。なんでか分からないけれど、私はそんなかおるの顔を見ていると哀しくなってきた。悲壮のほうの悲しいじゃなくて、哀愁のほうの哀しいと、その時私は感じた。涙が出てしまいそうになったので、私は振り向いて、帰るべき場所に向かって歩いた。

 

 かおると私は、学校のイベントで知り合い仲良くなった。多分、地域をきれいにしようみたいな、掃除のイベントだったと思う。そこで私と彼女は知り合い、お互い小さな学校に通っているという共通点を見つけ、仲良くなった。でも私が彼女に対して好意を抱くようになったのは、お互い小さな学校に通っているという共通点からではなく、真面目そうに見えてちょっと不思議なところがあるというところだ。言い換えるならば、ちょっと変わっているのかもしれない。こんなエピソードがある。

「今日変な夢を見たのよ」とかおるは言った。

「どんな夢なんだろう?」と私は尋ねた。

「なんかね、ただひたすらに池を泳ぐっていうだけの夢なんだけど、なんだか印象に残っているの。私はその池を泳ぎながら、なにかを求めて泳いでいるっていうのが直感で分かったわ。そこでの音とか感触とか、水の冷たさとかをよく覚えているわ。前を向いたら浜辺が見えてね、そこが私の目的地だってことも分かった。一体なにがあるのだろうとわくわくしていたら、そこで夢から覚めちゃった。目が覚めてがっかりしたけれど、ひょっとしたらこの夢は私自身のなにかが呼び起こした夢なのかもしれないって思って、紙にその夢の内容を書き出したわ。シャーペンの芯くらい細かく。私が気づいていないけど心の底で感じている感情を、その夢から読み取ることができると思ったの。カウンセラーと話していたら、自分の感情に気付くように」

「それで、どうだった?読み取れた?」

「まだ読み取れていない」とかおるは首を振りながら答えた。

「あなたにとって夢というのは、大きな意味を持つものなのね。きっと」

「そうね。あなたは最近、なにか面白い夢見た?」

 私はしばらく頬に手をあてながら考えた。

「特に面白い夢は見ていないわ。というか、最近はほとんど夢を見ていないかも。もし見ていたとしても、多分忘れちゃってるな。私にとって夢は、そんなに大きな意味を持たないのかもしれない」と私は言った。

 その時私は、確かに最近、全然夢というものを見ていないなと思った。なんでだろう、よく眠れているのかしら。昔は夢とか結構見ていて、楽しんだり、怯えたりしていたような気がする。そんなことを考えていた。


 かおるが私と同じ歳の女の子だったらな、と私はよく思う。もしそうだったら、彼女と中学校でも会えるし、歳の差から生まれるちょっとした壁みたいなものをないのに。彼女は私に対して丁寧だし、私は彼女に対して、どうしても私のほうがお姉さんという意識が生まれ、しっかりとしたことを言わないと、と思ってしまうところがある。そういうちょっとした壁みたいなものをなくすことができたら、どんなに素敵だろう。

 あるいは、私がそう思ってしまうのは、中学校に友達がいないからかもしれない。私は支援級の窓から、普通級でわいわい話している同級生を見てため息をつく。みんな私のことに慣れている、時々話しかけてくれる、でも友達にはなれない。それがつらいから最初から話しかけないで、なんて思っているけれど、私はやっぱり友達が欲しい。コンビニでいま流行りのスイーツを買って、誰かの家に行き喋りながら食べたりはできないかもしれないけれど。私にできることは、家から持ってきた温かいほうじ茶を飲みながら、2人で並んで海を眺めている程度のことだけかもしれない。そんな私を受け入れてくれる人は、この小さな学校にいるのかしら。小さな学校だから、みんな仲のいい人同士で集まったグループみたいなのができあがっていて、私はそこに入れそうにない。私は中学3年生。もう卒業が近い。私の中学生活が終わるまでに、誰かと友達になれるだろうか。

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