第006話 嫉妬と家出と八つ当たり

 ──クーデター勃発、わずか前。

 ラネットが愛里から譲り受け、いまはとんこつラーメン店になっている家屋。

 その扉に張られた、一枚の断り書き。


『買い付けのため数日休業します 店主』


「……ンだよぉ! ラネット留守かよぉ!」


 ルシャが不機嫌丸出しのの声を上げ、扉を蹴り破らんと右膝を上げる。

 ……が、膝を曲げたところでかろうじて己を制止。

 代わりに地を力強く踏みつける。

 ルシャにとって、かの蟲の軍勢との戦いから一年半ぶりの、西都・ナルザーク。

 いまのがその、懐かしきこの地での第一声。


「店手伝う代わりに、しばらく居候させてもらうつもりだったのによぉ。ったく、ツイてないぜ……。こういうとき、師匠ン世界のスマホ……ってのがありゃあ、無駄足踏まずにすんだのによぉ!」


 肩甲骨まで伸びた赤い頭髪をガリガリと指で掻きながら、片眉をひそめるルシャ。

 腰に提げた護身用の木剣を、いまにも抜きそうなしぐさで握り締める。


「これっつーのも全部……あのクソバカ兄貴のせいだ! あとエロ眼鏡もなっ!」


 ルシャはただ一人の兄弟、五歳年上の兄・ログの屈託のない笑顔を思い出しながら、自分がここへ来たいきさつを回顧──。


 ──一週間前。

 ルシャは蟲の軍勢との戦いののち、セリの邸宅のメイドとして働いていた。

 仕事を通じて女らしさを磨きつつ、ときにセリの剣術鍛錬の相手をする。

 セリの両親がルシャへ全幅の信頼を置くタイミングを見計らって、二人の同性婚を申し出る算段。

 異世界・日本での戦いに召喚されたことと、その後、主治医という名目でしばらく六日見弧が居候していたことを除けば、平穏な日々が続いた。

 しかしとある日、それを破壊する者が現れる──。


「よっ、ルシャ! メイド服似合ってんな! わははははっ!」


「げっ……。兄貴……」


 ログがルシャからの手紙の住所を頼りに、アポなし訪問。

 大邸宅の玄関前を掃き掃除していたルシャへ、鉄格子の門扉越しに登場。

 ルシャが箒をわきへ放り投げて、門扉へと駆け寄る。


「なっ……なにしに来たんだよっ! 来るなら来るで、先に手紙寄こせっつーの!」


「俺が字ぃ書くの嫌いなの、知ってっだろ? わはははっ!」


(くっそ~! やっぱスマホってーのが欲しいぜ! この世界にもよぉ!)


「いや、全国剣術大会で首都まで来たからさ、おまえが元気でやってっか見にな。その様子だと、おてんばのまま……ってとこか。ははっ!」


「全国剣術大会……? ってこたぁ兄貴、地方予選勝ち抜けたのか?」


「当たり前だろ? おまえの自慢の兄貴だぞ? まあ全国一の壁は、さすがに厚かったがな。三位決定戦を制して、見事全国ベスト3入りさ。わははははっ!」


「へえええぇ……やるじゃねーか! じゃあそろそろ、親父も引退かぁ?」


「いやー。親父は相変わらず、『嫁を連れてこなけりゃ道場は継がせんっ!』ってさ。でも俺のお眼鏡にかなう美女なんて、そうそう……」


「……ルシャ? 客か?」


 門扉越しに兄と向き合うルシャの背後から、セリの声がする。

 入團試験時で完成されていた美貌に加え、日々のルシャとの情交で培われた色香と一回り膨らんだ胸囲が、妖艶さを醸している。

 生まれつき他者の顔を認識できない病、「顔朧症がんろうしょう」をいまだ抱えているセリだが、先の異世界での戦いにおいて、症状はわずかに改善していた。

 セリは門扉の向こうにいる男性の顔を見て、銀縁眼鏡の奥にある瞳を丸くする。


「あ、あなたは……!?」


 名を問われたログも、同じように目を丸くして返答。


「俺……あ、いや。わ……わたしはルシャの兄、ログ・ランドールです。妹が……ルシャがお世話になってます」


 セリは表情筋すべてをぴくぴくと震わせ、あまつさえ両頬を真っ赤に染める。

 セリの異常にいち早く気づいたルシャがその体に寄り添い、ログへ背を向かせた。


「お、おい……セリ。なんか様子変だぞっ!?」


「み、見える……」


「……はあ?」


「見える……のだ……。あの人の……顔が……はっきりと!」


「あのバカ兄貴のアホ面がかっ!?」


「わたしはおまえの師匠の世界……ニッポンへ行って以来、顔朧症がんろうしょうがやや改善した。他人の顔が、うっすらとだが見えるようになった。だがそこの男性……ルシャの兄上の顔は……。はっきりと……見えるのだ」


「マジかよ……」


「おまえの血族……だからかもしれん。そうか、男性というのは……ああいう顔をしているのか。女よりも角ばっていて、体毛が濃くて……それでいて、美しい……」


「美しいぃ? あのアホ面がぁ? セリおまえ、病気悪化してんじゃねぇか?」


「頼む、ルシャ。おまえの兄上と……しばし話をさせてほしい。わたしはいま、戦姫團入團試験で初めておまえを見たときと、同じとまどいを覚えている……」


「ええええぇ……?」


 猛烈に嫌な予感を覚えるルシャ。

 しかし緊迫したセリの赤い顔に気圧されて、門扉の向こうのログへと歩み寄る。


「……兄貴。ここのお嬢様が、ちょっとだけ話したいって言ってんだけどさ……。ありゃあ見た目はインテリっぽいけど、中身はゴリゴリの武闘派でさ。わがままもひでーし、関わらないほうが身のた────」


「……美しい」


「はあ?」


「なんという眼鏡が似合う美女だ! ルシャ、恥ずかしながら、いまこそ打ち明けるが……。俺は重度の眼鏡女子好きなんだ!」


「クソどうでもいい初耳情報だなっ!」


「うちの門下生の女はみんな武闘派ばっかで、眼鏡っ娘なんて一人もいなかったからな……。だが、彼女はパーフェクトだぞっ! さあ、紹介してくれっ!」


 門扉の鉄格子を掴んでガシャガシャと揺らすログの、締まりのない笑顔。

 そこでルシャの回想が終わる────。


「……あれから兄貴は、厚かましくセリんちに居座ってる。しかも全国剣術大会三位の肩書に、セリの親も納得気味だ。セリもバカ兄貴の前じゃあ顔を真っ赤にして、どエロ眼鏡モード。あーくそっ……あんなとこいられっか!」


 ラネットの店の前で、ルシャは嫉妬心から地団駄を踏み、歯ぎしり。

 その、歯が擦れる音と、足踏みの音が、上空から生じた轟音に呑まれる──。


 ──ゴォン……ゴォン……ゴォン……。


「……なっ、なんだぁ!?」


 海軍のクーデター一派が舵を取る、装甲戦闘飛行船・クリスダガー。

 白銀の空飛ぶ船体が、ルシャ、そしてラネットの店舗を影で踏みつけ、ナルザーク城塞へと向かう──。


「……へへっ、なんか面白そうなこと起こってんな! ちょうどいいっ! こちとらイライラ溜まって爆発寸前なんだっ! 派手に暴れさせてもらうぜっ!」


 ルシャがいよいよ腰の木剣を抜き、切っ先を上空の飛行船へと向ける。

 そして、勝手知ったるナルザーク城塞目がけて駆ける────。

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