9 第ニ話 その2
キザったらしいセリフと共に、誰かに手をつかまれ拘束された俺。
「お前、誰だ?」
振り向こうとしたが、相手の力は強く、背も高いので振り返れない。
「僕はたまたま通りがかった、彼女のナイトさ」
美緒を見ると、彼女は今のセリフに目を丸くしている。
「少しは頭が冷えたかな、学生クン」
拘束を解かれた俺は、急いで声の主を振り返る。
やっぱり、この人か。
本人ではない。結構似ているが、本人ではないのはわかる。
でも俺の知っている人の顔によく似ていた。
『君の瞳に恋してる』で、主人公が憧れる大人の男性。
トレンディドラマの代名詞とも言えるモテ男役者、I Jのそっくりさんだ。
つまり、俺の恋のライバルだ。
サラサラの髪。爽やかな笑顔。
下半身は白のスラックス、靴下は履いておらず、裸足に茶色の皮のローファー。
上半身は綺麗にクリーニングされた薄いブルーのシャツ。
その上に薄いピンク色のカーディガンを肩にかけ、胸のあたりで結んでいる。
こ、これが本物の「プロデューサー巻き」か!
ヤベェ、かなりかっこいい。
実は俺、この人の大ファンなんだよな。
今まで見てきた古いトレンディドラマの重要な役どころには、大体この人が登場している。
俺が古いドラマ好きになったきっかけのドラマ、あの中で妹に寝取られる婚約者の役はこの人だった。
どの役も爽やかで、優秀で、カッコよくて、スマートで。
俺にとっては、まさに古いドラマの神とも言える方だ。
俺が感動していると、その男性は美緒の前に移り、彼女に話しかけた。
「君、大丈夫?もし怪我でもしていたら、ここに連絡して」
彼は小脇に抱えていた茶色のレノマのサイドバッグからサッと名刺を取り出し、慣れた仕草で美緒に渡した。
「ラジオプロデューサーの西田俊一さん?すごい、S―W A V Eの方なんですか?」
「うん、音楽番組を何個かやってるよ」
西田俊一って。これまた元の役者さんの名前に似てるなぁ。
なるほど、このドラマユニバースではS―W A V Eっていうラジオ局なんだ。もちろんモデルは当時大人気だったおしゃれラジオ局、J―W A V Eだよね。
それにしても、うっわ。
キザだけどやっぱりカッコイイし、生で見ると背も高いしオシャレだなぁ。
ほら、美緒もなんだか尊敬の眼差しで西田を見つめてるよ!
うんわかるわかる、ギョーカイ人、カッコイイよねー。
って、待て待て!
コイツはこのドラマでは俺の恋のライバルだ。しかもラスボスだ。
思ってたよりずっと登場が早くて流石にビックリするわ。
俺のダメエピソードに乗っかってくるとは、流石ライバルだぜ。
「彼が何か文句言ってきたら、遠慮なく連絡ちょうだい。クルマに自動車電話あるから、君のためなら24時間いつもで駆けつけるよ」
さっき会ったばかりなのに、そんなことサラッと言うんだ、へー。
令和の世だったらセクハラ案件でアウトだぜ、そのセリフ。
西田は美緒に軽くウインクをすると、踵を返して立ち去っていく。
その姿を、熱っぽい眼差して見つめる美緒。
その美緒を、アイスクリームで汚れてヨレヨレになったシャツで、雨に濡れた犬のようにショボーンと見つめる俺。
ライバルとの対比が効きすぎて、ドラマチックな一場面だなぁ。
俺が負け犬役なのが悲しいけど。
西田の姿が見えなくなると、美緒は俺に「まだいたの?」的な視線をチラリと送ったあと、フン!と言わんばかりの顔で立ち去っていった。
そうか、この第二話は俺の恋のライバル登場がメインエピソードだったのか。
すっかり油断していた。
ここから挽回しないと、今のところ俺はかなり劣勢だよ。
結局俺はその後、講義も受けずに帰宅する羽目になった。
夕方。
俺たちが住むマンションに戻ってくると、玄関の前に一台の車が停まっていた。
白のポルシェだ。かっこいいなぁ。
いったい誰の車なんだろう。マンションの住人かな。
ポルシェは左ハンドル。運転席には誰もいないが、よく見ると右側の助手席には誰かが乗っている。うん?あれは、もしかして。
俺はその人が見えるように少し移動する。
それはけさ会ったばかりのお隣さん、菊田桃香ちゃんだった。
朝はナチュラルメイクだったが、今は髪もきっちりとドライヤーでセットされ、真っ赤な口紅を引いている。
ナチュラルメイクの時は「トニカクカワイイ」雰囲気だったが、今の彼女は間違いなく「イイ女」に変身していた。
まったく、女性っていうのはメイクで変身するなぁ。
でも彼女、そんなメイクでどこに行くんだろ?
服もなんだかセクシーな感じだし。
クルマの助手席に乗っているってことは、もしかしてデート?
彼女、俺に思わせぶりなことを言ってたはずなのに……
いや別に良いんだよ。俺は美緒一筋だって決めてるし、ふん。
なんだかちょっと悔しくなって自己弁護した。
するとマンションから一人の男が現れ、ポルシェの運転席のドアを開ける。
男には見覚えがあった。
というか、ついさっき見たばかりの男だ。
プロデューサー巻きの伊達男、西田俊一だ。ライバルだ。ラスボスだ。
これ一体、どんな状況?
桃香ちゃんって実は、西田の女なの?
やがて西田はエンジンを掛け、「ガオン!」とエンジン音を響かせ、道の向こうに消えていった。
なんだか次々にエピソードが畳み掛けてきて、頭の整理が追いつかないよ。
しかも俺はあることに気づき始めていた。
なぜか、だんだんこのドラマの「元の展開」が思い出せなくなってきているのだ。
これはどういうことだ?
このドラマを俺が書き換えているから、前の記録はいらないってことなのか?
そんなことあり得るのかね。
確か西田と桃香の関係も、元のドラマでは何かあったような気もする。
不倫だっけ、それとも略奪だっけ。うーん、本当に思い出せない。
そもそもあのプロデューサー巻き役者、ドラマに出過ぎでキャラがけっこう被ってるんだよな。うーん、思い出せない。
しばらくマンションの玄関でそんなことを考えていると、外から歩いてきた女性に声をかけられた。
「すみません、通れないのでどいてもらってもいいですか」
「あ、ごめんなさい」
確かに俺、邪魔だったな。慌てて脇に避ける。
その女性の服は、一言でいうとイケてなかった。
謎に濃い緑のトレーナー、胸側全面に紫色で英語がたくさん印刷されていた。
服を売ってるスーパーマーケットの小中学生向けオリジナルブランドって感じ。
そして下はヨレヨレのジャージ。たぶんこれ、中学校時代とかの学校ジャージだ。顔は、とにかく地味。
トドメに黒のアラレちゃんタイプの丸メガネをしていた。
見たことがあるような気もするけど、知り合いではない。
まあ、重要人物ならそのうちエピソードが発生して登場するだろうし、この見た目からするとモブかエキストラだろう。マンションの住人A、みたいな感じかな。
女は軽く会釈をすると、そそくさ横を通り過ぎエレベーター方向に消えていった。
さて、俺も部屋に戻って着替えることにしよう。
俺もエレベーターに向かう。
エレベーター前に来ると、ちょうど一階に停まっていてドアが開いていた。
チーン、と音がしてドアが閉まりかける。
ここのエレベーター、待っていると遅いんだよな。
俺は駆け出して素早くエレベーターのドアに滑り込んだ。
その瞬間。
そこにさっきのメガネさんがいた。
目があった。そして、
「キャーーー!チカーン!!」
エレベーターの壁が震えるほどの大絶叫。
俺がいきなり走って乗り込んできたので、ビックリしたのか。
メガネさんは叫びながら、エレベーターの非常ボタンを押した。
「どうしました?」
すぐに管理会社の応答があった。
反応早いな管理会社、優秀だよ。
俺にとっては困ったことになったけどね。
なんて、あまりの展開に逆に俺は冷静になっていた。
もうなるようになるしかない。
廊下の向こう側からは、マンションの管理人のジイさんも走ってくる。
それにしても、参ったなぁ……
走って乗り込んだだけでチカン扱いかよ。
メガネさんのエピソード、実はもう始まっていたんだな。
30分後。
エレベーター管理会社、マンションの管理人、そして警察の人が代わる代わる徹底的に俺に事情聴取をしたが、俺がこのマンションの住人で、エレベーターに走って乗り込んだだけだとわかると、憮然とした表情で解散していった。
「すみません。ご迷惑おかけしまた」
俺は巻き込まれた被害者とも言えるが、一応謝っておいた。
メガネさんは事情聴取の間、最初はずっと俺を睨みつけていた。
その目は変態チカンくたばれ私の目で焼き殺してやる、みたいな感じだった。
だけど俺の免許証と住所を見ると、急に顔色を無くし、うつむいた。
今も俺の近くで黙ってうつむいている。
「……ごめんなさい。早とちりでした」
メガネさんが小声で言う。
はいはい、よく謝れました。これで水に流してあげようかな。
こっちも彼女に誤解されるような行動があったことは確かだし。
「いいえ、こちらこそ驚かせてせてすみません」
互いにペコペコ謝り合った。
やがてメガネさんは顔を上げて俺の顔を見る。
「私が悪いのに、謝ってくれるんだ。
あなた、いい人だったんですね」
あれ、機嫌直ったみたいですっかり笑顔に変わってるな。
「わたし、男の人が苦手で、ビックリしちゃったんです。
今は高校の同級生と三人で住んでいるんですけど」
あ!わかった、この人。
隣の住人、つまり美緒と桃香ちゃんの3人目のルームメイトだ。
どおりで顔に見覚えがあったはずだ。メガネかけてるから気づかなかったよ。
のちに名女優となる女優のFTさん、その人にそっくりだ。
そう思って見ると、地味ながら顔は整っているし、カワイイと言えなくもない。もちろん美緒や桃香ちゃんには劣るけど、俺の中では。
「わたし、藤野朋美って言います。トモミーって呼んでください」
……なんかちょっと変わってるな、この子。
なんで痴漢扱いされた直後、その子を「トモミー」なんて呼べるんだよ。
「普段は渋谷の信用金庫で働いています。すみません、あなたのお名前も教えてもらえますか?」
「俺は、山本研一といいます」
「ケンイチさん、ですか」
彼女は顎に右手を当てて少し考える仕草をすると、すぐに俺を見て言った。
「じゃあ、ケンちん、って呼んでも良いですか?」
良くないよ!
人をおいしい汁物料理みたいに呼ばないで欲しい。
「いや、普通にケンイチ、で良いですよ」
「いや、呼び捨てはちょっと失礼ですよ、恋人でもないのに。
かと言ってケンちゃんだと幼馴染みたいじゃないですか。
ケンポンもなんだかグーチョキパーって感じだし。
だから、ケンちんって呼ぶのがふさわしいと思うのですが、いかがですか?」
なんか喋り方も含めてめんどくさい感じの人だなぁ。
逆らわない方が良さそうだ。
「じゃあいいですよ特別に。ケンちんで。トモミーさん」
「ケンちん……ふふっ」
トモミーはなぜかクスリと笑う。
「あなたのお名前、なんだかおいしい汁物料理みたいですね。変なの!」
そのセリフ終わりで、エンディング曲が流れてきた。
Boys town gangの「Can’t take my eyes off you」
邦題は「君の瞳に恋してる」だ。
でも俺、トモミーに恋なんてしてないぞ?
この子の天然エピソードでドラマ第二話は終わるのかよ。
俺は渋い顔を作って、エンディングに備えた。
「またね、ケンちん。最後に私の名前、もう一回読んでくれる」
「トモミーさん、またね」
トモミーは上目遣いでニマニマと笑いながら去っていった。
あの子ともなんだかいろんなドラマが起きそうだな。
俺の渋い顔のまま、エンディング音楽が鳴り終わるのを待っていた。
つづく。
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