33 サイシュウ話 その4

渋谷スクランブル交差点に陽炎が立ちこめる。

灼熱の太陽に照らされた人たちの熱気なのか、それともさっきまで一瞬だけ街を濡らしたスコールのせいなのか。

時は過ぎ、あの夜から3ヶ月。季節はもうすっかり夏に変わっていた。


俺があの事件のあらましを説明されたのは、そんな暑い日。

渋谷駅前のビルにある喫茶店で、俺は彼女と待ち合わせた。

時間より30分も早めに喫茶店に来たのに、彼女は俺より先に来ていた。その前には氷が溶けたアイスティーがあった。

俺はアイスコーヒーをオーダーした後、彼女の言葉を待つ。

しばらく押し黙ったままだった彼女は、やがて静かな声で語り出した。


「桃香の裁判ね、もうすぐ判決が出るの」


そうらしいね。

でも俺、事件のこと何も知らないんだ。桃香がどうなるのか、トモミーがどうなったのか、知っていたら教えてくれないか?


「……そうなんだ。誰にも聞いてないの?」


キミは知らないかもしれないけど、俺、もう友達が一人もいないんだ。


「……うん。そうだね。じゃ、まず起こったことだけ話すね」


ごめん、頼むよ。このままじゃ俺……終われないんだ。


「終われない……?」


俺のドラマは、あの夜から止まったままだ。

3ヶ月が経ったことはわかっているが、その間俺が何をしていたのか、一切記憶に残っていない。

つまり、ドラマはまだ終わっていないのだ。


「うん……わかった。じゃ、トモミーの話からするね。

あの日、義庵くんを死に至らしめたのは、トモミーなの」


やはりトモミーが義庵を……でも、どうして?


「トモミーってね、実は剣道の師範で、すごく強いの。

高校の頃、修学旅行で不良に絡まれた私と桃香をお土産屋さんで売っていた木刀で全員やっつけちゃったくらい」


……すごいな、そうなんだ。


「それでね。あの夜彼女が家に帰ったら、自分の部屋に義庵くんがいたんだって。暗かったから義庵くんだってトモミーはわからなくて、パニックになったトモミーが台所から土鍋を持ってきて思いっきり殴ったの。

竹刀だったら加減できるみたいなんだけど、土鍋って意外に重いでしょ?

普通の人なら怪我で済むくらいだけど、トモミーの力が強過ぎて……つまり殺意はなかったけど、過剰防衛になるだろうって警察の人が言ってた」


殺意は、無かったんだね。


「絶対ビックリするよ。誰もいないはずの暗がりの部屋に、大きな男が突然いたら」


俺がエレベーターに走り込んだ時、トモミーがすごく驚いていたことを俺は思い出す。まして誰もいるはずのない部屋でのこと、無理もないことかもしれない。義庵にとっては不幸なことだけど……

でも、待って。なんで義庵はトモミーの部屋にいたの?


「義庵くんは、呼び出されたのよ。桃香に」


義庵が、桃香に呼ばれてトモミーの部屋に?

彼女の話を要約すると、こういうことらしい。


桃香はあの日、義庵に電話をした。

だが桃香としてではなく、美緒の声真似で話したそうだ。

「桃香が鍋パーティの時からアナタのことを気にしている。一度部屋でちゃんとお話したいから、部屋に来て欲しい」そんな内容だったようだ。


桃香のことが好きな義庵はたぶん大喜びで、指定された時間に部屋を訪ねたけど、誰もいない。

でも、もしいなかったら鍵は空いているから、リビングの一番右の部屋で待っていてと言われていたので、そこがトモミーの部屋だと知らないまま、暗くなるまで桃香を待っていたらしい。


その頃、当の桃香はラジオの仕事で家に居なかった。

やがてトモミーが仕事から帰ってきて、部屋で義庵と鉢合わせた。

そこで悲しい事件が起こった。

それが、裁判で語られた事件のあらましだという。


「これは桃香じゃないと本当のことはわからないけど、まさか死ぬとまでは考えてなかったんじゃないかな、って……」


彼女は口籠る。

義庵をトモミーにボコボコにさせ、お仕置きをしたい。その程度だったのではないか。


実際には、誤って義庵を殺してしまったトモミー。

呆然としているところにS-WAVEにいた桃香から電話があり、トモミーが状況を泣いて相談した。

桃香は事故だから私がなんとかする、トモミーは一旦部屋を出るようにと指示し、混乱していたトモミーはビジネスホテルに姿を隠していたという。

翌日、トモミーは桃香と美緒が泊まるホテルで合流しようと桃香から連絡を受け、渋谷のホテルへ。

だがホテルに入ろうとしたところで俺と鉢合わせをしてしまい、思わず逃げ出してしまったのだという。



これで義庵が亡くなっていた事件のあらましはわかった。

でも、まだ謎は残っている。


そもそも「なぜ」桃香はそんなことをしたのか。

彼女が自称した「果凛」とは一体誰のことなのか。

そして桃香が持っていた「世界の鍵」とは何だったのか。


「桃香は、中学までずっと不幸だったみたい。男に次々と弄ばれて、同級生には酷いイジメに遭ってて。

彼女はそれに耐えきれなくて、現実から逃げ出したみたい。

その時桃香は、自分の中にもう一人自分を作って、辛いことや苦しいことは全てもう一人の自分である『果凛』に押し付けたんだって。

これは裁判で弁護側の証人の精神科医が言ってたことだけど」


「今回の事件も、桃香は自分じゃなくて果凛が勝手にやった、って主張してる。

でも裁判で検察は、彼女の意見は全部嘘だって。精神鑑定に持ち込んで無罪にするための方便だって言ってた。

確かに、私は何年も彼女とつきあっていたけど、桃香が自分のことを果凛って名乗ったことは一度もないわ」


二重人格とか、そういうことなんじゃないか?


「精神鑑定でも、そういうのは見極めが難しいみたい。

自分自身を守るための嘘のフィルター。それが果凛の正体だって検察は断罪してたわ」


どこまでが本当なのか、それとも嘘なのか。

裁判はもうすぐ結審するが、本当のところはわからないだろう。

本当に桃香の中に果凛がいるのか、それとも桃香の嘘なのか。

果凛のことは桃香にしかわからないのだ。


だが、まだ謎が残っている。西田が言っていた、動機の部分だ。

果凛は、いや桃香はなぜ、嘘をついてまで義庵を部屋に呼び出したんだ?


「ここからは事実かどうかわからない。私の勝手な想像で、全く違うかも。それでもいい?」

「もちろん。高校時代からずっと親友だったんだろ?」

「そう。桃香はよく私に言ってた。私のおかげで生きていける、って。

私はいつも『大袈裟だなぁ、桃香は』って笑ってたんだ。

でも、もしかしたらあの言葉が本当だったのかもって、今は思うの」

「なぜ?」

「桃香は、私にキスをした義庵が許せなかったのよ。たとえ間違いだとしてもね。だから騙して呼び出して、トモミーと鉢合わせさせて、トモミーに痛めつけてもらおうと思ったのかなって」

「……殺そうとした、のではなく?」

「それは……わからない。トモミーの強さは、多分私たちが知っている以上かもしれない。だから、もしかしたら痛めつける以上のこと、考えていたかも」


だとしたら、桃香はもしかして、キミのことを。美緒のことを。


「でもね。これも想像だけど。桃香は、研一くんのことも本当に好きになっちゃったんじゃないかって私は思うの。でも研一くんは、桃香が好きだったわけじゃないよね。どう?」

「……わからないけど、うん。可愛い子だとは思ったけど、俺は……」


そこまで俺が言いかけた時、美緒は俺の言葉を遮るように言葉を被せた。


「だから彼女は悩んでた。自分が初めて好きになった男の子が、自分ではなく、自分が一番信頼できる親友のことを好きになった。

親友の私のことは大事だけど、自分が男を好きになった気持ちは抑えられない。

そこで桃香はわざと卑怯な手を使って、あ、大学での桃香のアノ発言のことね。

好きな男が、好きな女に告白しようとする時、それを潰そうとして、実際に成功した」


……そうだったのか。俺は本当に、何も知らなかった。


「これで彼は振り向いてくれる、その時、桃香はそう思ったかもしれない。

でも、実際には違うでしょ?」

「……そうだね。俺は桃香ちゃんじゃなくて」

「好きな男は自分を見てくれない。だったらどうすればいい?もう略奪するしかない。もし彼女が本気でそう思って実行しただけだったら、よくある話だと思う。友達の彼氏と付き合うことになったとか、ありふれた話だよね。友情は壊れるけど、好きな男と付き合うことができる。これって、全然珍しいことじゃない」

「うん」

「でも、彼女にとっては私との友情も大事だった。自分がしたことは、大事な親友の気持ちを傷つけることになっただけかもしれない。好きな男と付き合えた嬉しさと、自分のしでかしたこと、つまり親友を傷つけたかもしれない気持ちの狭間で、桃香は苦しんだんじゃないかな」


美緒は全部自分の想像で、全く違うかもしれない、とまた繰り返した。

俺はポケットからある物を出し、美緒に差し出す。


「これ、何か知ってる?」

「……それ、高校の時の……」

「これ、桃香ちゃんがずっと持っていたみたいだよ」


美緒はその鍵を掴むと、ぎゅっと握りしめた。

美緒の大きなアーモンド形の目から大粒の涙が溢れる。


「桃香……」


桃香は、美緒のことが好きだったんだ。

多分俺が美緒のことそ好きな気持ちより、多分もっと、ずっと。

だからこそ、彼女は壊れてしまったのかも知れない。


「……ありがとう、研一くん」

「うん……美緒はこれから、どうするの?」

「まだ、何も考えられない。正直なところ」


美緒はしばらく俺の目を見つめていたが、やがてゆっくりと目を伏せる。


「そうだよね」


俺たちは互いにコーヒーを口につけ、黙り込んだ。

今日の日差しは、ガンガンにクーラーで冷やされたこの店内でも、光が当たる部分を熱く焦がしている。


1分、2分。沈黙はどれくらい続いたのだろうか。

俺の思考はいつしか桃香や事件のことから離れつつあった。


考えていたのは、このドラマのラストシーンのことだった。


俺がまったく予想しない方向に進んだこの世界、ドラマユニバース。

親友の義庵が亡くなってしまった事件は、多分この会話でケリがついただろう。

だがドラマ自体としてのラストは、これでいいのだろうか?


俺が望んでいたのはハッピーエンドだ。

でもこのままでは、全くハッピーエンドが見えない。

少しパターンを考えてみよう。


① なんとか美緒を振り向かせ、付き合うことにしてメデタシメデタシ

② このまま美緒と離れ、二度と会わない。悲しいけどきっといつか思い出にかわるだろう、みたいなほろ苦エンド

③ 突然美緒の手を取って「この世界から逃げよう!」走っている二人の笑顔にエンドマーク


ろくなエンディングがない。


一番は一見ハッピーエンドだが論外だ。だって男の親友が殺され、殺したののは女の親友の過失、それを計画したのは女のもう一人の親友。

どのツラ下げて美緒とハッピーに付き合うって言うんだよ?これでハッピーエンドだというやつがいたら逆にオドロキだよ。


二番は、俺の好きなドラマ、西田俊一のモデルとなった俳優が出てたNTRドラマのエンドそのままだ。パクリ、いやオマージュにも程がある。


三番は有名なハリウッド映画「卒業」そっくりだ。結婚式中に花嫁の手を取って逃げ出すやつ。

なんだか打ち切りマンガみたいなエンドだ。


ダメだ、さっぱりエンディングが見えてこない。

さあどうする、俺?

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