第017話 通行証

 ──麓町、ナルザーク城塞登り口。

 海軍特務部隊・セイレーン一行を載せた馬車が、いよいよたどり着く。

 馬車内奥にある掌大の覗き穴から前方を見たネージュが、小さく息を吸う──。


「……フフッ。城塞までの通行証が、向こうから来てくれている。素直に入手させては、くれそうにないが……な」


 眼鏡越しの視線の先には、クーデター一部隊の捕縛を終えたエルゼルの姿。

 馬車をきつく睨みつけ、松葉杖を握る左腕に力を込めている。

 ネージュは覗き穴からマヤへと命令。


「……速度を落とし、かの麗人の前で停車」


「了解っ!」


 進みを緩めた馬車の後部から、ネージュが跳躍で降車。

 両手を体の左右に下ろした姿勢で、馬車馬と並んで歩く。

 駆けつけていた警官数人が、警棒を構えて馬車を囲む。

 その囲みの後ろでは、ネージュの海軍服を見たルシャが「へへっ、もう一暴れできそうだぜ!」と内心でほくそ笑み、木剣を体の前で構えた。

 やがて馬車が止まり、ネージュがエルゼルまで二メートルの位置で踵を揃えた。


「海軍特務部隊・セイレーン隊長、ネージュ・スコルピオです。クーデター一派を討つため、陸軍戦姫團へと加勢に参じました。道を開けていただけますか? エルゼル・ジェンドリー様」


 軍人の顔で、臆することなくハキハキと述べるネージュ。

 その間警察官たちが馬車内を覗き込み、内部のミオンとイザヴェラの動きを牽制。

 己の名を告げられたエルゼルは、不敵な笑みを浮かべながら顎を軽く上げる。


「……自己紹介はいらぬようだな。利発そうな顔をしているが、こういう場では両手を掲げ、無抵抗の意思を示せ……と、教わらなかったか?」


「この先へ進む……と、申しました。投降の意思はありません」


「なるほどな。して、海軍服のきみたちが、このお縄についている連中とどう違うのか……証明できるのかな?」


 胴体を麻縄できつく縛られた部隊長の後頭部を、エルゼルが松葉杖で小突く。

 あぐらをかいた姿勢の男は、物欲しそうな視線を無言でネージュへと送った。

 「俺は同じ海軍の上官。即刻救出せよ」────と。

 意を汲み取ったネージュが、首をわずかに左右へと振る。


「エルゼル様。その男の首を刎ねてみせる……というのは、ダメでしょうね?」


「無論だ。たとえこの連中全員の首を刎ねたとて、信用せぬぞ? 皆、死を覚悟の上で来ているだろうからな。フフッ……」


 エルゼルがさらに男の頭を小突く。

 男が「ひい!」と短い悲鳴を上げて、背を丸めて硬直。

 死ぬ覚悟など微塵もないと、全身で告白した。

 その様子を見て一瞬眉をひそめたネージュが、表情を整えながら口を開く──。


「国家とは民であり国土。その国を護るのが軍人。国の海を護るのが、われら防人さきもり。しかるにその者どもは、軍人を国家にせんとしました。われらは正しき軍人ゆえに、この海軍服を纏っています。ありのままのわたしたち……ありのままの軍人。それ以外では、身の潔白は証明できません」


「……その姿で登城すれば、戦姫團から討たれる。その覚悟あり……か?」


「はい。それでもわたしたちは、戦姫團にはいっさい手を出さず、謀反人のみを討ちます」


「フン……。さて、どうするか…………な」


 右手を尖った顎へと添えたエルゼル、その先端を親指の腹で数度撫でる。

 それから松葉杖の石突を、地へと強く打ちつけた────。


「────やはり、信用できぬッ!」


 エルゼルが高々と跳躍。

 運転席のマヤの頭上を越え、馬車の幌の上へと着地。

 幌の天井へと松葉杖を突き刺して、わが身を固定。

 縁へと腰を下ろし、運転席側へ脚を延ばした。


「ゆえに、させてもらおう! 不審な動きあらば……斬るっ!」


「ありがとうございますっ! ご協力……感謝しますっ!」


「フフッ……。元よりそのつもりだと、顔に書いてある。拠点への軍用道、非常時に通れるわけがないからな。まだ退役してそう経たぬわたしを、通行証代わりにするつもりだったのだろう?」


 ──日本、太平洋戦争晩期。

 日本軍は戦況の不利を受けて、本土決戦を視野に入れる。

 敵揚陸艦からの上陸部隊の進路を想定し、漁港、砂浜と重要拠点を繋ぐ幹線道路に、迎撃のための陣地を構築。

 戦車や輸送トラックの移動を阻害する土塁、落とし穴の準備が進んだ。

 かつてエルゼルが召喚された長崎県の長崎港周辺にも、終戦前に陸上陣地が多数敷かれ、令和のいまでもわずかながら、塹壕などの痕跡が遺っている。

 当然、ナルザーク城塞でも同様の防衛戦略が整っており、不審な馬車や自動車が発見されるや否や、見張り兵によるバリケード構築や落石による攻撃が行われる──。


「あなたの顔ならば、フリーパスでしょうからね……ハハッ。さすがは国営のアイドルグループと称される華の陸軍戦姫團を、二期連続で率いたお方。わたしの振る舞いが演技ではないと、見抜いてくださいましたか」


「海軍特務部隊・セイレーンの名は、耳に覚えがある。発足とわたしの退役が重なったので、あまり明るくはないが。ぜひわが後輩たちと、切磋琢磨してもらいたいものだな」


「約束しますっ! ではマヤ、出してくれっ!」


 ──ピシッ!


 馬車馬を軽く叩く鞭の音。

 ネージュが車内へ軽やかに搭乗し、車輪がカラカラと回り出す。

 登山道へと進入した馬車の後ろ姿を、ルシャが数歩追った────。


「うわっ! きったねー元團長! 人には登るなって言っておいてよっ!」


「フッ……行き掛かり上やむをえまい。残務処理といったところか、ハハハハッ♪」

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