第010話 山窩(イルフ)の少女

 ──ナルザーク城塞を囲む、トラック状の防火帯。

 森林火災の延焼を防ぐために木々を伐採し、以後なにも芽吹かないよう石を敷き詰めた、幅四メートルの平坦な一帯。

 令和日本の全国の山中にも存在する、ごくありふれた造成地。

 城塞周囲の防火帯は異形の生物・蟲の移動を妨げる役回りもあり、別名を捕蟲陣。

 蟲の脅威を警戒中のいまも、見張りの兵が巡回している。

 その防火帯の外側の森の一角に、海軍服に身を纏った男性兵の集団がいた。

 周囲には、民間人の衣服が脱ぎ捨ててある──。


「……よし、全員揃ったな」


 地形の段差に身を隠し、同一方向を向く十数人の海軍兵。

 その正面に立つ一人の中年男性、部隊長。

 少尉以上の階級にのみ許される口ひげを蓄えた部隊長が、小声の点呼を終えた。


「これより四班に分かれ、距離を取って移動。先頭の班が、この先にある見張りの詰所を襲撃。速やかに制圧し、見張りを捕縛。後続の班は、一気に城塞正門を目指す。以上だ」


 説明を受けた海軍兵たちが、小声で「はっ!」と返事。

 一人ずつ段差を上がり、低い姿勢にて、襲撃する予定の詰所を目指す。

 方向感覚に優れた者、植物の生態や植生に詳しい者が先陣を切り、そのあとに隊長が続く。

 行軍の後方では、やや緊張感の薄い兵たちが、にやけた顔でヒソヒソ話。


「……なあ、おい。戦姫團ってさ、美女と美少女ばっかなんだろ? 国営のアイドルグループって言われるくらいだしさぁ」


「ああ。新聞でしか見たことないけど、上玉揃いだぜ? 登用試験にゃ、顔の審査もあるって話だ」


「それを縛り上げてさあ、いったいどうするよ? もちろん役得……あるよなぁ?」


「さあ……どうかな。手つかずで上官に献上……って話に、なるかもしれねぇぞ。ふねン上のメシみてぇによ」


「じょっ、冗談じゃねえ! やべぇ崖を命懸けで下りて、今度はこの酷い藪だぜ? 一人くらい抱かせてもらわにゃ間尺に合わねぇ!」


「シッ! 大声出すなっ!」


「す……すまん。でも、俺はヤるぞ……。あとで懲罰受けたっていい。女の園でお行儀よくしていられ────」


 ──ドッ!


「ぐわああぁああっ!」


「だから大声出すなっ…………って! うわああっ! 敵襲っ! 敵襲ううぅ!」


 色欲を露にしていた海軍兵が、短い悲鳴とともに前のめりに倒れる。

 その全身はガクガクと激しく震え、肌は血色を失い、額からは冷たい汗が際限なく噴出。

 慌ててそばに寄った仲間が、背に刺さっている細い矢を確認する。


「この症状、ただの痛みじゃない……毒矢かっ!? 隊長っ、敵は毒矢を用いている恐れがありますっ!」


「待て、騒ぐなっ! まだ敵と決まったわけではないっ! こういった森の奥には、山窩イルフという狩猟に長けた民族が────」


 冷静さを保とうとする隊長の発言を遮って、距離を置いて進軍していた複数の班から、同時に悲鳴が上がった。


「ぎゃああっ!」

「ぐほああっ!」

いてええぇええっ!」


 同時多発の襲撃。

 たまらず隊長は、発言内容を撤回。


「さ……散開っ! 敵弓兵隊の襲撃だっ! 矢の角度から見て、敵は樹上っ! 一カ所に固まるなっ! すぐ散開……散れっ! 負傷者の回収は、ひとまず後回しっ!」


「仲間を見捨てるのですかっ!? 隊長っ!」


「負傷者の救助に向かったところを狙い撃ちされる! 海戦も山も同じだっ!」


「は……はっ!」


 海軍兵は各々、安全性が高そうな場所へと身を隠す。

 太い樹の幹の陰。

 大きな岩の陰。

 倒木の根っこが土をはべらせて作った、人間大の窪地。

 手負いのイノシシも敬遠するであろう、棘を有する植物が作った濃い藪の中。

 しかし男性兵たちの無残な悲鳴は途切れない。

 主に背中や肩を狙い撃たれて、体に毒を回される──。


「こ……この重火器主流の時代に、弓矢でこれほどの練度をっ!? いや……だからこその、この城塞ならではの部隊かっ!?」


 隊長が腰の拳銃を抜き、樹上の人の気配へ向けて発砲。

 しかしそれは空しく森を突き抜け、銃声が周囲の鳥と動物を刺激。

 けたたましい鳥の鳴き声と羽ばたき。

 イノシシやイタチが藪を掻き分ける音。

 それらがさらなる混乱を生んだ。

 物陰に身を隠していた海軍兵たちが、本能的に拓かれた平地を求めて、少しでも明るみがあるほうへと駆けだす。


「ぐほっ!」

「ぎゃああっ!」

「あぐうっ!」


 それらは皆、毒矢の餌食。

 くぐもった悲鳴の数々が、藪へと消えていく。

 隊長は敵の射線が絞られるポイントを絶えず移動し、樹上に人の気配を探る──。


「はあ、はあっ……。一人だ……。一人撃ち落とせば、襲撃に間が生じるはず……」


 前方にあった倒木を飛び越えて、着地する隊長。

 その正面にいきなり、天地逆さまの少女の姿が、樹上から現れる。


「なっ……!?」


 太い枝に両足首を掛け、金髪の長く太い三つ編みを地へと垂らし、隊長の真正面で弓に矢を番える少女。

 陸軍研究團・二代目「鼻」こと、ムコ・ブランニュー。

 彼女が番えている矢は、隊長の眉間を捉えている。


「……おまえが最後の一人。こちらは最初から一人。そしてこれが最後の矢……だ」


「そ、その異相は……山窩イルフっ! なぜ、われわれを襲うっ!?」


 異相。

 長きに渡り人里と距離を置き、山中で放浪生活をしている山窩イルフは、目立ち鼻立ちに独特の彫りがあり、そしてなにより外耳が長く、その上部が尖っている。

 しかしムコの左耳は上半分が欠損しており、右耳は大仰な三つ編みで隠してある。

 この部隊長は、ムコの目鼻で察したことになる。


「……わかるのか?」


「あ、ああ……。子どものころに、裏山にいた山窩イルフの少女と遊んだことがある。親から近づいてはいけないと止められて、それっきりではあったが……」


「……そうか。敵のおさだけは急所を貫くつもりだったが、その少女に免じて外そう。それから部下へは、道徳観を叩き込んでおけ」


 ──シュッ……ドッ!


 右肩を射抜かれた隊長が、その手に握っていた拳銃を力なく地へと落とす。

 それからひざまずくも、軍人の矜持で背を反らし、地に伏すのを耐えた。


「ぐぐっ……ぐうっ!」


「その神経毒の調合は、海軍の者によるレシピ。毒が巡り巡ったわけだ」


「海軍……だと……? で、では……おまえは軍属……か?」


「この城塞は、山窩イルフのわたしを仲間として迎え入れてくれた。そこを穢そうとする者は、決して許さない」


山窩イルフにして、国防の軍人……か。ふ、ふふ……。いい時代になったものだなぁ……マァヌよ……」


 隊長は諦観の笑みを浮かべたあと、勢いよく顔面から地に伏した。

 草のない渇いた地面が、その顔を出迎える。

 ぴくぴくと全身を小刻みに震わせながらうつ伏せになった隊長の後頭部へ、着地して天地を正したムコが声を掛ける。


「マァヌ……。響きからして、話の山窩イルフの少女……か。安心しろ、その毒は死へは至らない。防火帯の見張り兵へ回収に来させる」


 言葉が届いているか判別不能の隊長を置き去りにして、ムコは樹上へ。

 平地をスキップするかのように、軽々と樹上の枝を飛び移りながら、ムコが独り言────。


「潮のにおいをプンプンさせていては、この二代目『鼻』からは逃れられない。まして樹上戦の能力もないときては……な。わたしと森で互角に戦える海軍兵は、恐らくユーノただ一人。できればおまえとは、戦いたくないが……」

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