第10話 今日の夜は始まったばかりだ

 今日はついていると思う。


 部活終わりの金曜日の夜。

 鈴木翔すずき/しょうは、今から紫詩乃むらさき/しの先輩と二人っきりで街中に向かうことになっていたからだ。


 日曜日に先輩とはデートをすることになっていたものの、少しでも多くの時間、先輩と関われるのは実のところ嬉しい。


 今週の学校も終わり、解放された気分でテンションが上がってくる。




「お腹空いてない?」


 電灯で照らされ始めた夜道を共に歩いていると、右隣にいる先輩から話しかけられる。


「そうですね。空いてますね」


 学校を出た頃から、少々お腹が鳴っている。

 先輩と一緒であれば、どの店でもいい。

 どこかで食事をしたいと思う。


 けれど、今日は両親がいるはずだ。

 自宅に帰り、夕食分のお腹も開けておかないだろう。


「近くに丁度いいお店があるから、そこでもいい?」

「どういう場所ですか?」

「ファストフード系よ。あなたも、家に帰ったら夕食を食べるでしょ? 本格的に食べるとお腹が膨れてしまうし。そこなら程よくお腹を満たせると思うから」


 ファストフード系であれば手ごろに食べられる。その上、一時的な空腹を満たせると思った。






 会話していると二人は街中のアーケード街通りの入り口らへんに到着していた。

 その入り口を通り抜け、先輩が言っているお店まで向かう。


 一分ほど歩いたところで、先輩が立ち止まる。


「あの場所なんだけど」


 先輩は、その場所を指さしている。

 それはファストフードの中でも定番のハンバーガー店だった。


「あなたは、ハンバーガーは好き?」

「それは好きですね。逆に嫌いな人を探す方が難しい気もしますけどね」

「そうよね。私、こういうの好きで、一週間に一回はここに来ないとモチベーションが上がらないの」

「毎週食べてるんですか?」

「そうよ。あなたも普段からやっている日常的な事ってあるよね?」

「それはありますね。食事とは違いますけど。やっぱり、街中の本屋に、一週間に一回はいかないと何かモヤッとしますから」


 今の時代。

 本の類は歩いて書店に向かわなくとも、インターネット通販でも購入する事が出来る。


 けれど、画面上で本を見るのと、実際に本に触れて選ぶというのは全然違う。


 通販の方が楽だったとしても、翔は、高校生になった今でも定期的に書店に通っていたのだ。


「普段から書店に行くのね。ハンバーガーを食べたら書店にでもちょっと寄っていく?」

「寄れたら寄りたいですね。紫先輩も買いたい本があるんですか?」

「ええ、つい最近、新作が出たみたいだから。丁度いいし」

「わかりました、約束ですよ」


 先輩と約束を果たし。のちに、ハンバーガー店の入り口付近まで到着する。




 刹那、制服のポケットに入っているスマホのバイブが鳴る。


 こんないい時に誰からの連絡だと思い、確認すると母親からだった。


「すいません、紫先輩。家族から電話があって」


 翔は先輩に断りを入れて、電話に出る。


 母親曰く、金曜は仕事が忙しく一応帰れるらしいが明日の午前中になるらしい。

 今日の夕食はコンビニで買って、適当に食べておいてと言われた。


 会話を終えた翔はスマホをポケットにしまう。


「なんだったの?」

「今日は好きに食べてって。母親から連絡がありまして。母親は、父親が経営している会社で仕事をしてるんですけど。この頃、仕事が多いらしいんですよね」


 翔は、色々と親の事を話した。


「あなたの両親って、仲がいいのね」

「そうですかね?」

「仲がよくないと、一緒の環境で仕事もできないと思うわ」


 確かに、それはそうである。


 両親は仕事関係で、意見の食い違いで口論に発展する事はあるが、基本的に信頼しているから、そういう状況になるのだろう。


「ということは、今日の夜の分も食べられるって事よね?」

「そうなりますね」

「じゃあ、ハンバーガーでいい? あなたが別のところで食事をしたいなら、そこに合わせるけど」

「別にここでいいですよ。ハンバーガーを食べたいと思っていたので」


 ここは先輩に合わせた方がいい。

 先輩の事をもう少し深く知るためにも、先輩が望むことをしようと思った。


 以前の責任も。

 今日の件もある。


 翔の立ち位置的に、好き勝手言えるわけではないのだ。


 それに、日曜日には先輩と本格的にデートすることになっている。

 先輩をリードするにしても、彼女の事を深く知らないと意味がないと思う。






 二人は入店し、それから一分ほど待つことになった。

 金曜日の夜ということで、店内は少々混んでいる。


 店員から次の方と呼ばれ、二人はレジカウンターでメニュー表を見て、ハンバーガーを選ぶことになった。


 それから会計を終わらせると、番号の札を受け取り、辺りを見渡す。


 ハンバーガー店の一階部分には空き席はなかった。


 二階部分もあり、階段を上って向かう。


 二階だと半分ほど空いていて、自由に座る場所を選ぶことができたのだ。


「紫先輩は、あっちの席がいいですかね?」


 翔が示した先は、外の景色が見える席だ。


「そうね」


 先輩が承諾した感じに頷いたことで、一緒にその場所へと向かう。


 翔は先輩と隣同士で席に座る。




 五分ほどもすれば、ハンバーガーが届く。


 二人のテーブル前には、トレーに乗せられたハンバーガーのセットが置かれる。


 ごゆっくりどうぞと言い、女性のスタッフは立ち去って行った。


 ここのハンバーガーはデカいと聞いていたが本当に大きかった。

 メニュー表の写真と比較しても、かなりの大きさだ。


 夕食の代わりに食べようと思い、今回は比較的大きなサイズを注文したわけなのだが、これだと一瞬で空腹も満たせると思った。


「大きいですね」

「ええ……」


 翔が問いかけた時には、先輩は先に食べていた。

 先輩が手にしているハンバーガーのサイズも大きかったのだ。

 彼女は無言で咀嚼し、ゴクンとしていた。


「あなたは食べないの?」

「今から食べますけど」

「あなたのは、ビックテリヤキでしょ?」

「そうですね。新商品らしいですけど」

「私、まだ食べた事がなかったの。私のも少し上げるから、ちょっと味見をさせてくれない?」

「え、い、いいですけど。それだと間接的な口づけになるような……」

「……そ、そうね。だとしたら、口をつけていないところを食べさせてくれればいいわ。そ、それでいいでしょ?」

「そうですね」


 先輩は焦っていた。

 自分でもとんでもないことを口走ってしまったと、冷や汗をかいていたのだ。


 先輩はハンバーガーの事になると、深く考えられなくなるらしい。




 翔は思う。どんなにハンバーガーがデカくとも、普段から見慣れている先輩のおっぱいと比べれば小さく見える。


 なんなんだろ、これ……目の錯覚?


「まだ食べてないなら、一口だけならいいでしょ?」


 翔は一瞬、ボーッとしていたようだ。


 翔は急いでハンバーガーの袋を剥し、その先端を先輩に食べさせる。


 先輩は幸せそうな顔をしたのち、彼女も自身のハンバーガーを差し出してきた。




 今日の夜の出来事は今から始まったばかりだ。


 翔のテンションも、また一段階上がった気がした。

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