第014話 ネージュ・スコルピオ
「ここまでありがとうございましたっ! 城塞への加勢、頼みますっ!」
丘陵地中腹の平坦地で停まった、セイレーンの馬車。
馬車馬の小休止と水分補給も兼ねて、一旦全員が下車。
休耕地一面に咲いた小さな花を一同が踏みしめ、馬車馬が細い水路の水を飲む。
ピークまでは足で登るというラネットに、隊長が代表して返事。
「うむ、頼まれた。しかし……きみがあのクリスダガーを一人で墜とすというのは、やはり信じ難いな。ユーノが保証しているとはいえ……」
「正確に言えば、二人で……ですけどね。それに、墜とせるかどうかはわからないんですけど……やるだけやってみます。あははは……」
「フフッ……きみの笑顔には、嘘がない。信じるよ。そう言えば、名乗りがまだだったな。わたしはネージュ・スコルピオ。特務部隊・セイレーンの隊長を務めている」
「ご挨拶どうも! でも……あれっ? セイレーンのリーダーって……海軍の機関紙で見たときは、眼鏡掛けてなかったような……」
「ハハッ、そのとおり。アイドルとして活動しているときは、裸眼だ。眼鏡は世間受けが悪くてな。戦姫團の後追いアイドルグループとしては、少しでも人気を削ぎたくないのだ」
「えーっ……。眼鏡なんてむしろ、アクセサリーのうちだと思うんだけどなぁ」
「世間が皆、ラネットくんのようだと助かるのだがな……フフッ。インナーグラスという、上下の瞼に挟んで使用する小さなレンズを開発している企業もあると聞くが、実用化にはほど遠いようだ。ゆえにわたしは、この先も裸眼スタイルだな」
「あっ! コンタクトでしたら、お師匠の世界で…………おおっと!」
異世界の技術の産物、コンタクトレンズ。
ラネットたちはその一種、カラーコンタクトレンズを悪用して、変装による替え玉受験を行い、入團試験合格直前まで上り詰めた。
チームとんこつ一味では変装道具という認識が強いコンタクトレンズだが、ネージュからすれば喉から手が出るほどの、切実に得たい一品。
しかしこの世界の文明水準でコンタクトレンズを作れば、レンズは分厚く、直径も大きくならざるを得ず、それでいて恩恵は低く、眼球への深刻なダメージを引き起こす代物となる。
その粗悪な製品、インナーグラスを製造会社から軍が買い取り、視力を理由に徴兵を逃れる者へと無理やり装着させ、視力減退や失明のリスクを無視して兵の頭数を増やす策略が、かつてこの国で進められていた。
いわば非人道兵器のインナーグラスの
不自然に言葉を中断してしまったラネットは、慌てて己の両手で口を塞いだのち、苦笑いで会話を仕切り直す──。
「……そ、そうなんですかー。でも、眼鏡は眼鏡で、似合ってれば魅力的だと思うんですよねー。リムとか、セリさんとか……」
リムというワードに反応したイザヴェラの全身がピクンと震え、ラネットの右腕へと体当たりするようにしがみついた。
「そ……そうなんですっ! 自分、サイン会で実物のリム先生をお見掛けしたときから、眼鏡の女性のよさに目覚めたのですっ!」
「ひいいっ!?」
「その後近視になろうと、漫画を暗がりで読む日々を試してみましたが……。視力はいまだに二・〇なりっ! ああっ! このひたすら健康なわが身が憎いっ!」
「いや……わざわざ健康を害する生活もどうかと思うし……。あときみの人生、どこかで大きな反動が来そうな気がするなぁ。ははっ……」
「では、リム先生へのご紹介の件! なにとぞよろしくお願いしますっ!」
「う、うん……。ここまで便乗させてもらったしね。借りは返すよ」
そのやり取りを傍で聞いていたミオンも、ラネットの左腕を胸の谷間に挟むように抱き着き、全身をその側面へと密着させた。
「あ、あの……! この件が片づいたら、わたしとも会ってくださいねっ! ここまで便乗させたお礼に、お食事にでも誘ってくださいっ!」
「えっ……? いや、きみの場合はもう、お礼先払いしてる気がするんだけど……。ほら、街の階段でさ……」
「あ、あれは……運命の出会いタイムの出来事で、貸し借りなどとは無縁な、崇高なひとときではなかったでしょうかっ!?」
「……はいはい。きみも自分の主張は曲げないタイプみたいだね。落ち着いたら、うちのとんこつラーメン屋へ来て。替え玉無料でおごっちゃうから」
やじろべえのように、左右の二人から引っ張られるラネット。
それを見ながらネージュは、眼鏡のブリッジを撫でつつ微笑。
少し離れたところで軍馬の背の汗を拭いている副隊長へと、顔を向ける。
「フフッ……。どうやら彼女はマヤと同じで、女子に好かれる女子のようだな」
「あ~、そうですか~? まあ女子に好かれる女子にも、好かれてうれしい女子と、そうでない女子がいますからね~。わたしは後者ですから、お忘れなきよう!」
二頭の軍馬と近い黒栗毛の頭髪を持ち、その軍馬たちよりも長いポニーテールを持つ、化粧っ気のない精悍な顔つきの太眉少女が、ネージュへと大きな動きで振り向いた。
ポニーテールが宙で輪を作り、その内側で先っぽの毛が螺旋状になる。
「……ところで隊長、チャオが右前脚かばってるような動きしてるんですよねー。一応湿布巻いときますけど、荷物……ちょい減らせませんか?」
「チャオは……手前のほうだったかな?」
「こちらは妹のリットですっ! いつになったら覚えてくれるんですかぁ、もぉ!
「わ……悪い。善処する。しかし荷物は、すでに必要最低限。あとは、幌を部分的に切り取るくらいしか……」
ネージュが馬車の幌に目を向けて、腰の鞘へと手を伸ばす。
その二の腕を、ユーノがそっと握り締めた。
「ククッ……でしたらわたしが降りましょう。少々遅れますが、ここから森伝いで城塞入りします。当面下りですしね、苦ではありませんよ」
「……そうか。ではここは、忍の体術に甘えよう。少しでも馬脚を速めたいのでな」
「それより隊長……。言い出しっぺのわたしが心配するのは筋違いかもしれませんが……本当にいいのですか? 飛行船を墜とさせて?」
「羽ならば、この戦いが終わったあとでまた造ってもらえばいい。無理に奪還する必要はない」
「いえ、そちらではなく……。スコルピオ少尉の搭乗が、懸念されますが……?」
「……先ほど宣言しただろう。クーデター一派とは、袂を分かつ……と。もし乗っていたならば、自ら手を掛けずに済んで良し……としなければ」
「心中……お察しします。それでは」
──タッ…………ザッ!
軽く地を蹴ったユーノが、そばの木の枝を掴んでから、スムーズに樹上へと移動。
太い枝を両足で蹴って、森の中で樹上伝いの移動を始める。
「……相変わらず見事な体術だ。さて、われわれも行くぞっ!」
「「「はっ!」」」
それまでラネットにくっついていた二人も、ネージュの一喝ですぐに離れ、馬車内へと乗り込んだ。
マヤが軽々しく跳躍し、運転席へとヒップを的確に落とす。
ネージュは高々と掲げた片脚を馬車後部へと掛けながら、ラネットへと一言。
「……飛行船の対処、よろしく頼む」
「あ……はいっ! 任せてくださいっ!」
──ピシッ!
馬車馬を打つ鞭の音。
それを合図に馬が走りだし、ネージュが馬車へと乗り込み、ラネットが山頂へと駆けだした──。
(※注1)「糸目令嬢剣戟譚」第038話 今宵、樹の靴を脱ぎ捨てて(8)
https://kakuyomu.jp/my/works/16817330649424280144/episodes/16817330650353255938
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