第3話 せいこは節奈の復讐心を阻止した

 竜太は、良治に万引きを命令したとき、良治の右目を殴って大けがをさせたをさせたことで、良治の友人たちから謝罪を勧められた。

 一応「すみません」と頭を下げたが、人気者だった良治の友人からひどい仕打ちを受けると邪推したのだろう。

 人気者だった良治への妬みから、竜太は不良二人と良治を川岸に呼び出し、殺害したのだった。


 竜太は、良治を深夜の公園の川に泳がせたあと、結束テープでグルグル巻きにしてナイフで四十箇所刺し、その死体をそのまま川に捨てた。

 なんとむごたらしい事件だろう。


 良治の母親、節奈は、明け方には帰宅するはずだと思っていた良治の訃報を聞いたとき、気を失いそうになり仰向けに倒れそうになったという。

 良治のクラスメートと地元の友達は、誰しも良治の死を悲しんだ。

 良治が殺された公園で「君は正義の人だった。君は人間らしい暖かい心の持ち主だった」という垂幕を張った。

 良治の殺害現場には、何か月間も花が添えられていた。


 話を元に戻そう。

 松木せいこは、グリ下で節奈に声をかけられたとき、自分と同じ匂いを感じた。

 お互いに、我が子を失くしてしまったという絶望と悲しみ、そして世間に対するちょっぴりの妬みと恨みである。

 母親である自分は、養育責任を果たすことができなかったのだろうか?

 いや、私も節奈も共働きであり、疲労と絶望に陥りそうになったときには我が子に励まされることもあった。

 私も節奈も、精一杯我が子を愛し、守ってきたつもりである。

 男性との恋愛もあったが、それも我が子があってからこそ成り立つものである。

 私も節奈も、毎日早朝に起きて、我が子のために弁当をつくっていた。

 そのあとで、自分の朝食をつくっていた。

 なのに何故、私の愛が届かなかったのだろうか?

 しかし、私の娘さり奈も、節奈の息子良治も、今は天国で見守ってくれているに違いない。


 そんな甘い幻想を打ち破るように、節奈は私に言った。

「私は良治を殺した犯人、竜太の死を見届けたいの。といっても、私が竜太を殺すわけではない。そんなことをしたら、殺人犯になってしまい、家族にまで迷惑を及ぼす結果となってしまう。

 ただ、竜太が良治が味わったのと同じくらいの恐怖と苦しみを味わわせる必要があるの。これくらいなら、神様も許してくれるでしょう」

 私はとっさに聖書の御言葉と母の教えを語った。

「聖書の御言葉に『復讐は人間のすることではなく、神ご自身のすることである。あなたは、自分の手を罪で汚してはならない』

 自分の手を汚すということは、やはり復讐は罪であるという意味ね。

 神様がそれに代わって復讐して下さるが、神様の復讐は人間の知識が及ばないほどど大きなものよ。復讐は神に任せるべきだわ」

 節奈は言った。

「そんなこと、とうにわかってるわ。ドラマでも復讐の結果、幸せになったという話は皆無よ。しかし、私の心がそれを承知しないの」


 せいこは言った。

「私の母はね、私が意地悪をされたことを語るたびにこう言ったわ。

『それじゃあ、あなたがそんなことをしなければいいでしょう』

 私が頭に軽傷を負わされたときも、答えは同じだったわ。

 犯人は、精神障碍者ですぐ捕まったけどね。

 犯人を責めるどころか『でもその子の親も辛かろうに』

 私はそこに母の強さを感じたの。

 母は、私が立ち直ることができると確信したからこそ、犯人の親をも思いやることができたのよね」

 私は節奈の復讐心を阻止しようとした。そうすることが節奈が不幸道へと堕ちていかない方法だった。

「許した方がラクですよ。神様が、代わって復讐して下さいますよ。

 良治君は、きっと今天国で節奈さんを見守って下さってますよ」

 だって私は元アイドル、人の心を癒すアイドルは、少なくても人の心を不幸道から救い出す必要があり、このことはアイドルの義務だと心得ている。


 人にとって最も難しいことは、許すことであり、同時に人のとっての最も大きなストレスは、許せないことだという。

 私は節奈を許す方向に、導かねばならない。


 それから三か月後、節奈は、息子である良治を殺害した犯人、竜太が少年院を退院するのを見届けに行った。

 といっても、もちろん凶器など持参している筈はない。そんなことをしたら、傷害剤と疑われてしまう。


 少年院を退院するとき、加害者である院生を見送ってくれるのは、たいてい母親一人だけだという。

 我が子が少年院行きを確定した時点で、離婚するケースは多いという。

「お前の躾が悪いからだ」と母親の責任にする父親は数知れない。

 ところが、竜太の場合は、見送りにきてくれる人が皆無だった。


 するとクリーム色のロングワンピースを着たロングヘアのマネキン人形のようなスタイルの人が現れた。

 竜太の恋人なのだろうか? 少なくとも身内といった感じはしない。

 もし身内なら、もっと地味な目立たない服装をしているだろう。


 竜太が、高い壁に囲まれた少年院から出てきた。

 ある意味では、竜太は高い壁により世間の冷たい目から守られてきたのだろう。

 やはり週刊誌で見た、中学の卒業アルバムの目を隠した顔と同じである。

 いや、その頃よりはやはり人相は悪くなっている。


 その瞬間だった。

 クリーム色のロングワンピースの女性が、竜太をめがけて駆け寄った。

 やはり恋人なのだろうか。

 竜太は一瞬、キョトンとした表情をした。そのときだった。

 いきなり女性が竜太に抱き着いた。と同時に、竜太の腹から血が流れた。

 まるで噴水のように、血が噴き出すほど、勢いよく流れ出た。

 節奈はとっさに、警察に届けねばならないと思ったが、足がすくんで動かない。

 ただ、この想定外の無惨な光景に立ちすくんでいるだけだった。


 二分ほどして、救急車がやってきて、竜太は血まみれのままで担架で運ばれた。

 犯人のワンピース姿の女性も血まみれのままに、すぐ逮捕された。

 節奈はこの信じられない光景に、これこそまさに神の罰だと確信した。

 竜太は、息子良治をナイフで四十箇所も刺したが、その報いを受けたに違いない。

 のちに竜太は即死し、犯人の女性は麻薬中毒だったということが、報道された。

 

 節奈は、これですべてが終わったと確信した。

 そしてせいこも、節奈が復讐をしなかったことに安堵した。

 やはり、私は永遠のアイドル、人を犯罪から救うのも私の使命。

 

 せいこは再び、グリ下を訪れた。

 私の救いを必要としている人が、いるに違いない。

 今の私は、マスメディアを賑わすスター歌手ではない。

 しかし、私は苦しんでいる人を、放ってはおけない。


 もうこの頃の若者は、私を知らなくなってしまったのだろうか。

 今から十五年まえから、私が登場しただけですごい騒ぎになったものだった。

 私はもう一般人に戻りつつあるのだろうか。

 ちょっぴり淋しいと同時に、人間らしく生活できるようになったという安堵感すらもある。

 有名人でいることが、スキャンダルにまみれたり、マスメディアから追いかけられたりして、薄氷を踏むような思いを常に強いられてきたことに比べれば、人間らしく生きられそうである。


 ふと、ベージュのミニワンピースにヒールの高い靴を履いた、いわゆる地雷ファッションの女性が私に声をかけていた。

 あっ、このワンピース、亡くなった娘さり奈のお気に入りのワンピースだった。

「松木せいこさんですね。私、さり奈さんの友達だった幸恵といいます。

 幸せで恵まれるなんてかいて幸恵ですがね。さり奈さんには本当に言い尽くせないほどお世話になりました。

 私、さり奈さんを亡くした今、何を心の支えにして生きていったらいいかわからない。でも、さり奈さんは、私が天国で道を踏み外さないように見守ってくれている筈だと確信しています」

 私は思わず

「このワンピース、さり奈のお気に入りだった。確か、渋谷で一緒に買いにいったことを、覚えているわ」

 幸恵はすかさず答えた。

「実はこのワンピース、さり奈さんに憧れて同じものを購入したんですよ。

 しかし、私を友達として接してくれた人は、さり奈さんが初めてですね」

 幸恵は、今までどんな孤独な人生を送ってきたのだろうか?

 さり奈が、足を踏み外さないように見守ってくれているとは、一体どういう意味なのだろうか?

 私には想像もつかなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 


 


 

 

 

 

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