34 ナカガワミオ

どうする、俺。

目の前にはこのドラマの悲劇のヒロイン、美緒。

向かい合うのは、事件の事はもう終わったこととして、エンディングのことばかり考えているダメ男、山本兼一、つまり俺だ。

一体、どうすればいいんだ。


「ねえ、研一くん」


不意に美緒が話しかけてきた。

アーモンド形の目に、意志の強そうな眉。

怒っているように見える気の強そうな表情。だけど笑うと、世界中が光に包まれるような、幸せな気分になるその顔。

ちくしょう、やっぱり可愛いぜ。


「研一くんは、私に聞いてくれないんだね」


何の話だ?何かを聞いて欲しいのか?

でも、彼女が何を聞いて欲しいのか全く思いつかない。


「聞いて欲しいの。私がこれから言うこと、そのまま」


なんだ、どうやら正解を教えてくれるらしい。

考えがまとまらなかったが、俺は彼女に頷いた。

そして彼女は言う。


「美緒は、これからどうしたい?」


俺が、これから彼女に尋ねる言葉がこれらしい。


何を求めている?何を答えるつもりなんだ?

くそ、全然頭が回らない。

少し躊躇った後、俺は美緒にそのままの言葉で聞いた。


「美緒は、これからどうしたい?」

「私はね。

あなたが大学で言いかけた言葉を聞きたい」


大学で、俺が言いかけた言葉。

それは桃香ちゃんに遮られて、最後まで言えなかった言葉だ。

思い出せ、俺は何を言おうとした?

いろいろなことがありすぎて、すぐには思い出せない。


でも、そのままの言葉は思い出せなくても。

その時の気持ちなら思い出せる。

言おう。もうエンディングなんてどうでもいい。

中途半端に終わってしまったあの時を、もう一度ここに戻したい。


「あのさ、美緒ちゃん」

「うん」

「俺、君のことが……」


思い出した。すべて思い出した。

言おう、もう後のことなんてどうでもいい。


「俺、美緒ちゃんのことが好きなんだ。俺と付き合って欲しい」


言った。

出会った時から、ずっと言いたかった言葉。

このドラマユニバースにやってきた俺が、言わなければ終われない言葉。


その言葉を言い終わった瞬間、世界に光が溢れた。

一瞬たりとも目を開けていられないほどの眩い光の渦。

その光に、周囲の喫茶店の風景が、夏の日差しが、そして大好きな美緒の姿が、すべて飲み込まれていく。

俺もたまらずに目を深く閉じた。


どのくらい経ったのだろう。

1日、それとも1時間、それとも1秒?

時間の感覚がまったくない。


俺は眩しい光を警戒するように、薄く目を開いていく。

俺の脳に、目の前の光景が徐々に形を結んでいく。


そこにあったのは、いやあったものは。違う、いた人は。

とびきりの美少女、美緒だった。

俺は慌てて周囲を見渡す。

そこは強い夏の日差しが差し込む、さっきまで俺たちが話していた渋谷駅近くの喫茶店ではなかった。


興味ありありの顔をした女子学生が、からかうような視線で俺たちを見ている。

あるいは俺の告白に気づかず、そのまま談笑している男女もいる。

賑やかで無責任で楽しい時をすごしている学生たちの姿がある場所だった。


ここは。

俺と美緒が通う学校だ。その学食だ。

そして、さっきまでの暑さが嘘のように爽やかな気温だ。

これは夏ではない。きっと俺が一番好きな季節、春だ。

ということは。

今この瞬間はもしかして、俺が美緒に告白しようとしてできなかったあの日、あの時、あの場所なのか?


なぜだ?なぜ時が戻ったんだ?

混乱していた俺の頭に、突然、ある人の言葉が聞こえてきた。



「研一ちゃん、もうすぐエンディングだよ」


馴れ馴れしい声、ちょっとダミ声で、でもあったかい声。

これは、妖子さんの声だ。


見ると、世界が再びストップモーションになっている。

周りの学生も、風に揺れていた木の枝も、目の前の美緒も、みな一様に微動だにしていない。


「妖子さん!どういうことだよ、これ!

なんで過去に戻ったんだよ?俺、どうすればいいんだよ?」


陽気な声で妖子さんの声が言う。


「あの方がね、やっとバグを見つけたんだ。アンタがいるその場所、その時間。そこに桃香ちゃんの強すぎる感情がノイズとなって入り込んで、ドラマユニバースにバグが生じちゃったんだってさ」

「あの方って今更!親父がそう言ってたのか?」

「そ。で、あんたと目の前のお嬢ちゃんはそこからやり直し!本当はそこからね、もっともっと違うストーリーになるんだよ!」


違うストーリーが始まるのか?それは、どんなストーリーなんだろう。

しかも俺だけなく、美緒も全部の記憶が残っているということなのか?


「さ、説明をこれ以上したらドラマが楽しめないよね。面白いドラマ、楽しみにしてるよ。打ち切りにならないよう、頑張ってね〜」

「ちょっと妖子さん、打ち切りって何なんだよ?」

「じゃ、バハハ〜イ!」


これまた古いサヨナラの挨拶が聞こえた次の瞬間、世界が動き出した。



目の前には、美緒。なぜか彼女はイタズラっぽい笑顔をしている。

彼女にはこの状況がなぜかすべて理解できているようだ。

美緒も妖子さんか親父に説明されたのだろうか?


この世界については結局のところ、わからないことだらけだ。

打ち切りも、バグも。最終話が終わったらどうなるのかも。


とにかくここは、義庵が死んでしまった事件の前。

つまりトモミーが過剰防衛で義庵を死なせてしまった事件の前。

桃香が暴走して果凛になる前のシーンだ。


ここからやり直しする。そんなこと現実世界ならできるはずもない。

でも、このドラマ世界なら、ドラマユニバースなら。

別のドラマを始めることができるのだ。


美緒は言う。


「ね、研一くん。さっきのあの言葉、もう一回言ってくれる?できれば大きな声で」


さっきの言葉とは。

きっと、この言葉のことだろう。俺は大声で美緒に言った。


「俺、美緒ちゃんのことが好きなんだ。俺と付き合って欲しい」

「はい、私も研一くんのことが好き」


周囲は一瞬だけ静寂に包まれたが、周りの学生から「フ〜!」とか「やるじゃん!」とか、揶揄うような応援するような嬌声が溢れた。


そして。

少し離れた位置に、今は裁判中で拘置所に収監されているはずだった女の子、菊田桃香が、驚いたような顔をして立っていた。


「あーあ、遅かったか」


桃香はニコリと笑いながら言う。


「間に合わなかったか。なーんか嫌な予感がして、邪魔してやろうと思ってきたんだけどな。研一くん、美緒に告白しちゃったか。で、美緒も……」


俺は美緒を見る。

美緒は一度俺と目を合わせると、桃香にゆっくりと顔を向けて言った。


「ごめんね、桃香」


桃香は笑顔を崩さなかった、ように見えた。

だがじわり、と左目の端から涙がこぼれ落ちる。


「あ、あれ?なんか、思ったより、ショック……」


桃香は、泣いていた。

いつも可愛い笑顔で、でもその心の裏側が見えない笑顔でいた彼女が。


「私も、ずっと研一くんのことが好きだったの」

「美緒……いつから?いつから好きだったの?」


涙を流す桃香から一瞬も目を離さず、美緒が続けた。


「闇鍋パーティの時。トモミーより先に私、研一くんにキスしたの」


え?

じゃあ、あの時。

俺の唇に何か柔らかいものが触れたのは。

1秒も経たず離れたあれは、美緒からのキスだったのか。


「ひどいよ、美緒……私たち、親友なのに」

「親友だから、嘘は言いたくない。どうしても許せないなら、はっきり言って」


桃香は、自分の心の内を親友の美緒にさえ言わなかった。

そんな桃香を責めるように、美緒をは言葉を継いだ。


「桃香が研一くんのことを好きなのは知ってた。でも、私の方が好き。絶対好き。桃香よりも、好きなの」


周囲の学生たちは最初、小さい声で「修羅場〜」などと言っていたが、今は固唾を飲むように成り行きを凝視している。

もちろん当事者たる俺も、身じろぎひとつできない状態だ。

俺が一言だけ言えるとしたら「けんかをやめて」の一言しかなかった。


「私だって、研一くんのことが好きだもん!」


そう叫んだ桃香を、不意に美緒は抱きしめた。


「ごめんね。今まで桃香の気持ちをちゃんと聞いてあげられなくて。私、それでもあなたの親友でいたい。これからも、ずっと」


桃香は肩を少し振るわせると、美緒に強く抱きつき、子供のように大声で泣き出した。

今まで気づかなかったが、彼女の首には「世界の鍵」が掛けられていた。


しばらく桃香は泣いていたが、やがて涙を拭いながら言った。


「……うん、わかった。私も、もう美緒から卒業しないとね……」


桃香は手を首に回すと「世界の鍵」を首から外し、美緒の手に握らせた。

これでこの世界のバグは修正され、世界の鍵は取り戻されたのだ。


その光景を見ながら、俺はこんなことを考えていた。


この世界はドラマチックな現実の世界だと思っていた。

でもここは俺が望んだドラマチックな、俺だけの世界であるドラマユニバースだ。俺が望むなら、物語はどんな方向にでも進むことができる。


俺が望んだハッピーエンドは、そしてあの時美緒が望んだハッピーエンドは。

こうして、いろんな悲しいことやままならないことを繰り返しながら、自分たちの幸せを追い求める生活だった。

不幸な事故で親友が亡くなることもない。過剰防衛で人を殺してしまうこともない。二重人格のような状態のまま実刑を受ける人もいない。


確かに桃香は失恋で大きく傷ついた。でも、こんなことは俺たちの日常にはいつも溢れている。

喉元を過ぎれば、少し苦い大学時代の思い出に変わる程度の心の傷だ。


俺は美緒に見る。

美緒は俺と目を合わせて微笑んだ。


「ウチに帰ったら、トモミーにもちゃんと話すね。私の気持ち」


これから、俺と美緒がどうなるのかはわからない。

また西田俊一が余計なちょっかいを出してくることもあるだろう。

トモミーだって素直に納得するとは思えない。


でもこれが、今回の俺のドラマのハッピーエンドだ。


俺が強く思ったその瞬間。


ピアノとストリングスから始まる曲が大学の学食全体に流れ始めた。

Boys town gangの「Can’t take my eyes off you」

邦題は「君の瞳に恋してる」だ。


曲が流れてきたってことは、俺のドラマの最終回がこれで終わりってことだ。

いろいろあったけど、都合良いこともたくさんあったけど、これが俺の望んだハッピーエンドなんだ。


最後に、ドラマのラストシーンに相応しいことでもしないとな。

俺は美緒に近づくと、そっとその唇に軽くキスをした。


すると俺たちの近くに、何か文字が浮かんでくるのが見えた。


-Fin.-

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