第3話
背の高い男だった。
180センチある相棒の富永が少しだけ目線を上にして話す姿を見るのは、どこか新鮮である。
「なにニヤニヤしながら見てんだよ、高橋」
その視線に気がついた富永が佐智子に言う。
「いえ。珍しいな、と思って」
「なにが?」
「何でもないです」
佐智子はそういうと、スマートフォンアプリのメモ帳へと目を落とした。
そのメモ帳には、事件の情報が書き込まれている。最近ではフリック入力よりも、音声認識の方が早いと思い、言葉でメモを入力するようにしていたりする。
「えーと、被害者はイベントスペースで働くアルバイトの男性でした。ちょうど、天内翔のデフォルメキャラクターの着ぐるみを着ていたということもあり、無事だったということです」
「着ぐるみのお陰……」
背の高い男は顎に手を当てるような仕草をしながら、話を聞いていた。
警察庁特別捜査官。その存在については佐智子も警察学校で習ったので知っていたが、実物を見るのは初めてのことだった。見た目は、どこにでもいそうな感じの男性で、背がやたらと大きかった。しかし、ごついというわけではない。富永同様に細身なのだ。富永は剣道で鍛えた細マッチョだといつも自分で言っているが、この久我という特別捜査官は見る限り、鍛えたりはしていなさそうだった。
「天内様はですね――――」
佐智子が状況説明を久我にしていると、日向こなつが口を挟んできた。
「天内様?」
「ええ、そうです。天内翔。彼はファンたちからは天内様の愛称で呼ばれています」
ちょっと早口で捲し立てるように話す、こなつ。その姿はどこからどう見ても、推しについて熱弁を奮うオタク女子であった。
「日向、その話は短めに。要点を掻い摘んで説明してね」
佐智子はベラベラと話しはじめたこなつに対して注意を促す。
その注意にこなつは肩をすくめて、またやってしまいましたといった表情をすると、久我に対して必要事項だけを説明した。
「なるほど、わかりました。防犯カメラなどは設置されていなかったことから、犯人については目撃情報を頼るしかないというわけですね」
「ええ、そういうことになります」
「そこで、私の出番というわけか……」
久我はため息交じりにいうと、着ていたモスグリーンのミリタリーコートを脱いでパイプ椅子に掛けた。
これから何がはじまるのだろうか。新宿中央署の面々は興味津々な顔で久我の様子を見守る。
「そんなに注目しないでください。やり
久我が笑いながらいう。
普段、久我は捜査をする時は一人っきりか、いたとしても相棒がひとり居るだけの状態である。こんな大人数の前で注目されながら、捜査を行うのは初めてのことかもしれなかった。
気を取り直した久我は、証拠品として回収されなかった物販用のクリアファイルを手に取ると、目を閉じて鼻から息をゆっくりと吸い込んだ。
闇の中に久我はひとり佇んでいる。少し離れたところがスポットライトのようなもので照らされており、そこから騒がしい音楽と人々の嬌声が聞こえてきていた。
久我はその音楽に誘われるようにして、スポットライトの明かりの方へと歩きはじめる。
決して広いとは言えないイベントスペースには、大勢の人が訪れていた。
その大半は20代から30代くらいの女性であり、どの女性もコスプレをしている状態だった。赤、青、ピンクといった派手な髪色のウィッグを被り、肌の露出が多めの衣装を身に纏っている。
その中でもとりわけ多いのが、エメラルドグリーンの髪色をした男装の女性たちだった。
「ただいまより、天内翔の特別ライブイベントを開始します」
場内アナウンスが流れる。
その声に女性たちが色めき立つ。
「ライブに参加できるのは、特別チケットをお持ちの方だけとなります」
別の部屋へと続く入口の前に長蛇の列ができる。この列に並んでいるのは、全員特別チケットを持つ人たちだった。特別チケットは一枚3万円。列に並ぶのは20人近い数の女性たち。彼女たちは特別チケット以外にこのイベント参加料として1万5000円も支払っていた。
「ちょっと、割り込まないでくれるっ!」
誰かが悲鳴に近い金切り声をあげた。
列に並んでいた人々が一斉に振り返る。
キャップを目深に被った人物がその列の脇を走り抜ける。
係員がその人物を制止しようとしたが間に合わず、隣の部屋にその人物は入っていった。
「なにやってんだ!」
男の声。
「誰か来てくれっ、刺された」
また別の男の声が聞こえてくる。
帽子の人物が部屋から走り出てくる。その手には大きな刃渡りのナイフのようなものが握られていた。
警備員が駆け付ける。
「誰か、通報しろ」
そして、パニックが起きた。
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