第5話 私も知らなかった娘さり奈の心情

 幸恵は自虐気味に話を続けた。

「お互い、スキャンダルの苦労はつきものね。といっても、さり奈ちゃんの場合は華やかさにつきまとう、影法師のような淡いオレンジ色のスキャンダル。

 それにひきかえ、もっとも私の場合は、黒に近い灰色のスキャンダルだけどね。

 夜の闇のような黒と朝日が昇るようなオレンジ、結構対照的よね」

 私は幸恵を励ますように言った。

「実は、さり奈も小さいときから友達をつくるヒマなどなかったの。

 週刊誌に追いかけられ、さり奈本人は私を気遣って言わなかったけど、やはりいやがらせはあったと思うの。

 だから私は、さり奈がこれ以上、マスコミの餌食になるのを避けるために、単身アメリカに旅だったの。

 最初は夫のまさしも、目をつぶってくれてたけど、徐々にそうでなくなり、すきま風が吹き始めたわ。やっぱり夫婦はいつも一緒にいるべきよね」


 幸恵は目を丸くして言った。

「仮面夫婦と言われていたことも、本当だったんですね」

 私は正直に答えた。幸恵にはごまかしや嘘は通用しない。

「私は持ち前のバイタリティーで、英語を勉強してジャズも歌えるようになり、アメリカではCD売上トップだったこともあったのよ。

 映画監督などいろんな人から評価され始めたわ。

 もちろん、さり奈のことを忘れたことはなかった」


 幸恵は答えた。

「今だから言いますがね。さり奈さんは、いつも母親であるせいこさんを愛し、思いやっていました。だから、いつもいい子でいなければならなかったんですね。

 さり奈さんは、私には親切でした。

 私も昔は、友達をつくろうとすると第三者から、アウトローの子とは付き合うなと陰口をたたかれたものですが、まあこのことは、別に私だけではなくて、外国人の子供や有名人の子供にもあてはまるんですよね。

 我が子を守ろうとする、世の中の偏見は結構こわいものがありますね」

 そのあと、幸恵は急ににっこりと笑いだした。

「ギャッハハハ。この事実は暗い顔をして、世間を恨んでいても、なんら変わるものではないんですよね。だったら楽しい方向に、進化していくしかないんですよ。

 まあ、何も考えずに過ごすよりも、いろんなことを考えて過ごした方が、頭もよくなりそうですしね。

 偏見をもたれようと、避けられようと、私は私。ネットに何を書かれようと、人の口に門は立てられない。

 しかし、どんな醜悪なスキャンダルでも、それを信じるか否かは本人次第ですよね。だったら私、スキャンダルとは全く違った私を演出しようと思ったの。

 自分の人生は自分のもの、人の批判とは別に、自分で生きるしかないんですよ。

代わりになってくれる代理人など、誰もいやしない。

あっ、せいこさんもそうだったでしょう」

 私は同感して、手を打った。

「その気持ち、私とまったく同じ。

 私もスキャンダルには悩んだわ。さり奈にまで及んだときは、頭に引退がよぎったこともあったわ。

 でもそんなとき、さり奈に励まされたの。

『私は歌っているときのママを尊敬している。ママの歌は、もう私だけのものじゃない。人に夢と希望と将来性を感じさせるの。

 ママの歌に励まされた人は多いはずよ。私もどんな辛いことがあっても、ママの声を聞いただけで、元気が湧いてくるもの。

 ママはいつも、幸せでありますようにと神様に祈ってたわね。

 私はそれを、真似てみたのよ』


 さり奈にそう言われたとき、私はハッとした。

 実はその当時は、私にも幸せの意味がわかっていなかった。

 だけど、今ようやくわかりかけてきたわ。

 神様のいう幸せとは、人間の欲やエゴイズムとは違って、心を神に向けて、神の御心通り生きていくことなのよね」

 幸恵はうなづきながら、持論を展開した。

「神様はその一人子イエスキリストに試練を与えたように、人間にも試練をお与えになるというわ。

 もしかして、大スターせいこさんは、スキャンダルという試練を与えられ、それを乗り越えることで、多くの人の励ましになっているに違いないと思うの。

 せいこさんの歌声は、一歩間違えれば闇へと続く暗い坂道に、光が射し込んだような明るく陽気で、そしてのん気ともいえる、甘い綿菓子のような歌声。

 それが落ち込んでいる人の、大きな励みになり、救いへ導くと思うの」

 せいこは答えた。

「そう言って頂けるのは、とっても光栄なことです。

 私は、人の悲しみや苦しみを一瞬、溶かすような歌を歌いたいと願ってきました。

 でも、今の私は恋の歌はもう歌えない。許されるなら、さり奈とデュエットできるような歌を歌っていきたい」


 すると幸恵は大きなトートバックから、ライトグリーンのノートを差し出した。

 あっ、このライトグリーン、さり奈の好きだった色である。

「このノートはね、私がさり奈さんに励まされたときに、書いた詩なんです。

 もちろん、せいこさんから見れば拙いものでしかありませんが、私の真心を書いた詩です。時間があれば読んで下さいね」

 私は、ノートを受け取ったお礼のしるしに、近くにあった自動販売機でノンシュガーの紅茶の缶ジュースを幸恵にプレゼントした。

「えっ、いいんですか。有難うございます。

 実はこのノンシュガー紅茶、さり奈さんが私に勧めてくれたのと同じものなんです。このおかげで、私はスリム体形になっちゃった。ギャハハハ―ッ」

 再び、幸恵はバカ笑いともいえるノー天気な笑い声をあげた。

 大口を開けたままの、少し間の抜けたような、人の好さそうな笑顔は、幸恵の父親である元アウトロー組長に似ていた。


 幸恵は今、このグリ下で更生活動をしているという。

 といっても、具体的に世話をすることなどは出来やしない。

 ただ、缶ジュースを片手に、話を聞くだけである。

 なぜか、幸恵は人の心を開かせるような魅力があり、なんとなく話を聞いてもらいたくなる。

 幸恵だけが、自分の心情をわかってくれるのではないかという、頼りがいのある姉さん的などっしりした存在感がある。

 このことも、幸恵の今までの苦労から生じているのではなかろうか。


 幸恵曰く

「人の口に戸は立てられない。人が自分をどう思うかは、相手の自由。

 しかし、自分の人生は自分のもの。

 相手を憎むのは、身の破滅につながる。憎みすぎると、自分がうつ状態になり、自分だけの檻をつくってしまう。

 それよりも人の心を理解するように努めた方が、クレバーになること間違いなく保証します。

 だから私、クレバーそうな顔つきしてるでしょう。ギャッハハハッ」

 私は思わず、幸恵に共感してギャッハハハッならぬキャーッハハハッ


 しかし、幸恵のノー天気な笑い声と相反するように、二十歳くらいのヤンキー風が近づいてきた。

 少し薄汚れたトレーナーに、しわだらけのチノパン。

 なんだか、日本酒の匂いが漂う。

「おい、極道の娘。お前は親父が人を泣かした涙で、ここまで大きくなったんだ。なにをのん気にバカ笑いしてるんだ!!」

 私は凍り付いてしまった。

 しかし、幸恵は場慣れしているのだろう。冷静に答えた。

「あなたが、私の父とどのような関係性だったのか、私は知るよしもありません。

 しかし、私には私の人生があります。

 それよりも、あなたのお名前をお聞かせ下さい」

 ヤンキー風は「お前ごときに、名乗る必要はない。慰謝料として今、ここで一万円払え。そして土下座しろ」

「もし、私の父があなたにご迷惑をかけたのなら、この通りお詫びします。

 あなたは、一度も人を傷つけ、迷惑をかけたことがないと言い切れますか?

 しかし、私個人はあなたに土下座をする義理もないし、一万円払う理由がなになのかわかりかねます。

 場合によると、恐喝罪ということになりますよ」

 すると、ヤンキー風は酒臭い息を吐きながら、去っていった。

 私は、この珍しい光景をただポカンと見ていた。


 私もアイドル時代、共演者の男性アイドルときちゃんのファンから、かみそり入りの手紙が送られてきたり、階段から突き落とされたこともあったわ。

「ギャハハハ、真っ逆さまのバカせいこ!!」

というバカげた怒声を、哀れなものとして受け止めていた。

 この子の将来は、どうなるのだろう。きっと哀れなものに違いないという暗い予感が一瞬胸をよぎったのを覚えている。

 思い出した。さっきのヤンキー風は、私を階段から突き落とした女性に似ている。もしかしたら、娘なのだろうか?

 としたら、私の予感通り、やはり不幸な結末が訪れたのだろう。

 しかし、いくら我が子が不幸な人生を歩むことになったとしても、生きててくれる、それだけで幸せなこと。

 さり奈は今、天国から見守ってくれている。私も早く、さり奈の元へ行きたい。


 


 

 

 

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