第061話 風船爆弾

 シーとカイトが対峙する、左右をビルに挟まれた未舗装路。

 そのビルの壁に、広げた扇ほどもあるサイズの蛾が、点々と止まる。

 羽毛のような太い触角、黄色を基調とした毒々しい体色、芋虫のような太い胴体。

 加えて人並外れた視力のシーには、全身に棘状の体毛が広がっているのが見える。


「……チャドクガと言えば、卵から成虫まで毒の毛針を有する厄介者でしな。その能力を有したサン……。大きさや色合いからして……南方の種でしか?」


「そこまでわかるとは、うれしいですねぇ。各地に持っていた研究施設の昆虫たちは、投獄中にほぼほぼ死滅してしまったのですが……。この子たちは生命力が強く、運良く回収できたのですよ。あなたたちにとっては、運悪く……ですがね?」


「すると例の、有毒化させた渡り蝶はもういないんでしかね?」


「ええ、残念ながら。ですがあれは、五世代交配を重ねれば人為的に生み出せますから。いえ……いまの昆虫に近しい僕ならば、三世代でいけるでしょうか。ククッ」


「……やはり、輸送コスト皆無の生物兵器は、改国派も欲するところでしかねぇ」


「もちろん。すでに第一世代は仕込み済みですよ。三年後には、海向こうの要人を殺め、圃場や水資源を壊滅させる毒蝶が、世界中を渡りますよ!」


「……だそうでしが、? どう思うでしか?」


「なに……?」


 名前を呼ばれて馳せ参じたのは六日見狐。

 高下駄の足音を軽快に鳴らしながら建物の壁面を蹴り、でたらめな軌道の跳躍を繰り返しつつシーの隣へと並び立つ。


 ──カコンッ!


 百々目鬼が六日見狐へ、妖気を伝達して呼び寄せた。

 その表情はいかつく、体の左右で両拳を握り締めている。


「ふーむ……そうじゃのう。日本の戦史で言うところの、風船爆弾かの?」


「風船爆弾……でしか?」


「衝撃で起爆する爆弾を無人の気球へと積み、貿易風に乗せてバラまいた旧日本軍の兵器じゃ。やれ超級戦艦じゃ爆撃機じゃと兵器開発に勤しんだものの、海向こうの敵対国本土に被害を及ぼしたのは、その風任せの気球だけじゃ」


 風船爆弾、または気球爆弾。

 六日見狐の説明通り、第二次世界大戦において日本軍が唯一、アメリカ本土へダメージを与えたとされている兵器。

 一部試作パーツを除いてペーパープランに終わった、米国本土を爆撃可能な超大型爆撃機・がく

 その建造困難な鉄塊の計画と並立して進められた風船爆弾は、敗戦色濃厚となった日本がアメリカ本土に損害を与えた唯一のケースとして今日に伝えられる──。


「……犠牲になったのは、妊婦を含んだピクニック中の無辜の民。なるほど愛里……こっちの世界は、先達の儂らが世話を焼かんといけんのっ!」


 六日見狐が右拳に握り締めていた、貨幣サイズの物体を親指で弾いた。

 無色透明な、成人女性の親指の爪ほどの、湾曲した板。

 こちらの世界でコンタクトレンズを目指し、日々研究が進められている、上下の瞼に挟むレンズ……インナーグラス。


「ほれっ、頼まれておったブツじゃ! シノという伏し目の女からもろうてきた!」


 日本の明治晩期相当の文化レベルであるこの世界では、コンタクトレンズの開発はまず不可能。

 大きさも厚みも、眼球への深刻なダメージを抑えきれていない。

 しかしこの世界で唯一、そのインナーグラスを着用できる者が

 百々目鬼────。

 シーの左手に同居しているそのつぶらで大きな単眼は、異世界で発展途上中のコンタクトレンズ……インナーグラスにぴったりのサイズだった。

 六日見狐が指で弾いたインナーグラスを、百々目鬼は念動力で誘導し、自分の単眼へときっちりと装着させた。


 ──ピシッ!


 いま、人間の瞳に収まるはずのないコンタクトレンズの試作品が、百々目鬼の瞳へとジャストフィット。

 百々目鬼の眼球を保護する、透明で厚いシールドとなる。

 毒蛾の毛針で百々目鬼の目が傷つかないようにと、聡明なシーが巡らせた思索。

 それを成したところでシーが、トレードマークのレンズが分厚い眼鏡を外した。


「……この勝負、微細な毒毛針一本一本が危ういでしな。百々目鬼ちんの瞳をしっかりガードし、あちしは……裸眼で勝負でしっ!」


 分厚すぎるレンズを備えた、シー愛用の眼鏡。

 強力すぎる視力を抑えるために、特殊なレンズで作られている。

 外した眼鏡の中から現れたのは、大きな黒目がちな瞳。

 レンズの特別な構造によって、眼鏡着用時はその黒目が渦巻き状に湾曲していた。


「この眼鏡を外すと、あちしの視力は四・〇から八・〇へ……でしっ! さあその毒蛾の毒針……すべて見切ってやるでしっ!」

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