時の針は動かさず
ろくろわ
吹雪く夜に新幹線は止まる
これは当分動きそうにもないな。と私は季節外れの大雪に足止めを食らう新幹線の中で、早々に今夜中に神戸へ行く事を諦めた。
既に新幹線に閉じ込められて一時間は過ぎただろうか。じっとして待つ事も携帯を見る事にも飽きてきていた。だが幸いな事に、私には新幹線に乗る前に駅構内の売店で買った週刊誌があった。
週刊誌の内容に然したる興味は無かったが、クロスワードの特集コーナーを見つけ、このページの為だけに買ったようなものだった。そして私が暇を潰す為、クロスワードの載っているページまで週刊誌を捲ろうとした時だった。
「私もその週刊誌買いました。その事件の犯人、まだ捕まっていないんですよね」
と隣に座る男が私と同じ週刊誌を見せてきた所から、私の興味は徐々にその事件に向かう事になった。いや、正確には彼の次の言葉を聞いた事で興味が湧いたのだ。
「実は私、その事件があった日。最初に現場に駆け付けた警察官なんです。
私はクロスワードのページを開くこと無く、表紙を飾っていた十年前の事件の特集を開き、隣に座る男に視線を向けた。
年は四十代と言った所か、座席に腰掛けている姿は特にこれと言った特徴もない普通の男だった。男は私が振り向いた事で「
「この感じだとまだ動きそうにないですね。それより先程この事件の警官だとおっしゃってましたが、関係者が事件の事を口にするのはあまり良くないのでは?」
私も適当な相槌を打つと先の話題に触れた。
「えぇ。ですが私はもう警官を辞めておりますし、その週刊誌と知っている事は大して変わりません。どうです?時間潰しにちょっと事件について話してみませんか?」
「関係者の話となれば週刊誌とは違います。良ければお話頂けますか?」
私は平然を装っていたが、内心は楽しみで仕方なかった。何でも現場の話が一番だ。それに私の職業が好奇心を止められないでいた。
「申し遅れました。私、小説を書いております作家の
佐平はどうぞどうぞとジェスチャーをいれながら、週刊誌の特集も組まれたこの事件の概要を話し始め、私は佐平の話を聞き始めた。
「この事件は暫くニュースでも取り上げられていましたが、大まかな内容はご存じですか?」
「えぇ何となく。十年前の十二月中旬頃、アパートの一室で男性の滅多刺し死体を外出から戻った家族が発見した。そんな感じだったかと」
「そうです。発見したのは当日七歳だった子供と近くの公園から帰宅した男性の妻が発見しました」
「確かこの事件って、被害者の男性が相当に悪い人で恨みを持つ人も多く、早い段階で容疑者も絞られているって言ってませんでしたか?それなのに何故いまだに犯人にたどり着けていないのでしょう?」
「そうです。被害者の男性は悪どい金貸しや恫喝、家庭内暴力など数えたらキリが無い程、悪評しか出てきませんでした。だけど今回の事件ではその容疑者が多く、かつ容疑者を特定するには証拠が足りなかったんです」
佐平はそこまで話すと、私の耳元に近づき周りには気付かれ無い程度の小声で続きを話し始めた。
「実は第一発見者は男の妻でしたが、私が駆け付けた時、部屋にはこのアパートに住む住人全員がいたんです。更にその住人達には全員、犯行時刻のアリバイがなく、皆が一応に被害者男性に恨みを抱いていたと言うおまけ付きで」
「それじゃあ」
「そうです。犯人逮捕に至らなかったのは疑わしきが人が多かったからなのです」
流石は関係者で元警察官と言うだけある。この情報は週刊誌には書かれていない話であった。もし仮に佐平が警官で無かったとしても、通常の事件で果たしてアパートの住人が全員事件があった一室にいる事があるのだろうか?そう考えると佐平の話の展開は気になるものがあった。
「アパートの住民が全員事件現場にいたと言うのはどう言う事ですか?」
「そうですね、まず事件のあったアパートですが、二階建てで一階に三部屋。二階に三部屋の計六部屋がありました。古いアパートでね、殆どの部屋は学生や浪人、水商売の女性が一人で住んでいました。家族で住んでいたのは被害にあった家族くらいだったでしょう。それで時系列で話すと、まず奥様が倒れている旦那を発見しました。奥様がその事に驚き声を上げた事でアパートの住民が皆集まりました。私は近くでパトロールをしておりましたが、奥様の叫び声が聞こえた為現場に駆け付け、事件を発見したと言う次第になります」
「そうなんですね。そう言えば凶器や犯行現場には何か残されていなかったのですか?」
「凶器は見つかっていません。犯行現場からは沢山の遺留品が出ましたが、何せ現場には住民全員の痕跡があり、事件と結びつけるには至りませんでした」
「成る程。つまり被害者には殺されるだけの理由があって、現場にいた人全員に動機があって、その全員に無実も犯行を証明出きる程の証拠もなかったって事ですね」
「そう言うことです」
私は佐平の話を聞きながら、無意識に自分の耳たぶを触っていた。考えをまとめる時の私の癖みたいなものなのだが、佐平の話を聞く限りやっぱり違和感が出てくる。私はそれを一つずつ確認する事にした。
「佐平さん、警察官って普段は二人一組で行動するものでは無いのですか?」
「基本行動はそうですが、近隣への警戒。簡単に言うとパトロールにはそれぞれに別れて一人で回る事もあります」
「そうですか。では、事件発見時は別々にパトロールしていたのですか?」
「そうです。私が現場を見つけた後に同僚に連絡しました」
「同僚の方が来るまで時間はかかりましたか?」
「いや、わりとすぐに来たと思うな」
「ちなみに佐平さんは被害者の方を知っていましたか?そして佐平さんは被害者宅の近くに住んでいましたか?」
私が急に質問をしたからだろうか、佐平さんは少し驚いたようだったが変わらずに答えくれた。
「まぁ被害者男性は当時、その近辺を警戒していた警察官なら誰でも知っているような男でしたので、勿論知っていました。それに私も確かに被害者宅の近くに住んでいました。港島さん凄いですね。どうしてそう思ったのですか?」
私は佐平さんが話しかけていた事を遠くに聞きながら、話をまとめていく。
「滅多刺しにされていたと聞きましたが、それは何処を刺されていたのですか?」
流石に佐平さんもここまでの質問が来るとは思っていなかったのか、少し表情が固くなったのがわかった。
「あまり死に方を聞きたがる人はいないと思っていましたが、港島さんは変わってますね。何か分かったのですか?」
「いえいえ、そんな大層な事は全然ですよ。何せ気になった事は解決しないと気が済まない性分ですから」
「いや、良いんですよ。そうですね、色んな刺し傷が背部や臀部にありましたね」
「臀部?それと刺し傷は背部にあったのですか?」
「えぇ、刺し傷はお尻に一ヶ所。他は全て背部。後ろにありました。直接の死因はその刺し傷の一つが心臓を貫いたことによるものでした」
「そうですか」
「港島さん?」
刺された場所や状況を聞き、私はゆっくりと自分の耳たぶを触りながら話をまとめていった。
気になった事は沢山あった。
一つ、何故多くの容疑者がいたのに犯人の特定に至れなかったのか。
二つ、何故事件現場にアパートの住民が皆、居たのか。
三つ、何故刺し傷が背部からだけだったのか。
四つ、何故刺し傷の一つに臀部のものがあったのか。
五つ、何故凶器が見つからないのか。
そうして、私は一つの仮説にたどり着き、そしてそれを佐平さんに話し出した。
「佐平さん、果たして本当に奥さんの声はアパートの住民を呼び寄せる程響いていたのでしょうか?」
「どういう事でしょう?響いていたから皆があの一室に集まったのではないのでしょうか?」
「幾ら古いアパートとは言え、叫び声が全ての部屋に届くでしょうか?それに外をパトロールしていた貴方にも届くでしょうか?」
「何を言っているんですか?私は確かに奥さんの声を聞いて現場に向かったんです」
「そうでしょうか?もし仮に声が聞こえたとして、皆から嫌われている男がいる家に住民が行こうと思うのかな?私なら関わりたくないと思う」
佐平さんは答えなかったが私は構わずに話を進めた。
「何故、被害者男性の刺し傷は背部に集中していたのでしょうか?普通、後ろから刺されたらこう、振り向いて身を守ろうとしませんか?」
私は佐平さんの方に背を向け、刺されたと想定し佐平さん手を掴みながら振り向いて見せた。
「こう振り向くとする。そうすると刺し傷は腹部などの前面にありそうなのですが前面には刺し傷が無かったんですよね?」
「それは、背部の一撃が心臓に届く致命傷で振り向く間も無く倒れ、更に追撃をしたから背部だけだったのでは?」
「それでは、何故、臀部に刺し傷があったのでしょう?普通確実に殺したいのであれば重要な臓器のある付近を狙いますよね?」
佐平さんは考え込むように静かに黙っていた。心なしか唇が震えているような気がする。まるでこの話をしたことを後悔しているような感じだった。
私はじっと自分の耳たぶを触りながらそのまま語りを続けた。既に佐平さんの反応には興味がなくなっていた。
「佐平さん、どうして犯人が見つかると思いますか?」
「………それは証拠があるからかな?」
「それもそうですが、私は犯行を隠そうとするから、嘘があるから犯行バレるんだと思います」
「と言うと?」
「嘘がバレなければそれは真実なのです。つまり今回の事件で言うと皆のアリバイが無い事も、皆が怪しい事も皆が容疑者である事も真実なのです」
「港島さんは何かこの事件に気が付いた事があるんですか?」
佐平さんの目は少し怯えていた。
「細かい事は誰にも分かりません。ただ、一つ全ての疑問に答えを出していくならこんな感じで事件が起きたのではと思うことはあります」
「もし良かったら教えて貰えませんか?」
「今回の事件ですが、結論から言うと男を刺したのは住民全員です。犯人とするなら皆でしょう。全員が各々に男を刺したのです。では、凶器は何か。それは男の家にあった包丁でしょうね」
「男の家にあった包丁は刺し傷と一致しなかったし他の住民の家の包丁や刃物とも一致はしなかったよ」
「えぇ、ですので犯行があった後に証拠を隠滅する時間や人が居たのです。それは貴方ですよね?佐平さん。おそらく、本当は事件直後に佐平さんは現場に到着していたはずです。そして現場を見て隠蔽するように指示を出した。血に汚れた住民達に着替えをさせ、汚れた服と凶器の包丁を回収し自分の家へ持ち帰ったんです」
「どうして私がそんなことをする必要があるんですか?」
「刃物が複数ある家庭はあっても一本もない家はそうは無いはず。普通、この現場を見るとその場にいる人たちが明らかに怪しい。だからこそ貴方はその事を逆手にとったんです。犯行現場には怪しいと思われる人の痕跡が山のようにあるのに、決定的な証拠となる
チラリと佐平さんを見てみるが、私の方を見ずに手を組み震えている。
「では、何が事件の発端となったのかですが、これは臀部の刺し傷が原因だと思います」
「何故、臀部の刺し傷が発端だと?」
「理由は分かりませんが、臀部に刺す必要があったんです」
「刺す必要」
「そうです。例えばお母さんがお父さんに殴られていた。とか」
「………港島さん、この話は止めませんか」
佐平さんは私の話を遮ろうとしてきた。だけど私はそれを止めるつもりはなかった。
「殴られるお母さんを守るため、七歳だった子供は後ろからお父さんを刺したんです。でも届かなかったんです。その背中には」
「港島さん!」
「当然、臀部を刺されたくらいでは人は死にません。恐らく怒り狂った男は子供の方に振り返ったでしょう。そして危害を加えようとする。母親に残された選択肢は一つしかありません。お尻に刺さっている包丁を抜き一撃で仕留めるため、その心臓に深く突き刺したんです。恐らくこの時点で男は絶命したでしょう。もしかすると母親が殴られる前に住民が皆集まり、男に何か話でもしようとしていたのかもしれません。兎に角、起きてしまった事件を隠す必要があった。恨みもあった住民達は七つの子を守るために自身達も男の背に包丁を突き刺していった。そして沢山の痕跡を残し、結果証拠としての特定が難しくなった。男は滅多刺しにされていたのかもしれないが、その実は一人一人による一刺しだったのかもしれない。そしてそれを聞いた貴方は皆の嘘を真実にするために、あえて怪しさを残したまま警察を呼んだんです。皆、アリバイが無い事も恨みがある事も、事件当日に部屋に居た事も真実を語っていたので当然ボロは出ません。唯一の嘘は駆け付けた時間と自分達が殺したと言う事実だけ。その事実も佐平さんが隠せば分かりません。こうして今回の事件が出来たと言うわけです」
佐平さんは私の話を聞き終えると、大きく息を吐き、いつの間にか前屈みになり縮こまっていた背を伸ばし、座席の背もたれに体重を預けた。
「港島さん面白い考察ですね。流石作家さんだけはありますね、荒削りですが私の話だけで良くそこまで広げれましたね」
小さな声だった。
「佐平さん、神戸の息子さんは今年十七歳か十八歳になりますか?そしてその子供は連れ子ですか?」
「そうですね、今年一七歳になりました。丁度十年前に家族になりました。今までずっと苦労していた妻と息子なんです」
「良い家族ですね。大切にしてください」
「えぇ、これからも守っていきますよ」
それから私と佐平さんは言葉を交わす事は無かった。人は隠し事をしているとついつい話したくなるものなのかもしれない。
私は彼らの止まった時の針を進めるつもりはない。あくまで私は佐平さんの話を聞き、小説のプロットを考えたに過ぎないのだ。
車窓から見える雪はまだ吹雪いていた。
東京発神戸に向かう新幹線はまだ発車しそうに無かった。
了
時の針は動かさず ろくろわ @sakiyomiroku
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