第6話 アイドルせいこはグリ下の救世主となる

 天国のさり奈に会えるのは、いつのことだろう。

 ふとそんな感傷に浸っていると、目の前の幸恵は私に頭を下げた。

「お見苦しいところをお見せして、申し訳ありませんでした。

 まあ、こんなことはこれで三回目ですね。三回目記念、ギャッハハハッ」

 私は思わずつられて、アハハと笑ってしまった。

「さーすが元、いや永遠のアイドルせいこさんは、人形のように陽気ですね。

 今から私の父、伝説のアウトロー親分のお涙頂戴話を致します」

 

 幸恵は急にしんみりした表情になった。

「私の父はね、世間では悪の根源、暴力団の親玉などと言われている人だけどね。

 実は、不倫のあげくの子だったんですよ」

 えっ、いわゆる二号さんの子供か。

 まあ人によっては、親父からの仕送りで大卒で活躍している人もいるにはいるが。


「私の父は、四国出身の実母の不倫の末に産まれた子だったの。

 しかし、相手の男性はろくに仕送りもしなかったわ。

 五歳の頃に実母が亡くなり、関西在住だった男性の親戚に引き取られたの。

 そこで父は、小学校も行かせてもらえず、ひたすら力仕事ばかりやらされていたの。山を二つも超えるような、ひどい力仕事だったというわ」

 そうかあ、義務教育さえも受けさせてもらえなかったのか。

 幸恵は、しんみりとした顔で話を続けた。

「だから父は文盲にならざるを得なかったので、仕事先でもよく叱られたり、叩かれたりしていたというわ。

 行き場のない父を拾ってくれたのは、その時代はまだ十人くらいの弱小の組だったの。のちに父が、一万人規模の大きな組に仕立て上げたけどね」

 私はただ、ポカンと口をあけて、この別世界、別次元の話を聞くほかなかった。

「だから父はよく私に言ったわ。

 親がいて、帰るべき家があり、学校に行かせてもらって、それでなおかつ非行に走るなんて考えられない。 

 ましてや暴走族など、全くの理解不能だ」

 確かに暴走族は、親がいて義務教育を受ける権利があり、ホームレスでもない。

 洒落た革ジャンに、改造バイクーぜいたくな存在でしかない。

 有名アウトロー組長にそんな過去があったとは、私には想像もつかなかった。

「私は父から、許すことを教わったわ。

 復讐したところで、相手がすべて悪いわけでもない。

 人はみな、自分の都合、神なんていないと言ったの。

 思わず私は『でも太陽は東から昇って西に沈む。これって絶対の真理だろう』と父に問うと、父は『その東と西、誰が決めたんだ?』」

 私は、太陽は昇りもしないし、沈みもしない。

 地球が太陽の周りを回転しているのよ。その地球からみて、太陽が昇ったり沈んだりしているように、見えるだけなのよ。

 そう言おうとしたが、口をつぐむ結果となった。


 すると、後ろから耳をつんざくほどの男性の奇声がまわりを覆った。

 幸恵は

「あの人、麻薬中毒ではないけれどね、ひどいオーバードーツなの。

 警察も逮捕することはできないわ」

 ふと、思い出した。

 あの奇声は、四十年昔にコンサート中に私を襲い、頭にケガを負わせた精神障碍者と同質のものである。

 幸い私の場合は、どんなに遅く帰宅しても待っていてくれる母に慰めてもらったが、すべての人がそうとは限らない。

 絶対に新たな被害者が現れる筈である。

 もしかしたらその被害者もショックの余り、オーバードーツになってしまうという危険性がないとはいえない。

 元アイドルとして、こんな事態を放っておくわけにはならない。


 夕焼けが沈んだかのように、急に日が暮れてきた。

 私は幸恵に帰宅するように促した。

 幸恵は最初は渋っていたが、これ以上いるとオーバードーツの被害を受けたり、売春に走ってしまうかもしれない。そうすると必ず悪党が忍び寄ってくる。

 悪党は、一度でも餌食になった女性を離すことはなく、どこまでも執念深く追いかけてくる。

 そんな話をすると、幸恵は黙って帰宅することを告げ、空を見上げた。

「そうね。さり奈さんが雲の上から見ているわ。

 日が沈んで暗闇にならないうちに、帰らなきゃね。

 あっ、さっき渡したノートはさり奈さんとお揃いで買ったものだけど、絶対に読んで下さいね」

 私は、バッグにノートをしまいながらも、幸恵がこれから、すこやかに生きてくれることを願った。

 このことは、天国に旅立ったさり奈の願いでもある筈だ。


 私は帰宅してから、早速幸恵からもらったノートを読み始めた。

 すると、さり奈の筆跡で

「私も幸恵ちゃんも、有名人の娘ということで、苦労もあるしいいこともあるけど、置かれた場所で花を咲かせたいな」

 今度は、幸恵からの返信で

「私の場合のいいことはね、悪党にひっかからなかったことよ。

 そりゃあ、私の正体(?!)を知ったら、みんなドン引きするわよ。

 そして、いろんなことを考えながら過ごすことができたことかな」

 その文章に対して、さり奈が詩を綴っていた。


 世の中という 狭い鳥かごから飛び出し

 自由に羽ばたくことができたら

 なんて 自分勝手な幻想

 

 見上げればいつもそこには いつも母の背中があった

 母のように 世の中に勇気を与えるプレゼンターになりたい

 今 私の隣にいる幸恵を元気にさせるぞ

 幸恵が健やかに生きてくれなきゃ 私後悔しちゃうから」


 後悔だけはしたくないというのが、私の口癖だったが、さり奈はそっくりその言葉を受け継いでくれていたのである。

 私の歌は、夢と希望と将来性を感じさせると言われたことがあった。

 そして私のスキャンダルにもめげない、いやスキャンダルを肥やしとして活躍している姿を見て、勇気をもらいました。

 職場のセクハラやパワハラに負けずに、生きていきますというファンレターを頂いたこともある。

 

 しかし、さり奈という命の半分を奪われた今、私は人に勇気を与えることができるだろうか?

 現在の私はもうアイドルといった年齢でもないし、アメリカでは私の歌ったジャズのCDが売上トップになったこともあったが、現在の日本ではご披露する機会も、そう与えられてはいない。

 私にできることは何なんだろう。

  

 ノートをめくると、そこにはさり奈と幸恵がペアで写っているプリクラが貼ってあり、さり奈の詩が綴られていた。


   ママへー初めて綴る言葉

 ママは私でさえも 追いつくことのできない 

 この世を羽ばたく 妖精のよう


 裏表がなくて いつもケラケラと無邪気に笑うママ

 私が人のグチを言うと

「それじゃあ、あなたがそんなことをしなければいいでしょう」

 これは親子代々 受け継がれてきた処世術

 ママはそれを守ることで 自分の心を守っていたのね

 

 私もママも のどを痛めそうな酸っぱい料理が苦手

 環境の変化に戸惑うこともあるけれど

 私のために 朝五時に起きて弁当をつくってくれるママを

 尊敬しています

 

 私の提案だけど、朝、顔を洗った鏡の前で

 〇月〇日、声を揃えてハッピーディー サプライズと唱え

 キャッハハハ さり奈 ママこそアッハハハーと二人で声をあげて笑おうよ

 これがママとの絆になるかもしれない

 私はいつまでも ママの娘として誇り高く生きていくつもりです


 最後の一行が妙に心に引っかかった。

 もしかしてさり奈が自殺したのは、誇り高く生きていくことができなくなってしまったからだろうか?

 自殺の原因は、今もって明確にはわかってはいない。

 失恋だという説もあるが、それも真偽のほどのわからない。

 いや、仮にそうだったとしても、相手の男性を責めるわけにはいかない。


 私はさり奈の分まで、人を救う歌を歌っていかなければという使命感にかられた。

 甘い恋の歌は、もう歌うことはできない。

 しかし、初めて見たグリ下の光景は、華やかなスポットライトや着飾った客席とは全く別世界であり、異次元のものだった。

 

 グリ下ではすでに甘い言葉にのって、オーバードーツになり、売春をしている人も少なからずいるという。

 なかには、ホストクラブの代金を稼ぐためにしているという。

 担当ホスト君だけが、自分の寂しさを埋めてくれる唯一の相手だという淋しい女性の心理は、私にもわからなくはない。

 もっともホストクラブに行ったことのない私の場合は、担当ホストなどではなく、どんなに深夜に帰ってきても、待っていてくれる母親でしかなかったのであるが。


 そのときである。

 ウェーッという二十歳前後の若い男性の悲鳴が聞こえた。

 見ると、頭の後頭部から血が流れている。

 犯人と疑われた実年男性は、逃げ去ろうとしたが、すぐに捕まってしまった。

 もっとも、被害者(?)と疑われた若い男性は、自らの手でアイスピックを頭の後頭部に突き刺し、いかにも被害者に見せかける演技をしただけにすぎなかった。

 実は犯人と疑われた男性は、わが娘を食い物にする担当ホストを亡きものにしようとしたという、哀れな父親だった。

 その男性の長女はホスト狂になり、五百万以上の借金を背負ってしまったという。

 そして長女は借金返済の手段として、風俗で働く羽目になったが、なんとホストは、その男性の高校生の次女にまで、手を伸ばそうとしているという話である。

 もちろん、実年男性は無罪放免となった。

 グリ下では、昨年の七月からこのようなホスト絡みの事件が、頻繁に起こっているという。


 ふと、見るとその実年男性は、四十年昔、トップアイドルだった頃のサイン会のとき、私と同年代のファンの客でもあり、サイン会が終了し、車で移動したにも関わらず、私を追いかけてきたストーカーまがいの困った親衛隊であった。

 困り切ったスタッフの提案で、私は空気穴の開いた段ボール箱に身を隠して移動することになった。もちろん、こんな体験は初めてであった。

 のちにスタッフから「やっぱりせいこさんは、人を惹きつけて放さない魔性のようなパワーがあるんだよ」と言われたときは、少々怖い気もした。

 もし私に、そのようなパワーがあるとすれば、それは神から頂いたものなのだろうか?

 しかし、かつては困ったファンだった男性が、今はすっかり娘思いの父親になっている。

 私はちょっぴり誇りを感じた。


 今の私にできること、人に与える影響はなんなのだろう。

 アイドル時代のように、スキャンダルまみれになることも無くなった今、私に注目してくれる人はいるのだろうか?

 そして、かつての親衛隊はどうなったのだろうか?


 


 

 

 

 


 


 

 

 


 

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