26 第ハチ話 その2
代官山駅の階段を降り、マンションに向かう。
この日も天気は晴れ。だが妙に蒸し暑い。
もう夏が近づきつつあるのだ。
俺たちが住むマンションは、その角を曲がると見える。
家に帰ったらどうしよう。それより、もし美緒にばったり会ったらどうしよう。
いや、どうでもいいか、もう。
彼女と俺はもう、ただのお隣さんだ。ただの同じ大学の同級生だ。
角を曲がると、そこには異様な光景が広がっていた。
救急車。パトカー。非常線。たくさんの警官。まるで刑事ドラマの1シーンのようだった。
何か、あったんだろうか。
俺が非常線に近づくと、ひとりの警官が俺を制止する。
「こちらの住人の方ですか?」
「はい、205号の大鳥と同居している山本ですが」
聞くなり、周囲の警官が色めき立った。
急いで走り出した警官の一人に呼ばれた、くたびれたスーツの男が俺の前に立つ。
「山本さん、すみませんが我々とご同行願えますかね」
「俺が?なぜですか?」
「詳しくは署でお話しします。さあどうぞ」
有無を言わせぬ態度だ。逆らっても意味はあるまい、と俺はスーツの男に従った。
俺は生まれて初めてパトカーに乗せられ、どこかに移動した。
着いたのは渋谷警察署。スーツの男に連れられ、長い廊下を歩く。
こんな時、ドラマだと大体狭い取調室に連れて行かれるんだよな。で、コワモテの刑事に取り調べを受けるんだ。そして「俺は何もやっていません!」「嘘つけ!」なんて始まるんだ。
さすがドラマユニバース。普通に生きていたら体験できないことが目白押しだぜ。俺は他人事のようにそう考えた。
だが俺が連れて行かれたのは、取調室ではなかった。
ドアの前に明朝体で書かれていた文字は「霊安室」
中に入ると、ストレッチャーにシーツを被った誰かが横たわっていた。一瞬、昔亡くなった祖母の遺体を思い出したが、この人物はそれよりかなり大柄だ。
「山本さん、申し訳ございませんが、身元確認にご協力ください」
「誰なんですが、この方?」
大鳥義庵さんです。私服の男は確かにそう言った。
義庵。
俺の高校時代からの親友。この世界での設定はそうだ。
実際は親友と呼べるようなエピソードはあまり覚えていない。
同じサッカー部で、前の部屋から同居していて、エッチな雑誌を貸し借りして、そんなありふれたことだけ。
この世界に来てから俺は、ひたすらラブコメ路線を突っ走っていたから、義庵とはそれほど話をしていなかった。
義庵がやったことといえば、美緒に暗闇でキスしたこと。
それがメインエピソードで、他のシーンはそのオマケにすぎなかった。
そんな義庵が、ここに横たわっている。目を閉じて、眠っているように。
俺は気付かぬうちに顔の布をまくり、その顔を見つめていた。
顔には傷ひとつなく、綺麗な顔してる。嘘みたいだろ、死んでるんだぜ、これで。
そんな台詞が頭に浮かんだが、こんな時に有名アニメのセリフでふざけている場合ではない。
それにしても、なんで俺、こんなに冷静なんだろう。
「全然、驚かれないんですね」
スーツの男が後ろから声をかけてきた。
そうだな、驚いていない。いや違う。驚きすぎて感情がおかしくなっているだけだ、たぶん。
俺は私服の男に振り返って聞く。
「どうして義庵はこんなことに?」
「その件で、いろいろお話を聞かせていただきたい」
俺の脇に制服警官が二人、スッと並ぶ。
なんだよ、これ。やっぱり俺、どうみても容疑者じゃねえか。
容疑者に普通、身元確認なんてさせるか?
自分はやっていない、そのことは間違いないのに。
その時、ホーンセクションが陽気な間奏の曲が霊安室に流れ始めた。
Boys town gangの「Can’t take my eyes off you」のサビだ。
このサビは陽気過ぎて、霊安室のシーンに合っているとは思えないけどね。
それに、今回ちょっと俺の活躍が少ない気がする。
俺この8話で、家に帰ったら警察に連れてかれて、義庵の死体を見て、容疑者になっただけだ。
なんだかいつもより短い気がする。
俺の知らない何かが、このドラマユニバースに起こっているのか?
そんな俺の不審気な顔を残し、世界は黒にフェードアウトしていく。
つづく。
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