第053話 陸と海の戦姫(3)

 ──担架に載せられ、救護所へと運ばれる。エルゼル。

 そのわきでは、抗菌帽と抗菌マスクを身に着けたリムがあたふた。

 麗人にして強豪剣士のポンコツ姿に、周囲も唖然。

 その中でフィルル、涼しい微笑。


「……さて。そろそろ用件伺いましょう、アサギ」


 開戦時刻の十四時、その二十分前。

 やや西へ下った太陽が作る、短い人の影。

 フィルルの背後へわずかに広がる、長身とボリュームある巻き髪が生み出す菱形の影の中に、小柄な少女の姿。

 加勢として合流した、闇に生きる者・くノ一の、アサギ──。


「さすがはフィルル。あの程度の騒ぎでは欺けぬか。見事」


 あの程度の騒ぎ、エルゼルの車両事故。

 パトカーが壁にぶつかる轟音を利用して、アサギは瞬時にフィルルの影に紛れた。

 しかしいまフィルルの右手は、右腰の鞘のロックを解除し終えている。

 アサギは背後へと飛び退けば首を落とされ、宙へと飛べば両脚をまとめて切断。

 前に進んで斬り込めば、フィルルは振り返ることなく抜いた剣を刺突させる──。

 その間合いに入っている。


「出会ったときの仕返しを……と思ったが、さすがにそちらも伸びているか。ふっ」


「いえいえ、あなたの隠身の術も見事。もう少し日が落ち、影が伸びていれば気づけなかったでしょう。フフフッ」


「さすがに一軍の将ともなれば、褒めて伸ばすも覚えるか。人をゴキブリ呼ばわりしたあのときとは、別人のようだ」


「……あなたは相変わらずの、少年のような様。でもわたくし、嫌いじゃなくてよ。して、何用でしょうか?」


「あの工廠内に、カイト……。カイト・ディデュクスがいる」


「カイト……? まさかっ!?」


 アサギの顔から笑みが消え、黒い短髪が思わせる少年の顔つきから大人の女へ。

 フィルルは口を小さく丸く開けて、動揺。


「カイトって、毒蝶の……でしょう? 彼はもう死刑に処されたはずっ!」


「半年ほど前に脱獄している。わたしたちの調べでは、改国派の将校による手引き……。脱獄の報は新聞にも載ったが、知らなかったのか?」


「え、ええ……。半年前に、城を離れたことがあったもので……。恐らくそのときの出来事なのでしょう」


 半年前、令和日本での戦い。

 フィルルが転移したのは二日弱だったが、四倍差の時間の流れがあるこちらでは、十日ほどが経過していた。

 その間の新聞にはフィルルは目を通しておらず、転移組でその報道を知っていたのは、バックナンバーにすべて目を通しているシーだけであった。

 シーは毒蝶事件も把握してはいたが、脱獄の記事は日本帰りの慌ただしい時期の斜め読みだったため、関連づけることができずにいた。


「奴は工廠エリア中央、ガスカ社ビルのそばの研究施設にいる。わたしも見、そして奴にも気取られた。恐らく奴は……フィルル、おまえへ復讐してくる」


「ま……待ってくださいなっ! 彼は毒の鱗粉で、両目を失ったはず! 軍が欲する人材では…………あ、いえ……」


 そこでフィルルは口ごもった。

 自軍には異眼のシーをはじめとする、異能力者が数人。

 日本でも見た、天音、山田右衛門作、下僕獣などの異端の存在。

 元よりカイトも、人心を操る異眼を持っていた一人。

 加えて有毒の渡り蝶を、交配で作り出せるほどの昆虫学者──。


「……そうでしたわね。あの毒蝶は、輸送コスト皆無の化学兵器……。海をも越えられる生物兵器……として、生み出されたもの。改国派がカイトの知識を欲しても、なんら不思議はありません」


「それから奴は、航空機の設計者とも接していた。わたしが盗み聞きした限りでは、ただの雑談のようだったが……。おまえたちが懸念している、爆撃機……というやつに、一枚嚙んでいるんじゃないか?」


 ──「そうかっ!」


 二人の会話に、傍聴していたネージュが逼迫の顔つきで割って入る。


「ウイング・ユニット……。わたしたちセイレーンはアイドルグループゆえにそう呼んでいるが、海軍内での呼称は……虫のほうのはね。もしもその昆虫学者が、研究開発に携わっていたならば……だ」


 ネージュが右拳を固く握り締め、怒りで眉の端を吊り上げる。


「ステージ衣装として供与されたウイング・ユニットで、わたしたちは飛行テストを日々繰り返した……! あのデータが、爆撃機の運用に使われていたとしたら……。わが海軍特務部隊・セイレーンは…………海賊の手下っ! くうっ!」


 愕然と肩を落とすネージュ。

 その右肩をフィルルが、やや強めの握力で握り締めた。


「爆撃機を処分する理由が、一つ増えただけのこと。ただそれだけですわ、フフッ」


「フィルル……」


 フィルルが空いている手で、アサギの肩を叩く。


「……アサギ、あなたも加勢の身。決して無茶はせぬよう。なにしろあなたには、わたくしの結婚披露宴の祝い酒を頼んでありますからね。フフッ……」


「その約束、もちろん憶えている。酒蔵の再建も順調だ。そう言えば、結婚相手の彼は元気か? 確かいま……十三歳、か?」


 ──バババッ!


 突如、ネージュがフィルルの手を払いのけ、勢いよく退いた。

 その表情は、驚愕と恐怖に満ちている。


「じゅ……十三歳と結婚だとっ!? フィルル……おまえっ!」


「あ、いえ……。それには、いろいろとわけが……。あの、その話は、長くなりますので、戦いのあとで……あわわわわっ!」


 フィルルは十六歳で必ず死ぬ奇病を患っている少年を勇気づけるため、仮という形で婚約を交わしている。

 アサギへ披露宴の祝い酒を頼んだのは、それ以前の話。

 決してフィルルにやましさはない。

 しかしいまの話は、開戦を控えて士気高まる陣地全体に、一気に広まってしまった────。

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