3 アベヨーコ

奨学金で大学に通う俺は、苦学生とまでは言わないが、少なくとも親から小遣いはもらっていない貧乏学生だ。

もう20歳なので、遊びの金ぐらいは自分で稼げとは親父からのお達しだ。

趣味はドラマ鑑賞だけなのでお金はほとんどかからないけど、貯金しておかないと将来が不安なのでバイトには力を入れ、いまは週4でやっている。


そもそも俺の家庭はそれほど裕福ではない。

俺が浪人した上に私立大学に通っているのも、その一因かもしれないが。


母親は知り合いの花屋さんでパートとして働いている。

父親は「自称天才プログラマー」。

ただ性格的に難があるらしく、大手企業を次々と辞めてきたらしい。


小さい頃父親に聞いた時には、超有名RPGを作っていた会社で働いていたり、京都の世界的ゲーム会社に請われて国民的レースゲームを作ったりしていたと楽しそうに子供に自慢しまくっていた。本当かどうかはわからないけど。

今はフリーランスの身で、一日中自分の部屋でキーボードを叩いている。

仕事してるんだか遊んでるんだか、よくわからない父親だ。



俺はその日もアルバイトに精を出していた。

働いているのは、大手スーパーマーケットの野菜売り場。

周りはベテランばかりだが、逆にそれが心地よい。

同世代の女の子とかいたら、また調子に乗って失敗するかもしれないしね。

しばらく俺にとって、若い女の子はトラウマの対象だ。


「研一ちゃん、30分休憩だよ」


野菜売り場のパートさんのボス、阿部曜子さんが俺に言った。

俺はそのとき野菜をバックルームから商品出ししながら、高校教諭が生徒と禁断の恋に落ちて最終的に悲劇となる有名ドラマのことを脳内で考察していたが、すぐに休憩所に向かう。


パックのほうじ茶にお湯を入れてズズズと飲んでいると、曜子さんが水筒の水をのみながら俺の目の前に座った。


「研一ちゃん、最近はドラマ何見てんの?」

「えと、今週はですね。

当時の大人気子役が同情を拒んで大人に金をせびるドラマを見てます。

これで3周目ですけど」

「『家なき子』かぁ。あの子、今は40代なんだって?」

「あの女優さん、今でも可愛いですよね」


実は曜子さん、俺の唯一の「古いドラマ愛好友達」だ。

俺の母親よりちょっと年齢は上らしいが、昔からドラマが大好物で、好きなドラマはV H Sで全巻揃えてあるらしい。V H Sって何のことか、実はよくわかんないけど、多分ドラマを録画できる古いブルーレイかなんかだろう。


「そういえば聞いたことなかったけど、研一ちゃんは何のドラマが一番好きなのさ?ちなみにあたしはトヨエツのナイトヘッド一択だね」

「よくぞ聞いてくれました。『君の瞳に恋してる』が至高のドラマかと」

「か〜懐かしい!渋いっつーか、マイナーなの来たねー」

「いやいや、拙者のようなドラマ愛好家なら欠かせない名作ですよ!」


曜子さん相手なら、ちょっとウザい自分の発言や思いをさらけ出しても問題ない。バイト歴も1年を越え、長い付き合いなのだ。


俺は、熱く語り出した。

30分休憩のうち20分も使い、俺が大好きな「君の瞳に恋してる」の名シーンの数々を。

主人公の可愛さ。

友人たちの恋模様。

恋のライバルとの駆け引き。

魅力を話しだすと最低でも3時間は止まらないだろう。


「は〜、なるほどねぇ。研一ちゃんは本当にそのドラマ、好きなんだ」

「はい!夢はあのドラマの世界に入り込むことです!そして主人公の女の子と付き合いたいです。そしていつまでも幸せに暮らしたいです!」


俺のその言葉を聞くなり、曜子さんの口角が「ニヤリ」という形に変化した。

アルカイックスマイルとも呼ばれる、半月状の口の形だ。

あれ、曜子さんどうしちゃったんだ?

さっきまでの明るいおばちゃんじゃなく、なんだか不気味にすら見える。


その表情を変えぬまま、曜子さんは俺に語りかける。


「そのドラマの世界に行ってみたいと。研一ちゃんはそう思っているんだね」

「はい!無理なのは承知で憧れてます!」

「もし、もしだけどね。そのドラマに入り込めたら主人公と付き合いたいの?」

「もちろんです!あのアイドルを恋人にしたいです」

「は〜、それ、楽しそうだねぇ、いいねいいね」


曜子さんは口角を釣り上げたまま、意外なことを言った。


「曜子おばちゃんがケンちゃんの夢、叶えてあげよっか?」

「ハハ、曜子さん面白いこと言いますね」


今のは何かのドラマのセリフなのかな?

曜子さんは俺のドラマ知識を試しているんだろうなぁ。

くっそ、何のドラマか思い出せないのが悔しいなぁ。まだまだ勉強不足だ。

家に帰ったら北の国からを全部見直してみよう。


「もう一回聞くね。そのドラマの世界、行ってみたいのね?」


張り付いたような笑顔の曜子さん。ちょっと、なんだか、怖いよ。


「は、はい。行けるもんなら、ですけどね」

「わかった。曜子おばちゃんにまかしとき!」


おばちゃんは胸をドンと叩くと、着ていた赤いエプロンのポケットから、汚い棒のようなものを取り出す。

ずいぶん長い棒だ。本来ポケットに収まるような長さじゃない。

少なくとも30センチはあるだろう。

なんか既視感がある棒だ。ドラマで見たんじゃない、なんだっけ?


思い出した。

海外の超有名魔法映画シリーズに出てくる、主人公の青年が使う死の秘宝のひとつ「接骨木ニワトコの杖」に似ている。

でも、なんでそんな杖を曜子さんが?

U S Jのお土産だったりするのかな?


「じゃ、研一ちゃんがドラマの世界に行く魔法をかけるわよ。目を閉じて」


曜子さんは普段、ノリのよいおばちゃんだ。

冗談もよく言うし、野菜売り場のボスなのに偉ぶらないし、仕事もテキパキこなす。俺はけっこう曜子さんを信頼しているのだ。友達と言ってもいい。


きっと曜子さんはなにか面白いことでもやるつもりだろう、たぶん。

ここで俺のノリが悪ければ、曜子さんに悪い。

そう思って俺は言われるがままに目を閉じた。


「じゃ、行くよ。

魔法よ魔法、山本研一を『君の瞳に恋してる』のドラマユニバースに転移させたまえ〜」


プッ、思わず吹き出しそうだ。

ちょっとちょっと曜子さーん、ドラマユニバースに転移って何だよー。

そんなん聞いたことあらへんわ!

心の中でビシッとツッコミを入れつつも、俺は目を閉じたまま次の言葉を待つ。


「ピピルマピピルマ、プリリンパープルの、ピピテパピテプ〜!」


半濁音多すぎだし、いろんなものパクっているよ曜子さーん!

そろそろ声に出してツッコもうと思った次の瞬間。


俺の体はまるで何かに吸い込まれるような感覚に囚われた。


「(ヘッ、なんだ???)」


だがその感覚はほんの5秒ほどで消え去った。

何だったんだ、今の。


「曜子さん。もう目、開けてもいい?」


だが俺の声に反応したのは曜子さんでなく、若い男性の声だった。


「おい、何言ってんだよ研一。女の夢でも見てんのかぁ?」

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