第050話 一生懸命【⚠残酷描写有り】

 ──行軍の末尾近くを走るトラック数台。

 騎馬や馬車の視界を遮るため、後方に配されている。

 しかしいざ敵襲となれば、行軍の左右、あるいは前方へと躍り出て弾除けとなる。

 その一台に、イッカ、ディーナ、ナホ、そして研究團のムコが乗り合わせる。

 さらにナホが纏う武装重鎧も。

 敵襲撃時にはその重鎧を纏って、戦線に立つナホ。

 その顔は青く、萎み、さながら車酔いで嘔吐寸前の様相。

 隣の席のイッカが、ジト目の端で怪訝そうにナホを睨む──。


「……ちょっと。吐くなら離れた場所でお願いよ?」


「あ、いえ……。車酔いじゃあ……ないんです。ただ、その……。この先で、また……ひ、人を…………するんじゃ、ないか……って」


「……まだ引きずってるの? その降下兵は爆雷による自爆だったんでしょ? あなたはそれを回避しただけ。これで何度目だっけ?」


「何度でも……何回何回でも、そう言ってほしい……です。そうじゃないと……わたし、おかしくなっちゃいそうですから……」


「……ふぅ。あたしはあなたの蓄音機じゃないんだけれどね」


 両太腿の間でギュッと組み合わせている両手を、さらに固く繋ぎながら、ナホが押し出すようにして声を漏らした。

 その脳裏では、爆雷によって吹き飛び、血肉を撒き散らした女性の降下兵の末路が克明に再生されている。

 イッカが腕を組んで口を真横に閉じ、瞳を伏せてノーリアクションの構え。

 降下兵へと城塞内の侵入経路を漏らしたディーナも、ナホを慰める資格なしと己を断じ、荷台のグレーの天井を無言で見上げ続ける。

 ムコは背を伸ばして膝を合わせ、折り目正しい着席を維持。

 俯くナホのつむじを、真顔でしばらく見たのちに口を開いた。


「五歳前……くらい、だったと思う。怖い顔をした父に、無言で腕を引かれた」


「…………えっ?」


「あのときの腕の痛みは、まだうっすらと残ってる。その父はもう、蟲に食われていないけど」


 山の住人、山窩イルフのムコ。

 本来の家族を蟲に奪われ、とある山村の老婆の家と、村民の庇護の下で育った。


「父に連れていかれた先では、一頭のシカが罠に掛かっていた。雌の成獣。首には固い縄の輪が巻かれ、そこから伸びた一本の縄が、シカの頭上の太い枝を折り返していた。滑車のように……」


 ムコが徐々に前傾姿勢になり、指を絡めてながら、両膝頭へ両肘を乗せる。

 その所作と連動するようにナホ、そしてイッカとディーナの顔がムコを向く。


「父はその縄を引いて、シカを立たせろと言った。初めての、狩りの手伝い……。わたしは自分が大人として認められたようで、喜びながらその縄を握った。いまでさえ、大人になりきれていないのに……ふっ」


 普段は口数少ない少女の、長い語りと自嘲じちょう

 それが次第に周囲三人の少女の、呼吸のペースを鈍らせる────。


「シカは……重かった。そして力強く暴れた。でも、滑車の原理でなんとか持ち上げられた。自分よりは絶対に重い。けれど大きな父よりは軽い。たぶん、母と同じくらい……。わたしはそのとき、母をも持ち上げられるほどに自分は強かったんだ……などと思った。次の瞬間……」


「「「……ごくっ」」」


「首を吊られ、後ろ脚で立たされ、無防備な腹側を見せていたシカの胸へ……。父が勢いよく山刀やまがたなを刺した。シカが激しく鳴いた。みんなは、シカの断末魔を聞いたことは……?」


 ──ふるふるふる。


 三人が同じリズムで、頭を左右へ数回往復させる。


「──キュウウゥウウゥウウンッ!」


「「「ひっ……!?」」」


「……いまのは、かなり似ていたと思う。でも、もっと甲高かった。ラネットほどではないものの……山中に響き渡るほど大きかった。それからまるで、父の立ち小便のように……血が放物線を描いて噴き出した。見る見る血溜まりができて、わたしが掴んでいる縄が、じわじわと軽くなっていく。わたしは幼心に思った。この手の中の感触は、命が軽くなっていく感触。死の……感触」


 あたかも懺悔のようなムコの過去語り。

 しかしその顔色にも、表情にも変化はない。


「体の容積よりずっと多いんじゃないか……というほどの血溜まりができて、シカが絶命。そこで父がわたしから縄を奪い、シカの死体を幹にくくりつけて解体を始めた。それからやっと、口を開いた。『シカの内臓の大きさは、人間とほとんど同じ』だと────」


「……うっ!」


 ナホの脳裏に、またも降下兵の爆死の映像が浮かぶ。

 喉の奥に、胃酸のすっぱさが競り上がった。

 しかしムコの話に息を止めて聞き入っていたのが幸いし、嘔吐は免れた。

 両手を口で塞いでいるナホから肩を離しながら、イッカが話の続きを催促。


「それから……どうしたの?」


「……ん? そういう話……という話だ。終わりだ」


「どういう話なのよっ! シカの殺処分、詳しく聞かされただけじゃないのよっ!」


「だから、人間とほぼ同じ大きさのシカの命を、幼いわたしが奪ったという話だ。あえて付け加えるなら、血の匂いを嗅いでオオカミやクマが来るから、解体は手際よく……」


「シカの命も人間も命も、同じ重さだって言いたいわけ……ね。あっちの世界の牧場の飼育員も、同じこと言ってたけれど。どこにも似たタイプはいるものだわ」


 令和日本での、拾体の下僕獣との戦い。

 長崎市の稲佐山公園に出現した両獣・悪喰あくじきを倒すため、施設内の牧場のシカを撒き餌にしようとしたイッカは、飼育員から激しく抗議されている。


「……でも、ま。あの飼育員のおかげで、戦姫團に機動部隊が新設されたわけだし。結果オーライだったのかしらね」


 イッカは掌でナホの肩を押し離しながら、会話を離脱。

 そのタイミングでディーナが挙手をし、会話に参加────。


「わたしはナホの言いたいこと……わかるです。漁では大魚の血抜き、やってたですから……」


 血抜き。

 獣も魚も死後、血管内で血が凝固すると肉質が激しく落ちるため、生きている状態で血が抜かれる。


「命はどれも……一生懸命です。命のやりとりをする以上は、俯かず一生懸命であれ……ということですね? ムコ?」


「たぶん、そういうことを言いたかったのだと……思います。山窩イルフは無口なたちですし、の村も年寄りが多かったので、同世代相手の話は苦手です……ふふっ。そう言えばラネットから、こういう話を聞いています」


「なんです?」


「彼女の師匠は蟲のおさを倒したときに、『あなたがこの世界の一員になるには、死んで土に還るしかない』と哀願したそうです。蟲という生物の一生懸命に、正面からぶつかっていたんだと、ラネットは言ってました」


「相手が一生懸命であることを認めた上で、自分の一生懸命を貫く……ですか。簡単なような、難しいような……です。あっ……ナホ?」


 ナホが生唾を飲み込んで胃酸を押し返したあと、席を立ち、移動中のトラックの中で武装重鎧を纏い始める──。


「工廠地帯へ着く前に、敵襲があるかもしれませんから……。臨戦態勢にしておきますっ!」


 目を保護するヘルメットの金網の向こうにある両眼りょうまなこからは、迷いもひるみも消えていた────。

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