第002話 ミオン・ガスカッチャ
ラネットは少女の両腕を掴むと、優しく引っ張り上げ、上半身を起こす。
同時にかがんで身を引き、自分の肩から少女の脚を下ろす。
ヒップから静かに着地した少女は、再びラネットに腕を引かれて立ち上がり、ようやく天地を正した。
落ち着きを取り戻して、ラネットの顔を確認する少女。
少年と青年、少年と少女……の狭間のような端正な顔つきに加え、命の恩人ともあって、少女は頭半個分上にあるラネットの瞳を見つめながら、頬を紅潮させる。
少女はふと、恐怖で唇がからっからに乾いていたことに気づき、ペロッと舌を一回りさせてから、ラネットへ話しかけた。
「あの……。おケガは……ありませんか?」
「うん。海の幸のおかげでね」
ラネットがウインクをしながらリュックを開け、内容物のいくつかを取り出す。
「この港でたくさん買った、マダコにヤリイカ……。この子たちがダメージ吸収してくれたよ。さっすが軟体動物だね。アジは……あちゃ~、身がボロボロだぁ」
二人に圧し潰されて、墨まみれになったタコとイカ。
アジは白身と鱗とワタが混ざって、ぐちゃぐちゃになっている。
少女は申し訳なさそうに眉をぎゅっとひそめながら、ぶんぶんと頭を垂れる。
「あ……あのっ、すみませんっ! 弁償しますっ! おいくらですかっ?」
「いいよいいよ。宿の厨房借りて、すぐ食べちゃうから。これ、新作料理の素材候補でさ、新鮮なうちに調理する予定だったんだ。味が確認できれば、見た目は全然問題ないよ」
「で、でも……。やっぱり悪いですし……」
ラネットは恐縮する少女に顔を寄せ、低めの声で耳元で囁く。
「……かわいい下着見せてもらったから、チャラってことでどう? あはっ♪」
──ズギュウウウン!
少女の顔が耳たぶまで真っ赤に染まり、背中がぶるぶると震える。
加えて頭髪の端々が、静電気を帯びたかのように逆立った。
「あははっ、ぞわぞわさせちゃった? ごめんごめん。ボク、すごく耳のいい恋人がいてね。こんな冗談でも、小声でしか言えないんだ」
「そ、そうですかぁ……。それだけカッコいいと、やっぱり彼女さん、いらっしゃいますよねぇ……。運命の出会いだと、思ったんですけどぉ……」
「ん……? どうして彼女だってわかったの?」
「あのぉ……。わたしも耳を貸してもらって……いいですか?」
少女はラネットの質問をスルーして、もぞもぞと太腿を擦り合わせながら、自身の要求を告げる。
ラネットはなんの疑いもなく、少しかがんで少女に顔を寄せる。
「ちゅっ……!」
「わっ!?」
ラネットの頬に、柔らかな唇がふれた。
驚きで顔を離したラネットが見たものは、直立し、へその前で両手を揃え、真っ赤な顔で真剣に、そして少し攻撃的な表情で見つめてくる少女の姿。
「わ、わたし……ミオン・ガスカッチャって言います。もし、その彼女さんとのつきあいが、結婚前提でなかったら……。いまのファーストキスを、彼女さんへの宣戦布告とさせてくださいっ! おにいさんに……一目惚れしちゃいましたっ!」
瞳をぎゅっと閉じ、照れ隠しもかねて、深々と頭を下げるミオン。
「えっ? ええぇ……!? き、気持ちはうれしいんだけど、急に結婚云々言われてもね……。そもそもボク、おにいさんじゃなくって、おね……」
ふっ……と、太陽が陰る。
ラネットの言葉を遮るように、瞬時に周囲が暗くなった。
そして、大気をねっとりとかき混ぜるような、鈍い風音が鳴り始める。
ラネットとミオンが、同時に空を見上げた。
空を覆う、巨大な白い気球と、それにぶら下がる銀色の鉄の方舟。
方眼状に家屋が並ぶ住宅街の上空を斜めに移動し、巨大な影を落とす。
ラネットが思わず声を上げる。
「飛行船っ!?」
その声に、ミオンの甲高い声が、早口で覆いかぶさった。
「……装甲戦闘飛行船・クリスダガー!? 実用レベルに達してたのっ?」
「えっ……?」
ほどなくラネットたちの足下を、巨影が通過。
日の光が戻ると同時に、上空に無数の四角い陰が浮かび上がる。
ゆらゆらと左右に揺れながら落ちてくる、なにか文章が綴られた藁半紙。
ラネットはそばに振ってきた藁半紙を拳で掴み取り、広げて皺を延ばす。
ミオンもつま先立ちで、紙を覗きこむ。
『蜂起せよ、国民。
国土の拡大を拒み、内需を蝕む現政権と訣別せよ。
いま、われわれの憂国の思いは、領海の波濤を越ゆる。
国民よ、櫂たれ、帆たれ、砲とあれ。
国家よ、艦たれ、羅針盤たれ。
海軍大臣 ザッパ・ラルス』
全文を読み終えたラネットが、声を震わせる。
「海軍大臣……? 領海を……越える? これってまさか、周辺国への宣戦布告!?」
「いえっ、その一歩手前です! クーデターですっ! 軍政と侵略戦争を望む海軍の上層部が、国家の乗っ取りを始めたんです! 外乱前提の……内乱ですっ!」
先ほどまであどけない少女の顔をしていたミオンが、怒りと懸念に満ちた表情で、ビラの真意を語る。
飛行船の名称をも知っていたミオンを、ただ者ではないと察するラネット。
「……っ!? きみは……いったい!?」
「わたしは……海軍特務部隊・セイレーン所属、ミオン・ガスカッチャです! はいっ!」
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