第7話 私はグリ下で、小さな救い主として活躍しよう

 私にできることは、やはり人を救うことである。

 イエスキリストのイエスはすべての人を受け入れる肯定の扉であり、キリストは救い主という意味である。

 私は歌で人を励ましてきた。私の歌により、自殺未遂から救われたという人もいたという。

 また、私の物真似をすることで、借金や家庭の事情など、現実の辛さから一瞬の間逃れられたという人もいる。


 さきほど、ホストを追いかけ無罪放免となった、私の元親衛隊の実年男性が私に声をかけてきた。

「せいこさんだろう。永遠のアイドル松木せいこさん。

 テレビに出なくなってから、二年になるね」

 私はさり奈の自殺以来、紅白歌合戦も辞退し、一般人の視聴するテレビ出演も辞退してきた。

 芸能人として注目されなくなった今、私はもう、かつてのスターとしてのきらめきは薄れつつある。

「ああそう言えば、貴方は私の元親衛隊の方ね。その節はお世話になりました」

 私は軽く頭を下げた。

「僕は今でも、あなたの歌を聞きたい。あなたの歌には、闇の中から導いてくれる一筋の光の道を感じさせるんだ。

 それが人に勇気を与え、ときとして狂おしいほど一人占めしたくなるんだ」

 私は即座に答えた。

「そう思って頂ければ、光栄です。

 しかし、今の私にはもうそんなパワーは残されていません」

 実年男性は、即座に首を横に振った。

「いや、せいこさんにはかつてのアイドル時代のような、パワーは薄れつつあっても、人生の辛酸をかみわけた落ち着きと、昔にはなかった貫禄のようなものを感じさせるよ。

 これからは、せいこさんに寄り添いながら、静かに見守っていきたいです。

 それだけ、せいこさんには母親のように頼れるものがあるんですよね」

 確かに私は、さり奈の母親であることには違いはない。

 天国でさり奈に再会するまでは、永遠の母親である。

 そうだ、これからは母親のように、人を救う歌を歌っていくことが、私の使命なのかもしれない。


 私はアカペラで、かつてのヒット曲を歌った。

 もう、かつてのように張りのある高音をだすことはできない。

 急に、元親衛隊の男性は頬を緩ませた。

「ああ、昔の青春時代を思い起こすよ。

 あの頃の僕たち親衛隊は、学校生活にうんざりしてたんですよ。

 あの時代は、体罰は当たり前で僕はよく教師から、出欠簿で頭を殴られたりしてましたよ。なかには、クラス中の前で、倒れるまで殴られてたなんて奴もいたくらいですよ。

 しかしそういった教師方にも、大なり小なり愛があって、僕たちが悪い方向に傾かないように、軌道修正しようとする心意気が伝わってきたことが、唯一の救いですね。今の時代なら、到底通用しませんがね」


 そういえば、私も歌手になりたいと言い出したとき、あのやさしかった亡き父親から平手打ちで殴られたものだったなあ。

 しまいには、テレビで歌番組も禁止されるほどだった。

 それでも、私の歌手になりたいという石のような堅い意思は、変わることはなかった。

 父親は、上京する時、空港まで見送ってくれた。

「お父さんと一緒に、今からでも帰るか」

 私は即座に大きく首を振り、帰らんと言った。

「そうか、上京してもいつまでも見守っているからな」

 そのときの状況が、なぜか一瞬よみがえってきた。


 私のかつてのヒット曲のなかには、もう昔のように高音がだせない曲もあった。

 でも、元親衛隊だった実年男性は拍手をしてくれた。

「心身共にビッグになったせいこちゃん。これからも、人の心を響かせる歌を歌ってよ。せいこちゃんの歌声は、人を勇気づけるよ。

 もしかしたら、ホスト狂の娘も救えるかもしれない」


 私には、まだ出来ることがある。

 それは、やはり人の心を救うことである。

 かつて大劇場をにぎわせた、スポットライトも着飾った客も親衛隊も、目の前には存在しない。

 あるのは、グリ下の大きなネオンとカートを片手にした、寂し気な表情の若者ばかりである。

 こういう人を歌で救いたい。

 もちろん、金銭的メリットがあるわけではなく、ヒットチャートとも無縁である。

 でもそれよりも、人の心を救うというもっと大きな使命が私には与えられている


「春色の汽車に乗って、海に連れて行ってよ

 タバコの匂いのシャツに そっと寄り添うから」

(赤いスイートピー 歌 松田聖子)

 この歌を歌い出したとき、十五歳くらいの少女が、不意に私に抱き着いてきた。

 足元がふらついている。オーバードーツなのだろうか。

 その後には、若い男性が追いかけてきていたが、すぐ警察に捕まった。

「えっ、俺、スカウトマンなんかじゃないよ。彼女が可愛かったからナンパしていただけだよ」

 警官は、すかさず言った。

「ウソつくんじゃないよ。スカウトマンというのは、スカウトした女性の売上の二割を給料として頂くことが仕事なんだろう。

 だから、スカウト女性が辞めないように、彼氏のふりをして、見張り尾行していたんだろう。手っ取り早くいえば、ヒモと同じだ」

 若い男性は、言い当てられたとばかり、頭をかいた。

 警官は、少女に言った。

「さあ、新しくできた施設を紹介するよ。

 ここは、若い女性が一人暮らしできる施設だよ」

 少女は、警官に促されるままに、施設名の書かれたパンフレットを受け取った。

と同時に、軽い罵声を浴びせた。

「どうせ、私は母親に捨てられた孤独な少女だよ。

 私の亡き母親は、松木せいこをうらやみ、憎むことが生きるエネルギー源となっていた。松木せいこは雲の上の人だとわかっていながらも、もしかしたら環境さえ変われば、松木せいこみたいになれるかもしれないという、一縷の望みを抱いていた。

 矛盾してるわ。笑っちゃうでしょう。ワッハッハー」

 私は、不謹慎とは知りながら、思わずつられるようにキャハハと笑ってしまった。

 この「赤いスイートピー」はおばあちゃんの大好きだった曲なんだよ。

 まあ、そのおばあちゃんも一か月前に、亡くなったけどね。

 そう、私は天涯孤独になっちまったの」


 私は感動した。

「あなたのおばあちゃんの世代にまで、私の歌が伝わっているのは光栄な限りです。ここで「赤いスイートピー」を歌わせて頂きます」

 私は少女の伴奏に従って、アカペラで歌い出した。


   「赤いスイートピー」(歌 松田聖子)

 春色の汽車に乗って 海に連れていってよ

 タバコの匂いのシャツに そっと寄り添うから

 なぜ知り合った日から 半年過ぎでも

 あなたって手も握らない


 I will for are you あなたについていきたい

 I will for are you ちょっぴり気が弱いけど素敵な人だから

 

 線路の脇のつぼみは 赤いスイートピー


 少女は拍手をしてくれた。

 華やかなスポットライトの代わりに、私は少女の心を救ったのではないかという希望が生まれた。


 少女は「私にも歌わせて下さい。母の大好きだったゴスペルを」


 私は主に触れられて 新しく変えられた

 イエスの御名をほめ歌おう 私は変えられた


 イエスの恵み イエスの愛 なにものにも代えられぬ

 主を愛して主に仕えよ 新しい心で

 イエスの御名をほめ歌おう 私は変えられた


 あっ、この歌、私が半世紀近く昔、通っていたキリスト教の高校で習ったゴスペルに間違いない。

 私はこれからは、神に仕える生き方をしていこう。

 そうすれば、天国にいるさり奈ともつながっていられるに違いない。


 私はこれから、週に一度、グリ下に通い、アカペラを披露することに決めた。

 私の持ち歌以外にも、神を賛美するゴスペルも勉強してご披露しよう。

 またマスメディアが騒ぎ出すかもしれないが、たとえ悪意のスキャンダルであっても、私はめげるわけにはいかない。


 さり奈は私の娘として、誇り高く生きることを常に意識していた。

 これからは、私が天国にいるさり奈に誇り高く生きることにしなければ。 

 このことが、元大スター松木せいこに与えられた、第二の人生であり、さり奈の最大のレクイエムではないかと、確信していた。


 (完結)




 


 


 

 

 


 

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元トップアイドルせいこの未来 すどう零 @kisamatuma

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