28 第キュウ話 その2
警察署の中なんて初めてだ。私は刑事さんに連れられ、小さな部屋に入った。
壁の見上げる位置には小窓があり、外から鉄格子がはめられていた。部屋の中央にはシンプルな机、机を挟んで二つの椅子があった。
ここ、たぶん取調室だ。少し怖い。
しばらく刑事さんは私に質問を重ねる。
でも質問は次第に、ある人がまるで殺人犯のような言い方に変わっていった。
私は堪えきれず大声で言う。
「ですから、研一くんがそんなことするはずありません!」
「我々は山本さんが怪しいと睨んでおりますが、あなたはどうして山本さんではないと思うんですか?」
「だって研一くんは……そんな人じゃ無いし」
「でもね、中川美緒さん」
刑事は懐からメモ帳を出して、何かを確認しながら話す。
「友人の菊田桃香さんが証言をしているんですよ。
鍋パーティの時、大鳥義庵さんがあなたに強引に接吻行為を行った。
後日、そのことを山本さんが激怒していた、という証言をね」
「そんな話……私は桃香に聞いてません!」
「言わないでしょう。あなたはいわば被害者です。言えば心の傷になる。
親友の菊田さんが、そんなことをあなたに話すと思いますか?」
私はもう一度考えてみる。
刑事さんの言う通り、桃香は私にそんな話、しないだろう。彼女は昔から私のことを過保護気味に、子供のように扱うことがたまにある。
「我々はこう考えているんですよ。
山本さんは昨日朝までアリバイがあるんですが、午後は映画に行ったと証言しています。でもそれを証明する人はいない」
「……はい」
「大島さんの死亡推定時刻は、昨日の昼過ぎから夜にかけてです。エアコンがついていたせいで正確にはまだわからないんですがね。
で、山本さんは映画を見ていたという時間、本当は部屋のマンションに戻ったのではないかと我々は考えております」
「……」
「だがマンションに戻ったその時、大島さんはあなたたちの部屋にいた。たぶん大鳥さんはあらかじめ用意していた合鍵で部屋に侵入した。まあ、下着を盗むとか、そんなとこでしょうかな」
私はその言葉に驚きを隠せず言った。
「待ってください!義庵くんが、なぜ私たちの部屋の鍵を?」
「鍋パーティのときに拝借して合鍵を作ったんでしょうな。何か探していたらしい、という菊田さんの証言もあります」
「……」
「そして山本さんは隣の部屋の物音を聞いたのか、廊下で大鳥さんを見かけたのか、これはまだ捜査中ですが、とにかく彼は大鳥さんがあなた方の部屋に侵入していることに気づいた」
「……それで?」
「山本さんは大鳥さんの犯行に激怒し、後ろから鈍器で撲殺したと思われます」
刑事によると、凶器は土鍋。あの闇鍋パーティの鍋だという。
美緒は昨晩気づかなかったが、ベッドの裏に血のついた割れた土鍋が落ちていたそうだ。
「その後、山本さんは何食わぬ顔で渋谷に移動、藤野さんと喫茶店で会いました。藤野さんによると、そこで婚約の話をされたんだそうです」
婚約という言葉が、私には一瞬すんなり飲み込めなかった。
だがすぐに、その意味を思い出す。
「婚約?研一くんと、トモミーが?」
「はい。来週には福岡の父母と会う約束をされたそうですよ」
「そんなはず……だって、彼は桃香のこと」
「そうなんです。その後彼は、菊田さんと待ち合わせ、一緒にホテルに行っています」
「……!」
美緒は息を飲み、驚愕の表情を浮かべた。
その顔面が蒼白に変わって行く。
「西田さんという方にも事情を伺いましたが、山本さんはあなたのことを好きだと言っていたらしいですね。
でも同時に、菊田さんと肉体関係を持ち、藤野さんと婚約しようとしていたんです。それでもまだ、山本さんが犯人では無いと思いますか?」
研一くんと、もう一度話そうと決めたのは昨晩のこと。
でも彼はその間、私の親友たちと。
もう、信じられない。
義庵くんのことも、もしかしたら彼がやったかもしれない。
刑事さんは胸に手帳をしまい込み、最後の一言を話す。
「いろいろ心の整理が必要でしょうな。今回はこれであなたの聴取は終わりです。菊田さんがお迎えに来てますよ」
渋谷警察署のロビーには、桃香が座っていた。
彼女は私の姿を見つけるなり、駆け寄ってくる。
「美緒!」
「ごめんね、わざわざ迎えに来てくれたんだ」
「部屋はまだ現場検証で入れないの。今日はホテル予約したから、一緒に行こう?……美緒、顔色悪いけど、大丈夫?」
桃香が心配そうな顔で尋ねてくるが、私は顔を逸らした。
桃香が昨晩、研一くんと。
さっき聞いたばかりの話が心に影を落とす。
「美緒、私ね」
桃香が私の顔を覗き込むようにして、真剣な眼差して言う。
「昨日ね、彼と昨日寝たの」
ドキン。一度大きな鼓動があり、さらに心臓が速足を打つ。
まさか、桃香本人がその話をするとは思っていなかった。
たとえ聞いても、誤魔化すだろうと思っていたのに。
「でもね、理由があるの。彼、美緒にはぜんぜん相応しく無いと思う。だから、私が餌になったの」
「……桃香?」
「昨日の彼、酷かったわ。もし本当に私が彼のことを好きだったとしても、2度と会いたくないと思うぐらい」
私はその言葉を聞き、かすかな違和感を覚えた。
今日の桃香はなんだかいつもと別人のように感じるのだ。そんなはずないのに。
「……」
「それと、聞いた?トモミーの婚約の件」
「うん」
私は小さく答える。
「バレないように、三股しようとしてたんだよ。アイツ許せない!」
「もういい!桃香」
「美緒……」
もう、何も聞きたくない。
もう 何も考えたくない。
でもこの時もっと考えていれば。
この時以上の悲劇は避けられたのかもしれない。
せめて、なぜトモミーがこの場にいないのか。
そのことに私が気づいていれば、あんなことにはならなかったのに。
俺は親父の予想通り、渋谷警察署から解放された。
辺りを少し見渡してみる。誰もこちらを見ていなようだが、たぶん尾行の刑事が後をつけている。
刑事さんは最後まで義庵の死因を教えてくれなかった。
ただ、義庵と俺の部屋はまだ捜査中で、部屋には戻れないことが告げられた。
俺、これからどこに行けばいいんだよ。
(鍵は桃香ちゃんにある)
親父はそう言った。どうにかして桃香ちゃんに会うべきだ。だが彼女は今、どこにいる?
義庵が亡くなっていた現場である部屋に住む桃香ちゃんが、その部屋に戻るとは思えない。隣の部屋の俺ですら今晩は部屋に入ることができないのだ。
今更ながら俺は思う。
俺、この世界のこと何にも知らない。
この世界にいるはずの親兄弟の名前も、どこに住んでいるかもわからない。
そして義庵以外の友達がいるか、学校に友人がいるか、それもわからない。
そもそも学校で何の勉強をしていたかすら思い出せない。
要するに薄っぺらなのだ。親父がプログラミングした、ドラマユニバースというこの世界自体が。
俺がどこかに行けば、何かしらのエピソードが発生する。まるでドラマの1シーンのような事件が起こる。そしてドラマチックなセリフやシーンが発生すると、そこでエンディングテーマが流れ、世界全体が黒くフェードアウトする。
そして次の話が始まるのだ。
そのように親父がプログラミングしたのだ。
普通に考えると、まともな世界ではない。
でも今まで何の疑問も持たなかったし、違和感もあまり感じていなかった。
「さすがドラマ世界だ」そんな言葉で片付けていた。
だが改めて思うと、この世界は尋常ではない。
親父がプログラミングしたこの世界は、俺が元々暮らしていた世界とは違う。
例えば、時間の流れ方はどうなっているのだろう。
世界が黒くフェードアウトしたあと、この世界はどこに存在しているんだ?
まるでずっと白昼夢を見ているかのようだ。
わからない。ヒントが少なすぎる。
いっそのこと、妖子さんがNGだと言っていた「メタ発言」でもしてみるか?
いや、それは早計だろう。
俺は自分の力で、どうにかして最終回をハッピーエンドで迎えなければならないらしい。
でなければ「打ち切り」になってしまうからだ。
なぜハッピーエンドが必要なのか。
そして「打ち切り」とはなんのことなのか、さっぱりわからないが。
とにかく最終回まであと1話だ。それが終われば、このドラマは終わってしまうのだ。
でもドラマが終わった後、この世界はどうなるんだ?
俺は、どうなるんだ?
行き場もなく、俺は渋谷駅からなんとなく山手線のホームに向かう。
外回りの先頭車両に乗りこむと、夜なのに座席に座れないくらいのサラリーマンや学生など客で一杯だった。
俺は吊り革を握り、何を考えるともなく窓の外を眺める。
原宿、代々木を過ぎて新宿駅に着くと、客が大量に降り、俺は座席の一つに座ることができた。一息ついた俺は、そこである違和感を感じた。
おかしい。
こんなに何も起こらないシーンが延々続くなんて、今までにないことだ。
まさか、この電車のシーンで「打ち切り」になってしまうのか?
俺が山手線で悩んでいるシーンで終わりなのか?そんな意味のないエンディングなのか?
急に恐怖を覚え、俺は高田馬場で電車を降りる。
もっと、この世界にふさわしく、ドラマチックに行動しなければ。
でもどうすればドラマチックな展開になるんだ?
その辺の学生とかに突然殴りかかるとか?
アパートの階段を転げ落ちて、走ってきたトラックに轢かれてバラバラになるとか?
いや、そんなのはバッドエンドの布石に過ぎないだろう。
この世界で俺が行くべき場所は、あそこしかない。家と学校以外の場所で俺が知っているのは、そこしかない。
今すぐに行動しなければ。
電車を乗り継いで駅で降り、坂を下ると見覚えのある赤い看板がある。看板には「bar duello」という文字が見えた。
ドアを開けると案の定、そこには見知った顔があった。
西田俊一だ。
奴は俺を見ると、薄く笑顔を見せた。
でもこれまでとは違って、まるで疲れているかのような表情に見えた。
「ま、座りなよ」
当然西田にも警察は事情を聞いただろう。何を知っているか、俺は知りたい。西田の言葉に従って、ひとつ椅子を挟んだ席に座る。
ミズキさんにオーダーを聞かれたが、今夜は酒を飲む気分ではない。そう答えると彼女は軽くため息をつき、黙ってグラスにジンジャーエールを注いで出してくれた。
今晩は口を挟まないつもりらしい。
「研一くん。キミ、なんで警察から解放されたんだろうね?」
こいつも俺が義庵を殺したと思っているのか。
一瞬カッとしたが、すぐに西田は言葉を継ぐ。
「重要参考人、しかも一番殺人犯に近いと思っている人物を、警察が解放したりするもんかね」
「泳がせてるんだろ、俺を。たぶん今も尾行がついてるはずだと思う」
「それはそうだけど、万が一逃げられたら警察の大失態になる。そんな危ないこと、警察がするとは思えないけど」
確かに西田の言う通りだ。
不意に俺が逃亡する可能性はゼロではない。素人とはいえ、俺は若い。タイミングをうまくつけば、逃げ出すこともできるだろう。
もちろん、自分自身が犯人でないことは俺が一番よく知っている。
逃げ出すなんてありはしないのだけど。
「キミは多分、誰かにハメられたんだよ」
「ハメられた?……誰に?」
「さあ。僕に研一くんの交友範囲などわかるはずもない。心当たりはないのかい?」
心当たりどころか、俺の交友関係の狭さは折り紙つきだ。
唯一の親友は殺された。恋のライバルは目前。
部屋に泊めてもらったセクシーお姉さんは暇そうに酒瓶を整えている。
となると、あと3人しかいない。
美緒、桃香、トモミーの3人娘だ。
この3人以外の人物が不意に登場したら、それこそクソドラマだ。
いや待て、ということは。
3人娘に、目の前の西田、アクビを噛み殺しているミズキさん。
犯人はたったの5人の中に、かならず居ることになる。
俺は推理を始めた。
きっとこの事件、俺が解決してやる。
じっちゃんの名にかけて。
ごめん。何かキメ台詞を言いたかったけどこれしか思いつかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます